そんでな、このオッさんに質問こいとる同一とか言うコテにゆうといたるけど
それが何であるのかというそいつの持つ明確な概念なんてのは、どんだけ掘り下げようが、
まず、一向に解らんものなんやで。健常者と健常者の確認行為やないんやからね。
そやから、どんだけいっても推測にしかならんのよ。

ほんでな、オッさん。オッさんこんな事前にゆうとったやろ。
こんな感じのフレーズや。重要やで。探してみーや。
「今日、帰り際、土手を歩いてたら、夕日がとてもキレイに見えた。」
これはな別に誰でもそんな時があるけどな、オッさんのとは一寸違うんやで。

それはな、干からびて硬直した世界の殻に引きこもった場所にいる本当のオッさんが一瞬だけ、
硬直した殻の一部を突き破って柔軟性を取り戻し、世界を見るまなざしを取り戻した一瞬や。
こういうことや。「世界が生き生きとこんなにも新鮮に見えたのは何時以来だろうと言う感動や」

そやけどな、こういうのはオッさんの場合はほんの一時だけなんやで。続かんわけや。
オッさんの知覚を支えてきた、オッさんの生きてきた経路にあってな、
身を守る干からびて寄生された、そこからみるオッさんの世界ってのは、
物質と世界とがもつ関係は枯れはて、空間も枯れ果て、拒絶の果てに、
オッさんの言葉はただただスタンプで、そこに意味も無くばらばらに散らばってオブジェのように置かれるわけや。
ほんで、お馬鹿の認知力はどんどん低下してるつう寸法やwww

ほんでな、コテの同一とかゆうやつ。
ほんまにこのおっさんとコミュニケーションとって何か聞きたいんやったら、
このオッさんの知覚を支えてるものを見つけなどーもならんで。
世界の様相が恐ろしいほどに味気ない日常、それを見ることすらも不安で不快でいたたまれんならな、
普段知覚している世界の厚みやら親しさってのは、
何かささやかで基本的なものとな、オッさんとの結び付きによって支えられているものやで。

それがな、続かんとしてもな、そこへ一時でもオッさんを出してやるこっちゃ。
そうせな、何話しても全部フェイクでしか帰ってこんよ。このオッさん病気やねんからなwww