自分の願いは叶えられるかは他人が鍵を握るものです。
ですから自力では叶わない可能性はあります。
自分を自分で救うという観点では、願いの破棄をすることになります。
問題かどうかの判断も、それを放置し腐敗させるかも上次第という全託精神になります。

願い自体は、民衆が国に問題を訴えて、それを受け入れた国が部下にまで命令を出し、部下が解決するという流れを想定していました。
願いに対し相手が大きくてオーバーではありますが、公務員が問題を起こしていると問題を投げつければ何かしらのアクションはあるかと期待したのです。
地元の神社を避けたのは、余所者かもしれない者の問題は管轄外かもしれないと考えたからです。

祈ろう祈るまいがどうあれど、問題が目の前で解決されるのを確認することができずに悶々としてしまうことは避けなければならなかったのが反省点です。