もともと仙道は普通に生きて、自然に先天の気と先天の神の発動した人間が
さらなる深化を求めて入るもの、それを仙骨があるという。
万人向けではないから、仙骨のない人間は心霊とか伝授に頼らざるを得ない。
それが真っとうなものだとしたら仙骨はないが仙縁はあったと見るべきかな。
仙骨のある人間の方法論というのは、結果論みたいなものだから誰にも当てはまるわけではない。
つまり仙道とは仙人になった人間のプロセス論であってなるための方法論ではない
とかいう側面にも気づくといいかも♡