19−20世紀転換期における日本のアカデミズムと被差別部落認識
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23720336/23720336seika.pdf

喜田貞吉は文部省の教科書の検定や執筆に関わった後、京都大学の教授となり、同大や東北大学で古代史の教鞭をとった。
喜田は、「複合民族論」で知られる日本人種論を展開したことで知られる。
喜田は複合民族論のなかで、どのような人種が日本列島に到来したかについて、その大枠については鳥居龍蔵の学説を踏襲している。
ただし被差別部落民については、古代史研究の立場から独自説を提示した。
喜田は、被差別部落民の起源を、天孫族(蒙古人種)よりも前に朝鮮半島から渡来し、
弥生式土器を使用した国神人種で、天孫族に征服され、隷属状況に置かれた人びとに求めている。
さらには、柳田國男の山人論の枠組をも流用し、蒙古人種によって征服された異民族が被差別部落民に編入されたとする論を展開している。