苫米地氏は個人的には好きになれないが、
密教系の世界にある種の革命を起こした点でその卓越した才能を認めざるを得ない。
「氣」は存在しない、あたかも「氣」がそこに存在しているかのように
臨場感を伴って認識することができる共感覚がそこにあるだけだ、
という、まあコロンブスの卵と言ってしまえばそれまでだが、
情報空間や内部表現というメタファーを導入することによって、
なぜ体系の違いによってこれほどまでの差異が生じるのか、という疑問に対する、
統一場としてのモデルを提示することができるのである。
私こそ正しい、お前は間違っている、という単細胞かつ旧態然たる価値判断によってしか
世界を観ることができない連中にとっては、
このモデルは「お前こそが間違っている」と宣告されること以上の恐怖の対象となろう。
それがこれほどまでの半狂乱を生む要因の一つになっているのだろう。

AIの爆発的進化によるシンギュラリティが刻一刻と近づいている現在、
宗教やそれに類する世界においても近未来の激変が当然待ち受けていることだろう。
新しい酒は新しい革袋に盛られなければならないのだ。
そして逆説的ながら、汝姦淫するなかれ、という古色蒼然たる戒めが、
違う体系のものをごちゃ混ぜにしてはいけない、という先人たちの知恵の言葉であり、
更には、それぞれの宗教や宗派の体系を相互に尊重し敬意を表しなさい、
という新たな教示として神秘行の行く末を照らし出していると言えるのではないだろうか?