死後の世界が気になる
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
死んでも死後の世界が待っているかもしれない。
それに自殺したら地獄に行くっていうし。
死んでも死後の世界で生きなきゃいけないなんてどうしよう。 >671
何か人の為・社会の為に良い事を沢山したのか?
それなら楽しみだろうが
そうじゃなかったら楽観し過ぎ 遊園地には様々なイベントが用意されている、開園までに何に参加するか、ある程度シナリオを決めておいて入園する、そして開園から閉園まで遊園地で過ごし、シナリオ通り出来た事と出来なかった事や、再度参加したいイベントの事を思い、閉園後はリピーターとなる
世界には様々なイベントが用意されている、生まれるまでに何に参加するか、ある程度シナリオを決めておいて誕生する、そして生から死まで世界で過ごし、シナリオ通り出来た事と出来なかった事や、再度参加したいイベントの事を思い、死後はリピーターとなる 物理的に制約のあるこの世界で魂の修行をするのが私たちの目的なのです リピーター=依存症=中毒患者
中毒患者は輪廻したいのさ
最後は輪廻転生したい為に輪廻転生する
マッチポンプとか。どうしようもないね。 のほんと何にもしないで呑気に生きてたら死んで後悔する。
其の事に気付かない人無視する人が多すぎる。
何れは帰るあの世でポジションアップし目指して生まれて来たのに
何もしないでいて、世俗に塗れ極楽行願うのは虫が良すぎるわ
嬉しい事にあの世は誰でも人的社会的貢献に励んで徳を積めば
↑の世界に往かれる。
鈍重な肉体の束縛から解放され歓喜する事だろう
肩書きなんて関係ない。
頑張れば誰でも
反発反論する御仁は知らんで〜
自由意志は誰にもあるからその結果責任は本人に帰す。
死は誰にも免れない。
直ぐそこに死が待ってるかも知れんぞ 一時的な魂の修行として、この物質界を作ったものの。
帰り方を忘れてしまった、とは言われてるね。
本来の目的、動機を忘れてぐるぐる回り続けている。
そういう意味では、>>675の言葉は的確だね。 >あの世でポジションアップし目指して
あの世にポジション(上下関係)なんてあるのかね?、まあ無いだろうさ。ポジションアップなんて思ってしまうのは俗世的欲望依存症になってしまってるからさ。洗脳されちまってんのさ。 仮にあの世でポジション(上下関係)を決めるなら、「自我」の薄い者順だろうよ、究極の最高位は「自我」の意志が無い者、「自我」が消えて無くなった者、つまり「無」だろうさ。当然「無」は遊園地に入園したいとも思わない。「無」以外が遊園地のリピーターになるのさ。 まあ、こういう事なんだろうよ
「自我=業=シナリオ」
つまり「自我」が残ってる限り「業」も「シナリオ」も残っているのさ。まあ「自我」を「本質」から分離出来れば「自我=業=シナリオ」を無視する事が可能となり、ショートカット出来るかも?とかね。
ではそもそもの「本質」って何?なんやけど、いやそんなんも要らんし!
なんやけったいな世界やで本間に。 「自我」が無くなるってのは、物理的な死とは別なんだよ、一般的に言われている死ってのは肉体が死ぬ事であって「自我」はまだ在るのさ、そんで「自我」に溜まっている思いという記憶が、それ相応の思い通りにシナリオとなって輪廻するんだろうさ。
「自我」の思いが無くなった者、もしくは「自我」から分離出来た者、「自我」に操られなくなった者だけが、輪廻しない。そんで希に「自我」に操られなくなっていて、かつまだ肉体の死が訪れていない者が居る、それらを「覚者」というのだろうさ。
また変な事書いもうてるわね。
まあ、独り言さ。 若い時は世俗に染まるの仕方ない
リタイアしたら生き方変えないと
わいは生き方を変えて2年弱。
残りの人生を
マイナスからせめてプラス・マイナス0位まで戻して
逝きたい。 ここで書いてる連中は、
ブルーアイランドとかSP本読んで
霊的知識持ってるのか?
何の知識もないのに、ああだ、こうだ
無意味不毛
人生短いよ 「自我」に操縦されてるのが一般人、「自我」を一つ上の次元から操縦しているのが覚者、その覚者を操縦しているのがもう一つ上の次元の覚者、そのもう一つ上の次元の、その上の…、その上の…、究極の覚者は操縦なんて事もしない、何もしない何も無い「無」。なーんてね。
だから俺もまだ「自我」に操縦されている
一般人なのさ、「自我」に操られている、
言わばゾンビなのさ。さてどうなるものかね。 むかしは、筋トレに勤しんで肉体改造に励んだ。
歳とって肉体が衰え故障も
結局無駄な肉体トレーニングだった。
肉体は死によって無に帰す。
しかし、アストラルボディー、あの世でも必要
その奥の宮スピリチャルボディーは不滅
それらを発達させる為に娑婆に降りて来てる
これらを発達させる為には黄金律の実践、利他貢献しかない。 其々の自我の思いが其々の業(シナリオ)なのよ多分。シナリオを消化して思い残す事なく終わらせる(新たな業は作らずに)か、「自我」を分離操縦(出来ないけど)してシナリオを無視するかだと思うのよ。其々の人の今の境遇と思いが其々の人の業(シナリオ)そのものなのさ。
そんなもの他人は分からんし知らん、ていうか、それが其々の人が前回の思い残しで作った、その人がやりたかった業(シナリオ)だろっての、どうすればシナリオを終わらせれるかなんて其々の人によって答えは違うんだろうよ、そんなものどうなろうと自己責任よ、俺もね。
自灯明ってやつしか無いのだろうさ。 まあさ、逆に言うと業(シナリオ)を終わらせたく無ければいつまででも遊園地のリピーターになればいいのさ、恩を売りまくった状態で一旦閉園すると、次回入園した時には恩を返されまくる業(シナリオ)が待ってるかも知れないしね、さあどうなんでしょうね?、知らん。 子孫繁栄がどうたらこうたら言ってる人は、要はリピーターなのよ、この遊園地に遊びに来る事が好きなのよ、でなきゃ子孫残す訳ないだろっての、子孫が繁栄するかどうか気になって仕方がない思いを残すので、次回はその思いに沿った業(シナリオ)の輪廻確定だろうさ。 だから釈迦は、ややあやしいんだよね、子(ラーフラ)は父(釈迦)への思いを忘れる事が出来たのか残っていたのか、妻は夫(釈迦)への思いを忘れる事が出来たのか残っていたのか、釈迦自身は誰への思いも忘れる事は可能に成っていただろうけどね。
誰かからの思われが残っているなら、次回もお付き合いでリピーターしなくちゃならんのかもよ。だから目立つ者はシナリオを終われないのさ、釈迦やキリストは死んでから何年経っても様々に思われている、この調子だといつまで経っても「無」には成れんのかもよ。まあ憶測さ 死ぬのが無念だって念という思いを残して死んでも、そんな業(シナリオ)に沿った輪廻確定だろうよ、次回その人がやりたかった思いに沿った輪廻をさせてもらえるさ。
考え様によっては優しい世界だろう、この世界はそんな風に何でも思い通りなんだぜ、そう思いませんかってね。俺はもう沢山なんだけど。 「シュレーディンガーの猫」の入った箱の
蓋を開けて観測したくてしょうがない人達 この世は偶然誕生しただけであって死後の世界などないことに気付いてしまった
偶然の連続で人類が誕生したんだよ 偶然なんて無いんだよ。
宇宙は、原因⇒結果の連続で成り立ってるんだ。 この世は、善人、悪人、聖人、愚人、賢者、怠け者、働き者、ペテン師、
求道者、無頼漢、助平、お釜、お鍋、ゲイ、中性、ホモ等ごった煮世界
あの世は、同じレベルの奴しかいない。
無頼漢なら無頼漢がてんこ盛りでその他の賢者etc は、誰もいない。
生きてる間に善い事して於かないとトンデモナイ世界に逝く
これ真理。
疑う人はどうぞ^^
後は知らんで〜 確かに何でも本当の事言えばいいってものでもないよな。
津波や震災で家族を亡くした人が「家族の霊を見た」って言っても「それはただの幻影ですよ」って
教える事が必ずしも正しいとは言えないだろうし。
死後の世界は本当はなくてもあるって事にしておいた方が好き勝手する奴をある程度は防げるだろう。
詐欺やカルトに利用されるという諸刃の剣的な側面はあっても、やぱり観念論は必要かな。 >>698
悪人、ペテン師、無頼漢、
↑この団体の中に混ざるのは論外。
求道者、働き者、
↑この辺りに所属するとしんどそうだな。
善人、聖人、
↑この団体は意外と居心地ウザイぞ。
助平、お釜、お鍋、ゲイ、中性、ホモ等
↑こんなのは趣味の問題、まず無い。
愚人、賢者、怠け者、
↑残るはこの3つだが
怠け者の団体が一番お気楽かもよ。 世の為人の為に何にもしないで
わがまま好き放題で生活して
死に際し
極楽往き願う御仁が多すぎ
虫が良すぎる 神様仏様神様仏様神とお願い極楽往生願い他力信仰しても無駄
良い行いもせず神仏に願掛けしても駄目
自力(良い行い)をしないと極楽往生は出来ません
と、長尾弘氏は言われた。
釈尊も入滅に際し自灯明、法灯明で精進しなさいと弟子に言われ ⇒自力信仰
我は拝む対象にしては駄目と遺言した。⇒他力信仰
死後の世界が気になるなら是非 どんな環境が居心地いいのかは
各々の個の周波数の違いが問題なのかもよ?
同じ周波数の環境が居心地いいとかね
よく言われている類友みたいな話さ
自分と同じ周波数の環境では自分の周波数が重なって消えた様になるとか?
さあね、わからんけどよ 特別な良い事もしないけど、悪人でもない善良な市民
みたいなのが大半だと思うし。
俺もそんな感じなんで、皆んなと同じ世界に行ければ
それでいい。
あんまりキラキラした世界なんて、つまらなそうだし。 人なんて遺伝子の入れ物に過ぎないのに魂だの霊魂だのって考えてしまうのは知性が発達したからなんだろう。
生命は循環する。それだけだ。死後の世界?そんなものないない。 >703
確かに自分に合った周波数レベルはあるだろうね
無理に高い周波数帯に合わせると苦痛だとか
>704
↑の世界行けば行くほど魂の自由度が増し
遣りたい事、知りたい知識で興味尽きないらしい
>705
ま、それでもいいさ
ただ悪さしないで全うな人生送れば
それなりの世界往くでしょ 善人と悪人は一対、善人に成ろうとする集団は、同時に対極である悪人の集団を生み、お互いの集団が其々我等の集団こそ善人の集団だと思い込んで互いに争う。この世界の終わり方は最終戦争による絶滅だね。賢者と愚者も一対、似たような世界の終わり方かもね。
ペテン師や無頼漢みたいなのは集団にもならん、この世界の終わり方は、終わるべくして終わる、終わる方向へ進むのみかな。
求道者の集団の世界の終わり方は、最後に求道する意味が無い事に気付いて終わる、その時、少数は聖人に成る、聖人の集団の世界の終わり方は、退屈して俗世に堕ちる者と、極少数は振動しなくなり完全な「無」となって終わる
働き者は周波数が高く小刻みに振動し続ける集団、この対極が怠け者集団、周波数が緩くゆったりと振動する集団、
ガンガン振動し続けたいという思いと、停止したいという思いの対極だね、
働き者は、善人集団か悪人集団へ進み、怠け者は求道者へ進むかもね。 それなりの世界も何も死んだら終わりだからどこに往くという事もあるまい。 頑固に否定ですか
人の考えは変えられない。
自ら変わるしかないね
それは、余命幾ばくもない頃だろうね。
それでは遅いと思うが・・・ 振り子は慣性で振動している
ゆっくり振動している振り子は、そのままゆっくり振動していようとする
はやく振動している振り子は、そのままはやく振動していようとする
止まっている振り子は、そのまま止まっていようとする
そう言やあ、100台のバラバラに振動していたメトロノームが徐々に同調するって実験、あったよね。何か関係あるかね… 人間より寿命の短い生物は、人間より振動がはやいのだろうさ、こと生と死の振動においてはね。まあ、この世界に存在するには、ゆっくりだろうがはやくだろうが振動していないと存在出来ないのだろうよ、つまり存在とは振動の事
振動自体に実態は無いからね、だから全ては幻なのさ。
みんな振動を止められない踊る阿呆なのよ。 真理はそうだとしても人間は考える生き物だからそんなに簡単に悟って生きれない >>706
>↑の世界行けば行くほど魂の自由度が増し
>遣りたい事、知りたい知識で興味尽きないらしい
善行を積めば↑に行けます、って事とリンクしないよね
その話。善行関係ないじゃん。やりたい事とか、知りたい欲求とか。 物的振動は死後の世界とは無関係
問題は心的振動の高低
死後の世界の振動数が
高いエネルギッシュな方へ往くか⇒ 天国・極楽
低い鈍重な方へ往くか ⇒煉獄・地獄
それが問題
それを決めるのが現世での行いの
善し悪し 「振動=存在」よ。存在が振動しているのではなく、振動が存在なのさ。なので、振動数が高かろうが低かろうが、意志を持って存在している(振動している)者は全部幻であり、みんな鏡の世界で振動している、踊る阿呆なのさ。
何者か知らんが、もし上部に居て下部を意志によって操作している何者かが存在しているとするなら、その存在の方が余程タチが悪いだろう、そうは思えませんかね。まあ、そんな意志も鏡にやり返される振動に過ぎないんだろうけどね。
だからさ、ゴールは意志の無くなった「無」しかないと思うね。知らんけど。 生きてるうちに良い事すれば天国に行けるという事にしておいた方が善行を働く人間が多くなって
その方が社会的にも良くなるという事はあるかもしれない。
何の根拠もない事を既定事実であるかの如くふれまわる事に対してはどうかと思わんではないが。 思い切ってもっと簡素化して表現してみよう、今思い付いた簡素化表現だ
「意識(顕在意識)=自我」だ、
これは俗に言う「善悪の実」を食べた事で発生した、あれを食べなければ「顕在意識」は無く「潜在意識」のみだった。よって「自我」も無かった。
「顕在意識=自我」がある事で、
物事を善と悪(好きと嫌い)に分けてしまうようになった、だからあれを「善悪の実」と表現したのだ。「潜在意識」だけの時は、善も悪も、好きも嫌いも、生も死も無く、ただ在るだけだったとね。 どうだろうね実際、人間以外の生物は潜在意識だけて生きているのかも?って思ったりね…、ちょっと思い切り過ぎた簡素化か?ね、どうだろうね。
太陽に顕在意識があったとすると、他の動物達や植物達に顕在意識があったとすると、ウザイだろうぜ、きっと。其々が善悪や好き嫌いで動かれたとすると、ウンザリするよな、要するに自我(顕在意識)がイラナイものなんだろうさ。そう思う。 シュレーディンガーの猫の入った箱の蓋を開けると、猫は生と死に分かれる。善悪の実を食べると物事が善悪に分かれる、あの話と似てる。要は顕在意識で認識するから分かれるとか?。ところが困った事に人間は、顕在意識こそが
自分だと思い込んでいるという。笑うね。
笑っちゃう盲点、良く出来たマジックに騙されている感じか?。こういう事かもよ→「シュレーディンガーの猫の入った箱の蓋を開けるな=善悪の実を食べるな=顕在意識で認識するな」ところが人間は顕在意識で認識しちゃったので堕ちたとか。
ていうか、人間は顕在意識で認識したくってしょうがないのよね、なんせ顕在意識(自我)こそが自分だと思い込んでいるのだから。眠っている時以外、顕在意識オールONなのよ。笑うね。
まあ、憶測さ。戯れ言…戯れ言…っと。 >717 何の根拠もない事・・・・
>>いやそうとも限らん
この世は物質界(言い方変えれば霊的波動を最低限まで落としたら物質になるらしい)
だからエネルギー的には一番低くい。鈍重でその極が絶対零度これが一番鈍重になるだろう
その鈍重ゆえ物事が変化するには大なり小なり時間の経過を要する。
光の速さでも地球7周りでしかない。
心・精神(想想)ならシリウス星だろうがアンドロメダ大星雲だろうが一瞬でイメージ出来る。
今は鈍重なこの世(物質界)に生きてるから死後の世界の霊魂の俊敏さが体感出来ない
如何してもこの世の基準で物事を推し量るからそう思うだけだよ。 例えが分かりにくい?
心・精神(想想)ならシリウス星だろうがアンドロメダ大星雲だろうが一瞬でイメージ
出来る。
↓
鈍重な肉体を脱ぎ捨て高エネルギー高周波数状態の霊魂になれば何処でも一瞬に行けるだろう
また物事が一瞬に変化すると想像できる。 悲しきかな人間はこの世を探るセンサー五感しかない。
これは死後の世界を遮るバリア―も兼ねてるとか
霊感が有れば・・・ ____---_-_--_-_-__-___-_-----_--_-_-__-_---___---__--_-_-___---___--_-___
-_-_-___---__-_____-__--__--_-__--_-_----_-___-_-_-___----__---_-_--___--
_-_-___-__-----__--____-_______---------_----_-_--_-__---__--__-___-__-__
__--_-----__-_--_-__--__-_---_--_--_-_-_-__--___-____-_-_-_____--__-_--_-
__---_--____-_--__--_____-__-_--____--_--___--_-___-_-_-__------_----__--
--_--_---_---__-__--__--_____--_--__-__---__--_-_---______-__--__-__-__--
_---__-__-__-__-_-___-_-__-_-_----_----____--___-_-_-_--_____-_-_---_----
--___--_-_-_-__-_---_-----_--__-____-_--__--___--__-__-___-___----_--__-_
-___-_-_-__-_-_---_--_-_-_--_----__-_____-__------____-_-___-__-_-___----
----___-___-_-_-__-_-__-_-__-_---__-_-___---_--__--__-_-__-__-__-----__--
__--____--------_--___--_-__---___---_--_-____--__-___---_-__-__-____--_-
_-___---_-__-_-_-______--____----___----__--___-_-_-_-_-__-___-----_-----
----__-_-_-_---_--_-_____--__-_------_-__--_-__----_-__-_-__--__-________
----_----___-___---_-_____--_-_-_-_____---__----_____-_-____-------_-_-__
_----__-___-_--__-____----__--__--____-----_-__----___--_---_____-__-_--_
_____-_-__--__-_-___-___--------_-_-___---___----_-____--_-_-_----___--_-
----____-_-___-_--_-__---_-_-_________-__---_-_---__--__-_---__---_-__---
_--__--_-__------____--_-__--___---_---__-__-__----__-_-__--_-___-___--__
-_____-__-_---____-----_-__---____-_--_--_-__-____--_-_-_----___--_-__---
---___-_--_-__--_----_--________--_---__--____---__----_-__--____-_-__--_
-_-__-__-____--_-_-__-______-__-_--_--___-_-_--_-___--__------_-__-------
--_-_---_-___---_--__-_____-_-_----__---_-__-__---_-___--__-_-_--___-_-__
-___-_---__-__----__-_-__---_-_-_-______-_------_-------____--_____--____
___-__-___-_--_-_-_--_----___-______-_-_-_-_--_-_---_--____-_---_-_-_----
--__-_--__--__--_--____---_-_-____-_---____--___-_-__--_-___--_--__--_---
_--____-------___-___-_---_-_-_--_-_____-_--_____--__-__---_----__--_-__- 「存在していたい=振動していたい」なのさ、吸うと吐くの振動、食と排泄の振動、進化と退化の振動、発展と衰退の振動、生と死の振動、創造と破壊の振動、好きと嫌いの振動。
ではいったい何が存在(振動)していたいのか?それは自我(顕在意識)さ。
自我が在る限り自我の思い通りに輪廻は続く… バチャルリアリティーロールプレイングエンドレスゲーム、操作するキャラクターが自我、自我に纏わるシナリオがエンドレスに展開してゆくゲーム、プレイヤーはいつしか自分をゲーム上のキャラクターである自我だと思い込んでしまった。 操作しているキャラは肉体ではなく自我(顕在意識)さ、肉体はゲーム内のキャラ(自我)が雑貨屋で購入した乗り物みたいなもんよ。だから肉体が死んだぐらいではゲームは終わらん。逆に言うと肉体が死ななくても、自我が死んだら終われるかもよ?。終わりたければの話。 自我が死んで消えて無くなったにも関わらず、まだ肉体が生きている者が居るとするだろう、ではその者は何の意志で動いていると思う?、たぶん潜在意識よね、これを聖者って言うんだろうさ。
そんで潜在意識の個性すら無くなった者、これで動いている者を神の意志で動いている者、現人神と言うのだろうさ。とまあ、ここらで一旦俺の考察終わりぃ〜。 神とか聖者が現世に存在したとすれば、たまたま自我から解放されるタイミングが現世だっただけの話だろうさ、自我から解放後の肉体余生を意志無く漂っているだけ、神や聖者に成っている者が態々現世に現れ様とは思わないよね、なんせそもそも意志が無いんだから。 このウタの意味は
きっときっと、伝わんない
伝わんない 自我の意志というゴミを綺麗に掃除して
自我が無くなった後の肉体の殻「○」に
「・」が入って「○に・」とか… まあ、そうなりゃ嬉しい事も楽しい事も何も無いんだけどね、自我が無くなっているのだから感情の振動もないよね、「○」の中に詰まっていた自我の意志というゴミが「・」という、別物に入れ代わっちゃうのだから、もはや別人に成っているのだろうさ。 我を忘れていたなんて経験あるだろ、酒に飲まれてとか、何かに熱中し過ぎてとか、あの時って周りの者に自分がどう見られているかなんて気にもしてない、そんな事意識していないという事、これつまり自我を意識していない(自我を忘れている)という事だよね。
だからあれも一種の忘我の境地なんだろうさ、そんであの時は自我は無い(自我が死んでいる)とも言えるだろ、それでも肉体は生きているし動いてるんだけどね、つまり自我が死んでも肉体は死なない訳さ、実際は自我は死んだのではなく、忘れているだけなんだけどさ。
そんで言いたい事は、自我を殺すとか自我が死ぬとか表現しているけれども、実際は忘れるだけ(意識しないだけ)で自我は無くなるのよ、ただ一時的にそれが出来ても、常時全方位的に忘れる(意識しない)事は難しいんだろうけど。 それが出来ている状態時は記憶にも無いから余計に分かり難いのさ、何かに熱中していて知らぬ間に長時間経っていたとか、夜寝付いて眠りに入り気が付いたら朝になってたとか、誰でも経験してるだろう、あっちゅう間(時間の体感無く)に次のシーンにワープしてんのさ。
だから全方位的に何も意識していない状態の時は、時間も存在(自我)も無いと言えるだろ、この状態の事を無我の境地って言うのではないのか?とね。おそらくこの状態を切り替え可能になっているのが聖者で、常時しているのが神(仮に)の意志で動く者という事じゃね?とか。
でまあ、常時そんな状態の人が居るとして、周りからその人を見れば、普通に時間も存在もあるんだけど、本人からすれば時間も存在もなく、全てがあっちゅう間なんだろうさ、もしくは永遠にその状態で在り続ける人なら何も無い「無」だと言えるかも?とか。 ちょっとおかしな話になってきたか?、俺の中でもスッキリしない。でもいいや、俺にとっての思考のヒント、匿名掲示板(便所の壁)に落書きしとこっと。取り敢えず俺は死後の世界について書いてないよね、生死の無い(生死を忘れている)世界を思い描いて書いてる感じか…。 希望は絶望の裏返し、人は希望だったモノを失うと絶望に反転する(ある者は逆上する)。逆ならピンチがチャンスってのもある。愛が憎しみに反転とかもあるね(これも逆上パターンだね)、こんな風に世界は振動というイベント盛り沢山の遊園地みたいなものなのさ。
ただまあそれだけの事よ。飽きずにジェットコースター何回乗れますか?って話。遊園地では子供が生き生きとはしゃぎ、様々なイベントで振動を楽しむ、親は見守り内心早く家に帰りたいと思っている、お前らまだ振動し足りねぇーのかぁ?子供かよ!と思ってるかもね。
まあなんだ、経験とか年齢が解決する問題なのかも知れないんだが、依存症というものがあるからね、どうなのかさ…? ふむふむ、こういう事かも知れねぇと思った。仮称は何でもいいけど例えば「自然の意志」とか「宇宙意志」とか「神の意志」とか何でもねでまあ仮称「神の意志」として話をすすめるぅ
この「神の意志」で行動しているものというのは、人間の行為で言うなら無我の境地(自我の無い状態)で行動している者なんじゃね?、そんな人は行動していても行動している自覚すら無いんだろうけど。
「自我の無い行為=神の意志の行為」ってね。
そうするとね、要するに自我というものが、神に逆らう者(反逆者)であると認識出来るのよ、だからさ、自我の事を表現した言葉が堕天使なんじゃね?。でさあ、この世界は自我持ちばかり住んでいるだろ、て事は堕天使ばかり住んでいる世界という事なのよ。
あの世界観で表現している天使が堕ちた世界がこの世界、元々天使だった(自我が無かった)俺達が自我を持って神に逆らう堕天使(自我持ち)になったとね。
別の表現で言ってみるなら「○に・」が入って別人になるのではなくて、元々「・」だったのが別人の「○」になっていた、とかさ。
まあ俺の、仮説、憶測、妄想、戯れ言、独り言
でさぁーね。 >>581
素晴らしい。
まさに奴隷をコントロールするためのカルトだ。
都合よく自殺を咎めるカルトを流行らせれば底辺奴隷の自殺を防止できるな。
同じく寿命まで生きればなぜか都合よく地獄に行かないと刷り込めば定年まで囚人のように働かせることができるだろう。
底辺なら根拠のないオカルトやカルトでも本気で信じるだろう(笑)
盲信しない奴には適当にオカルトに傾倒した脳神経外科医の名前や霊能力者とかいう詐欺師の発言でも出しておけば真に受けるだろう。
奴隷に自殺は許されん。
彼らを逃がしてはならない。
奴隷はカルトでコントロールして定年まで囚人のように働かせろ。 >>741
間違えてないが?
糖質オカルト奴隷が噛みついてくるなよ(笑)
ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラwww >>581
まあこいつの言う通りだわな
生物に生まれ変わりがあるわけない
生物が死んだら身体は土に還るだけ >>740
死後の世界の存在がおかしな話になるのなら自殺防止にならないのでは? ---__----_---___--__--_----_--_-----____-___________-_--_-__-_--_-_-__-__
___-__-__---____-_-__-__-_-___-__--_--_--_---_--_-_-_--_-__-____---_-----
__-_--___---_-_____---__---__-_-_----__-----_-_-__--_---___-_-_____-_-_-_
__---___--_-_-__-___-___---__---_-_---_-__-____-_--__-------_--__-_-_-___
___-_--_------_--_--_-__-_-_-_---_____--_---__-_--___---__--____-__-__-__
_-__-___---_-_--_-___---_-_-__----____-_-___--______---_-__--_--_--__----
--____-_____----__---_-__----_--_--_--_--_-___-__--__-_-_-_-_--_______---
--_--_-_--___-_-___--___-----______-_-_-___-__-____-_---__--_--------___-
-__-----_---_-__-_____-_-_-__-_-_---____---_-_--__---____---_______-----_
---_-__-___-_-_-___--___-_-__---___---_-_--_-----__-_--___-_----__-_-____
--__----__--_-____-----_-_-_-_---___--__-_--__--__--_______-__--____--_--
--_-_-__--_-_-_--__--__-___--____-__----__----__-----__-_-_--__-__-_-____
-__-__-_--_-----___--_-___-__---__-___--_-____--_-_____-__----__---_----_
_-_-___--__-_-___--------_-_-_---_----_-___-______-_--__-___-_--_--_-__-_
_----_________---_--__---_--___---___-_-__--_--_-_-_--__-___-___-_-_-----
--_--_---____--__--__-_____---__-_--_--_--__--_-_-___-___-_-_-----_-_-___
-__---___---_------_--__--____-__-_-_-______------__--_____--_-_--____--_
--_-_--_______-_-__--__-_--_____---_--_--_-_-_---____-_--_-_-_---__---__-
_-__-_--___--__-__--____------_--__---____-_------______--_-_-__----____-
_--__--_-_--_-_-__--___-_----___--_-_-___-___--__-__---_-_-_-_-____---_--
__-____----_---_-___-__-_______--______-__-----______-----_-----__-------
-_-_______--______-_-__--_------_--__---_--__-___-----___-___---____-----
_---_-__-__--_-_--_-_---_____-_-_-__--_-___-_--__-_-__---___-___-_-_-----
_-_----__-_-----__-_-______-_-_-_----___----__-__-_--_---_-__--____--____
___-___--___----_------__-_-__--__-___--___-_----__--_____----_---_-_-___
__----__--_-__----_-_-_______-_---_-_---___-___--__-_--_---__----___-___- こんな表現はどう?。海でも湖でも川でも、大きい小さいはあるが水面が波立っているだろ、あの波は水が周りと連動して揺れている、その一瞬を切り取ったシーンなのね、だから波という独立した物体がある訳じゃないのよ、揺れている動画から切り取ったワンシーン。
なのに其々の波が其々の自我を持ってさ、より高く大きい波に成ろうとするのよ、どうせ高見を経験した後は反動で低地も経験するだけなのにさ、ていうか、そもそも君ら全部繋がっている海や湖にある水の集まりじゃん、一個人の波なんて存在は無いのさ。まあ、思い付き。 イメージで言うと、海や湖の水面が波立たなくなった、全ての波が無くなった時、世界の偏りが全て無くなった時、つまり全ての自我達が無くなった時、世界が終わるかも?ね……。 自分が自分じゃない時に自分を意識するのさ、
自分が自分にピッタリ時は自分を意識しない。
このピッタリの時が自我が消えている状態さ。
これは、よくある例え話の
「目は目を見る事が出来ない」や
「今を生きる」という話にも繋がるぜ。
自我は、自分(自我)が自分(本体)にピッタリじゃない時に発生するのさ。
「見えているものは影」てな話があるだろう、
自我が影なのさ、自我は本体ではなく、本体の影が自我なのさ。 では本体とは何か?、となるんだが、これが
「目は目を見る事が出来ない」ってやつで、
本体は本体を見る事が出来ないのさ。
「今を生きる」ってやつも「今しかない」を
ずっとやっていると、本体が本体とピッタリで在り続けるので、自我は発生しない。
その状態時は自分(本体)で自分(本体)を見る事も感じる事も出来ない。だから悟りを認識するのではなく、悟りに成ってしまうと「無」とか「空」としか言い様が無いのだろうさ。
人が「〜したい」と思ってるのは全部自我さ。本体は「〜したい」なんて事は思わないのよ、なぜなら本体は「〜したい」と思う前に既に思った事を思い通りにしているからさ。
"今"を生きているからさ。
まあ、これも全部俺の適当な戯れ言でさぁね。 自我が、何を目指して何をやっても、どんな希望や夢が叶っても揺り戻しがあるだけ、ただ揺れるだけ、ただ振動するだけ。これを徹底的に通観する為に、ジェットコースターもメリーゴーランドも観覧車も乗り倒せとね、そして通観したら諦めろと。
そこに待ち受ける絶望からの、自殺or発狂or悟り、なのさ。自殺してもまた生まれてこの世界に戻って来る、発狂してもその反動を受ける、終わらせる唯一の道が悟りしか無いのさ。
自殺や発狂ってのは、まだこの世界に希望を持っているから起こす衝動なのよ、だからそれでは終われないのさ、希望など微塵も無くなり全てを諦めて自分(自我)さえ捨てて、全てを世界に委ねるそんな境地。 それは唯一自我が消えて無くなる場所「今中」にあるのさ、そこは俗世的価値観からすれば善いものでも幸せでもない、絶対幸福なんてものでもない、ただ絶望が無い場所というだけ、代わりに希望も無い、自分が無いから、揺れも無い、何もない場所、それだけの事。
俺はそう推測するぜ「悟り」の正体とやらをね。要するに如何に絶望しようとも消えて無くなくなれない代わりに、風景に溶け込んでしまえとか、波なら波そのものに成ってしまえとか、イメージで言えばね。
風景が白なら白になれば存在は消える、
風景が黒なら黒になれば存在は消える、
そんな感じかな。
まあ、これもただの俺の憶測さ。 悟り状態ってね、簡単に言ってみると、いつ死んでも何の未練も後悔も無い状態であり続けろって事よ、例え1秒後に死んだとしても、何も思い残す事の無い状態でね。
と言っても死に急ぐ事もないし、逆に生きなければならない事もない、生き死に自体を考えていない、生き死になんて忘れている境地だね。でこれを実行するとなると、必然的に"今しかない"とか"今を生きろ"って状態になってしまうのさ。
ことさら生き残りに拘る必要もなく、勝つ必要もない、勝ち負け自体を意識すらしていない、何かをしたいと思う訳でもなく、何の拘りもなく、ただひたすら"今"を有り様に生きるだけ、死ぬまでね。 こんな話、誰かに話して共感してもらう必要ないんだぜ、こんな話し誰かにした所でバカにされるか、いい様に扱われるか、すぐ殺されてしまうかだろうさ?、わからんが……。
それでも、それも別にいいっていうかね、そんな事を考えている隙間もなく、ひたすら"今"を有り様に生きているのだろうさ。もしそんな人が居たとすれば、俗世間から見れば、きっと変人に見えるのだろうね。あっ、これももちろん憶測ですよっと。
でまあ、もし俺がこの話の通り、
ひたすら"今"を有り様に生きているとするなら
こんな所でこんな事を書いているかどうかは疑わしいんだよね、だから俺にはまだ自我があるのだろうさ………。 現状の俺にとっちゃあぁ、( -_・)?
"なぞなぞ" とか "パズル" なのよねぇ〜
「悟り」「覚者」って、なぁ〜んだ?
「死後の世界」って、なぁ〜〜んだ?
その答えとしては、もうちょいと説得力に
欠けるのだろうね?っと、( ´,_ゝ`) _--_---_----_____--_---_-__--_-__-_-_--__-_--_-_--_---__-___--____--_____
__--__-----__-_-_--____--____-__-_-_-_--_-_____---_-----___---___-_-__---
___---____-__-_--__----___-_-__-___-_-_----___-_---_---__--_---_-_-__-__-
____--__-__-__-_-__-_--_-----__-__-_-_--_-_-_-_----__-_-_-_-____---__-_--
_-_--__--___-_--_-_-__-___------_--___-__--____-_----____-__--_--_--__-_-
--_-__-__---_---___-_----------_____-_-_--____-___-__----____--_-_-__-___
_----__-___-_-_--___----__-__-__-_______---__-__-_---___---__-_-_-_------
_______-----___--_--___-_---_---_-_----_-_-______--_---___-____-__---_---
_--___---__-_--_-___-_--___---__--_____--_____---_-_--__-------__--____--
--__-__---_-_-_-__---_-__---___--_-__-___--__-___---_---_-___-__-__---__-
---_--_-_--_----_-_-_-__-_____-_-_--____--____----__----_--_-_-____-__-__
-_-__---_---_-_-_-_--____--__-_-_--_---__-__-__--__-__-__----_-___-__--__
--__---_____-___---____--_----__-_--__---__-__-_--__-_------_________----
_--____-___-_--_-__-_--__---_-____-__--____----__-_--_---__--___-----__--
-_--_-__-__-----__-___--_____------_------_______-_--___-__-__-_--_-_-_-_
_--__-__------________--_-------__-_-__-___-_----_-___-_--__--_-_-__--___
___---__--_--_-__-__-__--__--__-__-___-_-__-_-_-__--_--_--_--__-_--_---_-
_-____--___--_____-___-__--_-_---_--_-_---__--__-__-_---_-_--__-----_-__-
__-__-----__----_-__-_-__-__-----_-_--_--_-_---___-________---__-_--___-_
_______---____-_----_-_-__-_-___-___---____-_____---_---_-----_---_--_---
-__--_-_-_-------__-_-___-_-____-_-_-_-_------_-__-__-__-_-__---____--___
--___---_-__--___--______----____--_-__-_----__-_--_-_-_-_--_-___---_-__-
---__-__---__-----_----__-__-_--_-_-__-_-__--_-__-__-____--___-__--_-__-_
-_--__-_-__----_---_----_-_______-__--_-____------__-____-_---______---_-
_---___---_-_______---_____-__---_--____--_-----_-_-__-_----___-_--_-_--_
_-_____-_-_---____-_-__-_-_--__-_--__-_--__-__--_-------__----__-_-_--___ 己の自我の意志で立てた波(業=シナリオ)は、己で始末する事さ、どうせそうなる。俺はもう他者の自我の立てた波(俺の業に無いシナリオ)に、巻き込まれようとは思わないのさ。俺の自我に残っている波(シナリオ)なら仕方ないんだけどね、それは避けられそうにないから。
だから、俺(自我)にとっては本来こんな事すら書くべきではないし、そもそも、初めからここに何も書くべきではなかったのさ。ただしね、もしこれが自我が無い状態で書いたものなら、俺という肉体が書いたのだとしても、それは、
俺(自我)が書いたのではない。 別の表現で言ってみるなら、それは神(仮称)が書いた、もしくは風景そのものが書いたのさ、もしそうならの話だけどね。その場合なら、ここに書いた行為は俺の自我が立てた波じゃないので、俺(自我)には預かり知らぬ話なのさ。
こんな話聞いた事あるだろう「神はどこにでもいる」「道はどこにでもある」って、なんか言ってる意味が繋がりそうだと思いませんかね。まあ、知らんよ、お好きにどうぞ…さ、どの道こんなもの便所の壁の落書きよ、どんな人が書いたのかもわからない、ただの落書きなのさ。 ここで、霊や霊体とか幽霊や幽体とはなんだ?と、改めて考察してみるのよ、するとね、それらの属性は自我だろ、どう考えても本体ではなく影の属性だろってね。「自我=業=シナリオ=〜したいという願望の塊=念の塊=欲望=影=ゴースト」てな感じな。
そんなものが自分の本体だと思っている者。その者達こそ天使(神サイド)の対極にある堕天使(悪魔サイド)ではないのかとね。故に、そんなものが見えたり感じたりする波長が既に悪魔(願望の塊)と同調してるのよ。自我(ゴースト)が死にたくない者達さ。これも憶測だよ。
世界は殆ど根こそぎ真逆なのよ、舞台設定ごとね、だから皆が目指してる方向も真逆なんだ、真逆ばかりの世界に浸っていると、真逆が常識になってしまうのさ、「ザ・洗脳」ってやつ。故に、この世界では皆が逆立ちしてるのさ、俺はそう思うね。 この真逆発想からするとね、世界誕生から何億年か知らんけども、その最古から存在し続けている存在(自我=霊魂?=ゴースト)が居るとすればだな、そいつこそが堕天使(自我持ち)の王なのよ、しかるに、真逆の世界では彼(堕天使の王)を神と称して崇めているのさ。
実は彼こそ「堕天使王≒悪魔王」なのにだぜ。これが真逆の世界たる所以さ。皆が勘違いしているのは、自分が成長して自分が神(仮称)に成ろうとしてる所よ、真相は真逆で、自分(自我)が無くなった時に神(仮称)に成るのさ、その時、自分(自我)なんてものはもう居ない。憶測な。
こんな事を、まだ自我(ゴースト)が残っているはずの俺(踊る阿呆)が書いているという矛盾?な、こんな事を考えているのが自我(ゴースト)なのにというね。なんだこれ?だろ。よって、まだトリックはあるのだろうさ、まだまだ、ようわからん世界でやんの…… シルバーバーチを読めば死後の世界のすべてがわかるよ。
シルバーバーチも知らないの? -___-_--_-_--__-___-__-_-_--__---_-_--___-_-_-__---_____--____-_----_----
_--_-_--__-_-_____-_-_--_---___----__----____--___--__----___-__--___--_-
_-__---_-----____--_----__-------____-____--_-___--___-___----_-__-___-__
-__-____--__-________-_--___---__---_-----_-__--__-_-__------_--___-_--_-
--______----____---__--__--____--_---__-_--------_--_--__--_--__-________
--__-__-_-_---___---_-____-_-_-__-_---_-___-_---_----_-_-__-_____-__--_--
-------_-__-__-___-__-_-_-_-----_--__-_--_-_-________-_-----_____--_--___
-__-____--_-___----__--_-_-__--_---_-_--___--__--___---_-__-_--__---__-__
-____-_---_-----___-----____---------_-___-_-_____----____---____--______
_-___--__--__-___-_---__--___-----__----_-_-____-_--__---_-_-_____-_-_---
--__-_-----___-___--_-____-_---___---_--___-_-_-__-__-_--_--__-__-__-_---
-__-_______--__-_--___-_----__--_-_--_--__---___---__-__-_-_-___-_-_-----
___--_--_---__--____-_----__-_-----_-__--_-___----_-__--_______-__--_-_-_
__--_----___-__---____-___-_-----____--__--__----_---__-_--_-__---____-__
_-_-___-_---_-__-___---___-------_-___-__----_--___-______-____-_-_------
-____----__-_-__-____-__-_--_-____-_------_-_--_--_-____-_-_-____------_-
-__--_--___-_--__---__--__-_--_----__-__-_-__-_--_-___-__-_-__-_---__--__
-__-_-----_--__---_---_-_-___------_---__-_-__--_--_____-__--__-_________
_-_-__---_____-_-___-------_____--__----_--__-_---_-_----____---____-__-_
_____-__-_-_-_----_--_-_----_--__----_------___-_______---_-____-_-__--__
-__-__---_-__-_-_--_-_-_-_----___--_-_-____--__-__-___-__----____-----__-
__--___--_---_----_----__--_----_--_-__--__-_-______-__--__---___--______
-__-__---__--_-----____-___-___----_-------__-____--____-_--___----_-____
-_---__---___-__---__-__-___--__-_---_-___-_-__--_--___--_-___---__---__-
--_____________-_-_---_-----___---_--_---_--_--___-_----_-___-__-__---__-
__-----_-_--____-_-__---------_-_-__--_-_______---_-____-___----___-__--_ 人や世界は進化する為にあるとか、成長する為にあるとか思っている人は、一度想像してみるといい、究極に進化成長し尽くした行き止まりの世界の在り様と、その後もその世界に永遠に存在(振動)し続ける自分(自我)の在り様をね。
何が言いたいかってーと、はっきり言えばそんな世界"いらん"だろ?って事、もうそれ以上の進化成長が無い世界の終点だぜ、その世界になった後も、人(自我)は永遠に存在(振動)していたいのか?って事。そうでもないだろってね。
現状は殆どの人(自我)が、死にたくないとか、存在(振動)していたいとか、思っているのかも知れないが、進化成長過程のどこかの時点で、その思いがひっくり返る時が来る、それ以降は殆どの人(自我)が、逆に、存在(振動)したくない、消えて無くなりたいと思う様になるのさ。 どうすれば存在(振動)し続けられるかと思考していた時代から、どうすれば存在(振動)せずに消えて無くなれるのかを思考する時代へと…。
ひっくり返る転換点は、いつの日か訪れるさ。
ただし、思考しても答えには辿り着けないんだぜ、なぜなら思考している事自体が振動している事だからさ、自我が思考している事がイコール振動している事なのさ。
ではどうするのか?って、知らんがなぁ〜 --___--____-___-_--_---_-____--__--__-_-__-_--_-____-__-__-_-------_--_--
------__-___------___--___-_--_-_--_____--_-_-_---___-__--_--_-_-______-_
__-_____-_--___-----_-____---_-----_---___-_--__--__--___-__---_-____--_-
--_-_---____-----_--___-_----_-__--___---___-_-__--____-_--___-___-__---_
__--_-____-_-_---_---_-----__-----_-_____--___-______-___--_---___-_---_-
-_--__---_--__-----_-_-_-_______-_-_-_-__-_-_---___-_-_---___-__-__-__---
-_--_-_--__-_--_-___---__-_-_--_----_____-____--__--__-__-_--_-_-___-_---
-___--__-_--_--_-_____----_---____-_--_--_--___-___-_-_---__--___--_--__-
_--__----______---_---_-___--_-_-_--__-_-__-----_--____--_____-_---____--
____--____-_-_____--_____-___-__--_---_--_-__--_----____----_----_-_-----
-_----_-___-_-____--_--_---__-__--_-__-____--___-______--_------__-_---_-
_-_--___-___-___--____--__---__-----_-__-__--_-__-__---__-___---__--_----
-__-----__-_-_-_-_------__---____-___--_-_-_---____--_-___--__--_-_____-_
--____-__--___----_---____--_--_-_-_-____-__----___-_-___---______-------
_-__-_--_-____-_--_--__--_-_-__--_---_-______-_--_-_-_-----__-___-_-_---_
_-_--_--_-____-_--_-----_-__-------_------____-____-______----__-___-____
_--_______--____--__--_---_-__-_----------___--__-___-_-____-__-__---_---
-__--_-____-----____-_-_-_----_-_---_____-__--_---_-_--_---_---_____-____
___-----_---__-___----_----____--_____-____---_---___--__---____---_--___
---_____---_---_-_-__---___-______--_-_--__-----____-_-----___-____--__--
-_-_-___--_----_-__-___----__-___-----____-__-_-___-_-_---__-_--__--_--__
_-__--_-_--____-_--_----_-_--__--__---____--_-__---____---___-__--___--_-
-____-__-_--__--_---------_-----_--__-___--__-_-_-__-__-_-_--__-______-__
-__--_-__-_-----_---__________-__--_--___---_-___---__-_-__-----___--_-_-
_----_-_-_-_----___-_-__--_--______---___-_--__-----____--__---__--___-__
--_--_--_-__-_-___--__----__--_-_--__----__-__-_-____-__-----_-_--_______ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています