幽霊は本当にいるのか(いないのか)Rその39
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
幽霊はいるのかいないのかを議論してるようなしてないような、罵りあってるだけの気もするようなしないような、そんなスレです
リターンズ略してRにしてますw
ルールは今のところ1つ
・ 基本的に幽霊や霊に関する話をしてください
脱線し過ぎて何のスレか分からなくならないように
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>111
当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである、とした上で、地鎮祭は慣習化した社会的儀礼(習俗的行為)と化しているから、政教分離原則には違反しない、と判断しました。
当該行為は宗教的意義を持つが、習慣化した社会的儀礼側面に対しての援助は、宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉にはに当たらない。
ですね。 >>100
>ID論は創造論の変名ですから、創造論が宗教なら、ID論も宗教となりますが。
そうですよ。ID論が本質的に宗教であること(創造論の隠れ蓑)であることは既に述べた通りです。
その上で私は、「ID説自体(>>97)」は宗教で無いと述べているのであり(※説自体からは宗教性を排除している)、その本質は宗教です。
そこら辺のニュアンスを汲むのって、あなたには難しいですか? >>108
>言えませんが。
理由は説明出来ないということですね。了解です。 クリスマスも、無宗教でも楽しめるイベント化した文化的側面と、家族で神に祈りを捧げるなどの宗教的側面がある。
「クリスマスだから、家族で神に祈りを捧げよう」と考えているクリスチャンに、「クリスマスはキリスト教とは無関係or関係が薄い文化ですけど?」と言えるか?言えません。
「文化的側面で盛り上がっていること=宗教的側面が否定されること」ではありませんから。 >>115
ID論=宗教多様性にポリコレ配慮した、多宗教向けの創造論であるというニュアンスを汲み取るのは、あなたにはまだ難しそうですね。 >>114
で、送り火の宗教的意義はどう司法判断されましたか? 「幽霊は本当にいるのかいないのか?」を議論するスレで、「幽霊のようならしきもの」の現象の遭遇に始まり、「宇宙人のホログラム」ではない、その「幽霊のようならしきもの」は幽霊であると判断出来るに相応しい、目撃者自身
目撃前から知り得ないその幽霊の元情報の当該故人魂情報を、探偵など介さず目撃者自身の霊能力に含まれる推理力で情報を得たことからも、それは本当に幽霊とする主張は、このスレタイに沿ってるという事になるだろう。 >>118
やはりあなたには難しかったですね。
私もID論の本質についてはあなたの仰るニュアンスを踏んでいますが、一方でこの「説自体(=方便としての表層的なID説)」に対する評価を述べています。
お分かりですか? >>68
まあそれも批判といえば批判だけど
それは風刺的というか批判的な立場から勝手に揶揄してるって話だろ?
俺らが話してるのはそうじゃなくて、直接絡んでいくタイプの批判の話だろ? に みたいにな
例えば仮にお前が「ホログラムはあるのか(ないのか)」ってスレを建てて、
そこの中で「ホログラムは存在する」みたいな話を続けることによって幽霊を皮肉るなら文句は言わんよ。 >>117
>「クリスマスだから、家族で神に祈りを捧げよう」と考えているクリスチャンに、「クリスマスはキリスト教とは無関係or関係が薄い文化ですけど?」と言えるか?言えません。
私がいつ、「クリスマスの宗教性」を否定しましたか?
私が「宗教性」を否定したのは「クリスマスツリー」や「クリスマスプレゼント」といった「習慣」であり、クリスマス自体は完全に宗教行事ですよ。
これまで、どこをどう読んできたんですか? 「幽霊は本当にいるのかいないのか?」を議論するスレなのだから、「幽霊のようならしきもの」の現象の遭遇に始まり、「宇宙人のホログラム」ではない、その「幽霊のようならしきもの」は
幽霊であると判断出来るに相応しい、目撃者自身 目撃前から知り得ないその幽霊の元情報の当該故人魂情報を目撃者は探偵など介さず自身の霊能力に含まれる推理力で情報を得た
という事象も少なからず存在することからも、本当に幽霊は存在するという主張も、このスレタイに沿ってるという事になる。 >>117
>「文化的側面で盛り上がっていること=宗教的側面が否定されること」ではありませんから。
ええ、その通りです。クリスマスの「ツリー飾り」や「プレゼント交換」で盛り上がっても、クリスマスの「ミサ」の神聖性が否定されることはないです。
何を当たり前のことを言ってるんですか?
私はお盆の時期に行われる、特定の宗教に依らない行事(送り火)の宗教性を否定しているのであり、お盆自体の宗教性は否定してませんよ?
なぜ、その程度の区別もつかないのでしょうか?
クリスマスに、無宗教でも楽しめるイベント化した文化的側面と、家族で神に祈りを捧げるなどの宗教的側面があるように
お盆の時期にも、無宗教な風習(火を焚いて先祖の霊を迎える)があり、その一方で家族で宗教的行事(先祖の霊を祀る)があるのです。
わかりますか? >>119
その評価が評価できないと評価していますが。 >>122
え?このスレは「幽霊肯定派のためのスレ」で、否定派は「幽霊肯定派のためのスレにやってきて肯定派に絡んでいる存在」なの?
「肯定派と否定派で議論するスレ」なのだから、「幽霊説を否定する別の説は他で勝手にやれ」はおかしいだろ。 もし「送り火」が宗教行事の可能性があるなら、なぜ地鎮祭(合憲)や玉串料(違憲)のように、公金支出の是非について司法判断が仰がれないのでしょう?
これは、「送り火」が「クリスマスツリー」と同様に、宗教以前から在る古代の風習に根ざしたものとして、現在の社会に認められているからではありませんか?
この風習を許容する宗教(仏教)は、果たしてこれが教義に基づく宗教儀式かと問われて、認めるでしょうか?
これら私の疑問を「否定」することは出来ますか? >>123
迎え火や送り火や地鎮祭も、クリスマス同様に、イベント的側面と、宗教的側面がある。
という事に納得あただけたようでなによりです。 >>126
>その評価が評価できないと評価していますが。
では、何のために津地鎮祭訴訟の判決を貼ったのですか? >>129
>納得あただけた
これは「納得いただけた」とお読みすればよいのですか? >>129
>迎え火や送り火や地鎮祭も、クリスマス同様に、イベント的側面と、宗教的側面がある。
とぼけても無駄ですよ。
「お盆」や「地鎮祭」には、クリスマス同様に、イベント的側面と、宗教的側面があります。
しかし、お盆に合わせた「迎え火・送り火」は、クリスマスの「クリスマスツリー」や「プレゼント交換」同様に、宗教的な行いとは言えません。
お分かりですか? なら、お盆の時期に自宅門前などで行われる迎え火や送り火は、主に仏教徒のみが行なうことから判る通り、宗教儀式である。
↓
迎え火や送り火は、お盆の時期にはそのための仏具がスーパーマーケットの一角を占めるほど、ポピュラーな儀式であり、仏教が広く日本に広がっていることがわかる。
↓
よって、日本で無作為抽出された意識調査やアンケートには、仏教的認識がバイアスとして働きやしすい。 >>128
では、地鎮祭を執り行う神主は、地鎮祭を「宗教的意義の無い行事」と判断していますか?していませんよね。
神主は、地鎮祭の宗教的意義などをしっかりと学び、宗教儀式として、それを執り行っています。
地鎮祭の参加者がそれをどう受け止めるかは、参加者の勝手であり、そこに政治的な誘導や強制力が働かない限り、政教分離には反しません。 >>130
あなたの評価が評価できない理由として貼りました。
それは理由にならないという評価もまた、私は評価しません。 >>131
それ以外に解釈があるなら教えて下さい。 >>132
クリスマスツリーは、クリスチャンも仏教徒も飾ります。
お盆の時期、クリスチャンは迎え火や送り火を炊きません。 定期的におさらいしておきましょう。
前スレ >>345
>日本には仏教徒が多いのですから、仏教的観念の影響により、幽霊を信じている人が多いと言えるのでは?
【正解】幽霊は仏教的観念ではありません
前スレ >>354
>お盆には、死者の魂が帰ってくることになってますよ。
【正解】それは仏教的観念ではありません
>「お盆には死者の魂が帰ってくる」と考える仏教徒が、幽霊を信じる率が高いのは当たり前でしょう。
【正解】信仰心の篤い層(年代・地域)ほど、幽霊を信じる率が「低い」というデータがあります クリスマスは、クリスチャンや仏教徒や無宗教者もツリーを飾ったり、プレゼント交換を行なうから文化的行事と言われるのであり、ほぼ仏教徒しか行わない迎え火や送り火は「宗教に拠らない文化的慣例」とは言い難い。 別に何を宗教的に思うかは、それを宗教的だと感じた人がいれば宗教的なんでは?
クリスマスにショップがツリーを飾ったりメリークリスマスと挨拶替わりに言うのが宗教的かどうか?
みたいなもんだろ。アメリカだと最近は宗教的になった。
日本だって、ある種の強固な信者が増えればお盆や迎え火送り火は宗教的なものになるよ。
政治的意図とか信者の信心と比率で変化する相対的なもんだろう。 定期的におさらいしておきましょう。
前スレ >>345
>日本には仏教徒が多いのですから、仏教的観念の影響により、幽霊を信じている人が多いと言えるのでは?
【正解】仏教的観念には幽霊や死後生がある。
(例:迎え火や送り火、極楽や地獄)
前スレ >>354
>お盆には、死者の魂が帰ってくることになってますよ。
【正解】それは仏教的観念です
(例:迎え火や送り火)
>「お盆には死者の魂が帰ってくる」と考える仏教徒が、幽霊を信じる率が高いのは当たり前でしょう。
【正解】若い年代ほど、あの世など、宗教概念を強く信じる率が「高い」というデータがあります ↑
宗教的だからツリー飾りやメリークリスマスは止めましょうになったという意味ね。 >>133
>よって、日本で無作為抽出された意識調査やアンケートには、仏教的認識がバイアスとして働きやしすい。
その考察は、宗教への信仰心が篤い層(年代・地域)ほど、幽霊を信じる率が「低い」というデータに反していますね。
つまり、仮に宗教がバイアスとして存在するなら、それはネガティブな影響と言わざるを得ないのです。
つまり、あなたは自爆してるんですよ。
如何ですか? http://www.ism.ac.jp/editsec/toukei/pdf/58-1-039.pdf
回 答 の 特 徴 を 時 代 変 化 と と も に 概 観 し た . 特 に ‘「 あ の 世 」 は あ る と 思 う か’は若い年齢層のほうが「ある」と回答する割合が高く,
若い世代で宗教的な心は大切だと 思う考え方は大きく減少していても,何らかの宗教に関する気持ちを排除してはいないという 示唆を得た. >>134
>神主は、地鎮祭の宗教的意義などをしっかりと学び、宗教儀式として、それを執り行っています。
地鎮祭は神主が宗教儀式と思っているから宗教儀式、ということですか?
では、送り火をされる方は、その宗教的意義などをしっかりと学び、宗教儀式として、それを執り行っていますか?
如何ですか? >>135
>あなたの評価が評価できない理由として貼りました。
地鎮祭と送り火の評価が一致しない限り、わたしの評価を「評価できない理由」になりませんが?
地鎮祭、玉串奉納、送り火、これらの違いをどう評価しますか? >>136
>それ以外に解釈があるなら教えて下さい。
確認しただけなのに、もう逆ギレですか? >>145
数学を学ぶ中学生は、先生と同等の数学知識を有してなければ、数学を勉強していることになりませんか?
宗教儀式のプロ(神主や僧侶など)は、宗教儀式の素人より、遥かに高い知識を有しているであろうと、普通に考えられないのですか?
迎え火や送り火を行なう素人でも、それがご先祖様の霊をこの世に迎え、返す仏教行事であることくらいは理解しているでしょう(仏教徒以外がやらない理由でもある)。 >>146
個人が行なう純粋な宗教行事か、社会慣習を含む公の宗教行事かの違いがあるのだから、一致する必要がありません。
一致する事は必須ではない。
が答えですね。 >>147
全ての誤字脱字を確認せず、特定個人の、明らかに確認の必要が無い誤字脱字のみ、恣意的に確認する、その恣意性を批判しています。 >>147
それ以外の解釈を確認しただけで、そのイヤミですか? >>137
>お盆の時期、クリスチャンは迎え火や送り火を炊きません。
クリスチャンがそれを行わない理由は、彼らがそれを「宗教儀式」と思っているからですか?
単にクリスチャンの死生観とは相容れない「土着的風習」だから、受け入れないだけでは?
そもそも、クリスチャンが思っていたら、それが真実ですか?
>クリスマスツリーは、クリスチャンも仏教徒も飾ります。
仏教徒がツリーを飾るんだから、クリスチャンも送り火をする筈…ですか? 何のためにですか? >>145
まさか、家庭での迎え火や送り火の宗教意義の有無に、宗教儀式のプロ(神主や僧侶)並みの知識を有しているか否かが問われるとは思わなかったw
念のために尋ねますが、関係無いとわかっていながら質問しているんですよね?
それとも、関係あると思っての質問ですか? >>152
>仏教徒がツリーを飾るんだから、クリスチャンも送り火をする筈…ですか? 何のためにですか?
宗教ではない社会慣習や文化として、ですね。
それとも、迎え火や送り火には、仏教の意義を離れた社会慣習や文化的意義の比率は、それほど大きく無いのですか? 迎え火や送り火に、社会慣習や文化的意義が大きいのなら、仏教徒以外にも広がっているはず。
だが、仏教徒以外には広がっていない。
なぜですか? もちろん、観光など、宗教以外の意義が明らかに大きいものはその限りではありませんよ。
お盆時期の、家庭での迎え火、送り火の話です。 >>139
>クリスマスは、クリスチャンや仏教徒や無宗教者もツリーを飾ったり、プレゼント交換を行なうから文化的行事と言われるのであり、
>ほぼ仏教徒しか行わない迎え火や送り火は「宗教に拠らない文化的慣例」とは言い難い。
仏教徒がツリーを飾るなら、クリスチャンも「送り火」をする筈というのは、流石に無理筋ではありませんか?w
クリスチャンが送り火をしないのは、それが「宗教的(異教的)」だからですか? あなたは理由として、その程度しか思いつきませんか?
宗教と言うよりも、単にクリスチャンの死生観とは相容れない「土着的な風習」だから行わない、それだけではありませんか?
それを否定する理由はなんですか? >>141
そう恐れなくてもいいですよ。
>【正解】若い年代ほど、あの世など、宗教概念を強く信じる率が「高い」というデータがあります
信仰の強さに掏り替えても無駄ですよ。
社会的に認められる=社会に占める幽霊肯定派の割合ですから。
で「【正解】信仰心の篤い層(年代・地域)ほど、幽霊を信じる率が「低い」というデータ(>>138)」の否定は諦めたのですね? >>144
「あの世がある」と「幽霊が居る」の区別がついてないところが、あなたのガッカリな所ですね。わかりますか? >>148
>迎え火や送り火を行なう素人でも、それがご先祖様の霊をこの世に迎え、返す仏教行事であることくらいは理解しているでしょう(仏教徒以外がやらない理由でもある)。
「風習」の意味合いを理解することと、それが「仏教行事」と理解することは別ですよ。大丈夫ですか? >>127
> >>122
> え?このスレは「幽霊肯定派のためのスレ」で
誰がそんなこと言った?
>否定派は「幽霊肯定派のためのスレにやってきて肯定派に絡んでいる存在」なの?
否定派じゃなくて「ホログラム派」の話な
> 「肯定派と否定派で議論するスレ」なのだから、「幽霊説を否定する別の説は他で勝手にやれ」はおかしいだろ。
違うな。「幽霊以外の話は他でやれ」だな。
言っとくが「ホログラム説」じゃ幽霊は否定できんぞ。
いや別にさ、幽霊関連ってことで一応話してもいいんだけどさ、に はうるさすぎて他の話が聞こえないんだよ。
皮肉として機能してるならまだ意味があるけど、に はただの駄々っ子だもんな。 >>148
もしこれを「仏教行事」と思っている人が居ても、それはこれが「仏教行事である」ということを示すものではありませんよ。
わかりますか? >>157
土着的な宗教儀式の意味合いを含むから、ですね。 >>159
あの世=死後生と、幽霊は無関係ですか? >>160
風習である根拠が担保されていないのだから、風習ではなく仏教行事ですね。 >>161
否定派からすると、死者の魂だの死後生だのといった「存在する信憑性の低い仮説」がうるさいんだよね。だから、やめてくれる?
といわれて、やめるの? >>148
>(仏教徒以外がやらない理由でもある)。
どちらのクリスチャンがそう言ったのですか?
クリスチャンは、それが相容れない「宗教儀式」だから行わないのですか?
それとも、相容れない「土着的な風習」だから行わないのですか?
はたまた、他にすることがあるし、大して面白そうでは無いから行わないだけですか? >>167
だから否定派じゃなくて「ホログラム派」の話だっつってんだろ >>149
>個人が行なう純粋な宗教行事か、社会慣習を含む公の宗教行事かの違いがあるのだから、一致する必要がありません。
伝わりませんでしたか? もし地鎮祭が「宗教行事」でも、「送り火」が宗教行事かの司法判断は存在しないので、
両者の公的評価の一致性が示されないままに、地鎮祭の司法判断だけ例示しても、「送り火はまた別の話だよね」で済むのですが?
今度こそ、わかりますか? >>150
>>151
やっぱりキレてたんですね。そんなに気に触ることでしたか? に は「幽霊体験を科学的に検証するスレ」とか建てればいいんじゃないか?
そうすれば建てた人がルールだぞ にとこの肯定してんのかよくわからんやつは同一人物だろ
だから建てるなら「にと自分の中のもう一人が徹底的に語り合うスレ」を作ればいい >>153
>念のために尋ねますが、関係無いとわかっていながら質問しているんですよね?
どれくらいの知識の量かではなく、どのような知識であるかが肝心であることは分かっていますが、
その割にあなたが「神主は、地鎮祭の宗教的意義などをしっかりと学び、宗教儀式として…」と
あたかも知識量にも重きを置いているように読めたので、一応の確認をしただけですよ。ご迷惑ですか?
ちなみに送り火を行う人の意識は、「文化(風習)的」な意識はあっても、仏教的意識とは言い難いというのが私の主張ですので
それは地鎮祭に於ける神主の意識(宗教的意識)と並列に語れないものと考えます。いかがですか? >>155
>迎え火や送り火に、社会慣習や文化的意義が大きいのなら、仏教徒以外にも広がっているはず。
>だが、仏教徒以外には広がっていない。
神道でもそれら風習を取り込んでいて、新御霊祭の中で迎え火や送り火をしますよ? ご存じないですか?
特定の宗教に依らない、つまりもともと宗教的行事ではないということではありませんか?
>なぜですか?
「宗教が異なるから」というよりも、「風習の意味合いが教義と相容れないから」ではありませんか?
クリスチャンがこれを宗教行事と見做すなら、玉串訴訟や地鎮祭訴訟と同様に「五山の送り火」も訴えたのでは?
彼らが訴訟を起こさなかったのは、なぜですか? >>163
>土着的な宗教儀式の意味合いを含むから、ですね。
教育の甲斐がありました。即ち、「仏教」ではないことは理解できたということですね?
これまでの「送り火や幽霊は仏教的観念」という妄言は取り下げますね? >>141 >>164
解答になっていないレスに安価貼っても、逃げてる印象しか与えませんが宜しいですか? >>165
>あの世=死後生と、幽霊は無関係ですか?
区別するべきものと書きましたが、読めませんでしたか?
「死後はあの世に行く(あの世の肯定)」から、霊は「この世には残らない(幽霊の否定)」というように、仏教では否定的な相関関係にありますよ。
あなたは、あの世と幽霊が、相互に肯定的な関係にあると思ってたのですか?
宗教に興味が無いあなた故に仕方ないですが、ちょっと理解が浅過ぎませんか? >>166
>風習である根拠が担保されていないのだから、風習ではなく仏教行事ですね。
仏教行事=風習である根拠が担保されていないもの、ですか?w
それを言質として構いませんか? >>161
>言っとくが「ホログラム説」じゃ幽霊は否定できんぞ。
ホログラム説自体はユニークですが、彼のセンスでは幽霊肯定説を否定できないですね。
むしろ、後押しをしている。
そこに気付かないのがお笑いなところであり、気の毒な所でもある。 では、スパモン教談義に戻りましょう
>>83
なるほど、これを見てもあなたの「皮肉」がなぜ失敗してるのが、よくわかりますね。
創造論やID説論者は、それがスパモン教と並記されることを嫌がるでしょうが、
幽霊肯定論者は、持論と宇宙人ホログラム論が併記されても、全然構わないのですよ。
なぜか分かりますか? 創造論とスパモン教は、唯一無二の創造主(神)の存在性を争点としている。
つまり、「一つの椅子」を巡って、互いに共存する余地無く、否定し合っている。
しかし、あなたの宇宙人ホログラム論に「神」は居ない。
あなたに「幽霊現象は全て私たちがやりました」と「全面自供」を行ったのは、所詮は「一宇宙人」でしかないのです。
分かりますか? それが「神」なら兎も角、彼が単なる「一宇宙人」でしかないならば、彼の語る「生命の真理」にどこまで信憑性があるでしょう?
その宇宙人氏が大風呂敷を拡げ、真実とは異なる「嘘の自白」をした可能性(便乗犯、模倣犯)を、あなたは否定出来ますか?
神の神言で否定されたなら兎も角、一宇宙人の弁では論争にならない。
あなたがズレてるのは、そこです。 もしこれが「一つの椅子」を争っているケースなら、存在Aに存在Bをぶつける「皮肉」にも効果はあったでしょう。
しかし、我々幽霊肯定派は「一つの椅子」を主張しては居ない。
そこがあなたには、見えていない。
中には「宇宙人による幽霊現象」が有っても構わないですし、証明性の無いレベルで宇宙人が何を「自供」しようと問題無い。
言うなれば、「そういう与太話をする宇宙人も居るんだね、ヘー」という感じです。
しかも、もともと我々は超自然現象全般に好意的ですので、あなたが宇宙人との遭遇体験を力説してくれることは、むしろ大歓迎です。
我々の敵は、幽霊や宇宙人といった超自然的存在を認めず、全ては自然科学的現象とする【否定論者】ですからね。
あなたが宇宙人に会ったと言い張る限り、我々の幽霊にあったという主張は揺らがないのです。
如何ですか? 今日会社で女子が幽霊を見たって騒いでた
何でもトイレから出たらガラス窓にブルーのワイシャツ姿の男が見えたんだとか
まぁ女性の話に加わるわけにもいかないし、女子トイレの様子も
わからないんで、何とも言えんのだが、別の年かさの社員(♂)が30年ほど前
会社に泊まった時、廊下をばたばた走る音を聞いたと言ってた
ビルを建てる時、作業員が死んだことがあるらしい
まぁ、俺は見たことないんで何とも言えんが、あんま残業したくないなとは思った 「に」自身が宇宙人ホログラム説を信じてなんかなくて
何の客観的根拠もない与太話の象徴として使ってるだけ
だからこそしょっちゅう超能力者だの異次元人だの
他の胡散臭いネタも気軽に引き合いに出してくる
そして趣旨は宇宙人ホログラム説も幽霊実在説も
客観的根拠の希薄さにおいて同程度の取るに足らない与太話だって主張
つまり幽霊の実在性に関しての根拠は自作のデタラメ話と同程度だって皮肉
スパモンの手法とズレがあっても別にどうでもいいと思うけどな
ただただ正面から直接否定するのではなく
同程度にくだらないと考えられる荒唐無稽な主張をカウンターに使うって点で
スパモンと類似する手法だって言われてるだけなんだから 「お前も同じことやってるだろ」の範囲でやるからカウンターになるんだぞ。
幽霊肯定派「宇宙人は幽霊を否定できないし、幽霊は宇宙人を否定できない」
に「宇宙人によって幽霊は否定された」
これをカウンターとは呼ばん。 だから「に」が言いたいのはただ単に幽霊実在説には客観的根拠はないとただ単にそれだけの事
それを自分がテキトーにでっち上げて強弁する説と同程度の信憑性しかないって皮肉で表現してるだけ
その際に幽霊実在説の便宜上の対抗馬つまりカウンターとして使ってるのが宇宙人ホログラム説だって話
別に厳密に相手を否定しあう説だって話じゃないわいな キチガイにかまうなバカ。
毎日、時間帯を問わず、連投してるキチガイにかまうな。
バカ。 >>189
読解力が無いのか、意図的に難癖つけてるだけなのか・・・
幽霊肯定派「幽霊現象は全て宇宙人のホログラムで説明できるというなら、
宇宙人が地球に存在し、幽霊現象を宇宙人が引き起こした根拠を示せ」
に 「幽霊現象を幽霊が引き起こした根拠を示せ」
どちらも明確な根拠が無いではないか
というカウンターのために宇宙人をネタに使っただけで、
実は宇宙人の存在も信じてはいない。
幽霊を信じていないものは、一般に宇宙人の存在も信じてはいない。 厳密に否定する説として「ホログラム説」を持ち出してるから意味不明なんだよ。
気になるなら過去スレを読み返せばいい。
明確に「宇宙人が幽霊を否定したから幽霊は居ない」って言ってるからな。何回も
もちろん本意は分かってるぞ、
でも、あいつは「ホログラム説」の使い方がいちいちおかしいんだよ。 クソ冗長で中身の無い話を読む根気があるならだけどな。 常温原子転換
常温位相転換
常温瞬間移動
常温反重力
全て常温プラズマで可能 幽霊の実在と宇宙人の実在が本来は相互に否定しないのは理解してる
多分だけど「に」だってそれ自体は理解してると思う
ただ「に」は「幽霊と呼ばれる下怪現象の正体について」のみを言ってるんだろうと思うんだわ
だから幽霊の正体が「宇宙人」だとは言わず
あえて「宇宙人のホログラム」と言う持ってまわった様な言い方の説を推してるんじゃないかな
少なくとも「に」にとっては「幽霊現象の正体は宇宙人のホログラム」だって説は
幽霊実在説論者に「それもあるかも」とは思わせないだろうと考えて創った説なんではないかな
実際これまで自分が読んだ範囲では「それもあるかも」と同調や理解を示す人はいなかったと思う
完全否定はされてないにせよ受け入れられもしないつまり消極的否定をされてると考えてるからこそ
また直接は否定しようのない主観や個人的体験談による肯定派の論拠提示へのアンチテーゼとして
「宇宙人が幽霊を否定したから幽霊は居ない」って言ってるだけなのでは?
本意が分かってるならそれで理解出来ると思うんだけどな
まあそれもこれも全部自分の勝手な推測だから当たってるかどうかも確認出来ん事だけど
以前に「に」に尋ねたらそんなアンチテーゼや皮肉で言ってるんじゃないみたいに否定された事もあるしw そもそもこのスレは必ずしも証拠は必要ないスレっぽいんだよ。
科学的客観的証拠の話な。
で、には「証拠の無い話は一切するな」みたいな主張してたわけだが、ある日その立場と主張のまんま「ホログラム説」を始めてしまった。
具体的に言うと、「ホログラム説肯定派」として証拠がどうしても必要だと延々と主張し続けてしまうわけだ。
でも、そもそも「ホログラム説」に証拠が無い。そんな「ホログラム説肯定派」が「証拠が必要だ」って立場だと自己矛盾を起こすよな。
そんな証拠証拠言うんだったらお前が先に証拠持ってこいよwって言われるわけだ。
で、>>193 みたいなことを に は主張し始める。
この辺でまずおかしいだろ?
>>198
そこまで考えてないと思うが。
まあ、あんたが分を弁えて主張するならおそらく俺は文句言わない。 で、幽霊肯定派と「ホログラム肯定派」はどっちが先にみたいな話をするが、まあ幽霊肯定派がもともと「証拠あっても無くてもいいよ」みたいなスタンスだから、に の話は受け入れてもらえない。
そこでしびれを切らした に が考えたのが直接的に批判すると言う荒技。
「宇宙人が「幽霊は全てホログラムだ」と言ってる。だから幽霊は存在しない」って話だな。
なかなかに暴論だろ?
もうここまで来ると、当初のパロディは意味ないよ。 別にここまで長引かなければ流してたけどさ
に はもう半年くらいやってんじゃないかな?これ。
さすがに鬱陶しくて >>189
仰る通りです。私は「に氏」が宇宙人に会ったことについては否定しません。 >>191
彼がカウンターのつもりなら、こちらが放ったのはクロスカウンターといったところでしょうかね。
彼は迂闊に「自己体験(宇宙人に会った)」を自説の根拠に据えたので
同様に「自己体験(幽霊に会った)」を根拠とする幽霊実在説を否定できなくなった。
まあ墓穴を掘ったわけですよ。 >>193
>宇宙人が地球に存在し、幽霊現象を宇宙人が引き起こした根拠を示せ
いや、私は彼にそのような「根拠」など求めていませんよ。
彼が宇宙人に会ったこと、その宇宙人が「幽霊現象は全て私たちがやりました」と自供したことは、私は信じています。
その上で、私が彼に根拠を求めているのは、その宇宙人の自供を「信用性有り」とした根拠です。
宇宙人が言ったら、それは真実…ですか? スパモン教が創造論に対して有効な皮肉となっているのは、両者が共存不能な対立概念にあるからです。
即ち、「唯一神 vs 唯一神」だからこそ有効な皮肉。
それを彼は、「幽霊 vs 宇宙人」という、もともと対立概念に無い者同士でやろうとしたのが失敗なのですよ。
宇宙人が居ることは、幽霊を否定することにならない。
そのジレンマを埋める為に、彼はそこに「宇宙人が幽霊は居ないと言った」という話を盛り込んで、
無理くり対立構図を仕立てたわけですが、
そんなものは、「宇宙人は果たして本当の話をしたのか?」という疑問が解消されない限り、何の意味も無いわけです。
幽霊を倒したければ、幽霊の対立概念(その存在が認められた時点で幽霊を全否定出来るもの)が必要です。
幽霊実在説に対して、宇宙人も、「に氏」も、力不足と言わざるをえません。 >>206
幽霊肯定論者とホログラム論者の机上(論理上)の対立であって
幽霊/ホログラムの実在の有無の対立ではないだけ。
現状、どっちも根拠は無いんだから、そこに長々とレスを費やすのは不毛だと思うよ。
まあ、そのうち、少しでも客観的に根拠を目指す方向のスレ&文化/社会的派生議論と
このスレみたいにその人が幽霊って思ったら何の根拠もいりませんスレと
分けたら? 宇宙人のホログラムなんていうのは語っても語らなくも存在しない
幽霊は見て語れ 見ずして語るなかれ 「幽霊は本当にいるのかいないのか?」を議論するスレにおいて、「幽霊のようならしきもの」の現象の遭遇に始まり、「宇宙人のホログラム」ではない、その「幽霊のようならしきもの」は
幽霊であると判断出来るに相応しい、目撃者自身、目撃前から知り得ないその幽霊の元情報の当該故人魂情報を目撃者は探偵など介さず自身の霊能力に含まれるとされる推理力で
故人情報を得た事象が存在することからも、本当に幽霊は存在するという主張は当掲示板においてのこのスレタイの趣旨に沿ってるという事になる。 幽霊がいないという証明はキリがないが、
幽霊がいるという証明をすれば、否定派の意見を全て一掃できる 居る、存在するとは何か?
瞬間的に原子転換、位相転換、瞬間移動などをする、
形而上的曖昧な「存在」に対して、存在・非存在を問えるのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています