>>770
>この話は家島諸島という地域の話です。
>A地区は幕府の存在した頃から土地を任されていた大地主が存在した真浦という地域です。
>B地区は宮という地域で、大地主に認めてもらえなかったはぐれものが住む地域でした。

明治初期における家島諸島の三つの浦--その集落聞の異質性を問題にして--
http://hist-geo.jp/img/archive/018_273.pdf

>村明細帳には宮浦は庄屋村と、そして真浦・坊勢浦は枝村と記載されていることより、宮浦が集落として最初に成立したと言える。

>庄屋村である宮浦が最初に成立し、枝村である真浦・坊勢浦は遅れて発達


>それまで家島近海で排他的性格の強い延縄等の漁業を営み、
>海面利用その他の面で優位な立場であったのは庄屋村である「宮浦」であるが、
>宮浦にヘゲモニーを握られてきた枝村の「真浦」・「坊勢浦」が、
>旧来の村持ち漁場の枠を越える沖合漁業の打瀬網という生産性の高い漁法を積極的に導入することによって、徐々に力をつけて来た

>庄屋村である「宮浦」が絶対的な勢力を持ち、漁場配分で優位に立ち、
>枝村であった真浦とりわけ「坊勢浦」は、家島本島二カ浦に対して抗争するだけの勢力は当時到底持ち得なかったためと考えられる。

>家島は藩政期、姫路藩の水主浦として広大な専用漁業権を有していたが、
>その中でも庄屋村である宮浦がヘゲモニーを掌握し、枝村である真浦、とくに坊勢浦は不利な漁場配分であったと考えられる。