その時の雑談を簡単に要約すると、
最初は、那須連山の話をしてて、隈戸川沿いの巨岩群=聖ヶ岩(ひじりがいわ)の話をしてた。
ここから始まった話で、「人忘れずの山」に話は移っていく。

現在は「新地山」(福島県白河市借宿)と呼ばれ、昔は「人不忘山」と書いて
「人忘れずの山」と読むのだが、そう呼ばれていた山があって、
その隣には、現在では「木ノ内山」と呼ばれ、昔は「人懐かしの山」と呼ばれていた山があった。

それで、人不忘山を詠んだ歌としては、

松平定信 「世々へても心の奥に通ほらし人忘れずの山のあらしは」
八雲抄 「陸奥の阿武隈川の岸にこそ人忘れずの山はさかしき」
曽良 「みちのくの阿武隈河のわたり江に人忘れずの山は有けり」

人懐かしの山を詠んだ歌としては、

西行 「白河の関は超ゆれど人見えぬ人懐かしの山はいずくぞ」 とかね。

それで、人不忘山に羽黒神社があって、その参道口に、上に書いた松平定信の歌碑がある。
松平定信と言う人は、白河楽王として知れているが、
今回はソコでは無く、この歌碑を隠すように囲み石柵があるのね。
これ、小松寅吉制作の「石柵」なんだけど、大作の類いだね。分かりにくいけど、ここの一番下の写真ね。
http://www.wikiwand.com/ja/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%AF%85%E5%90%89
この「石柵」は外部だけで無く、内部にもびっしりと彫刻されてるんだけど、
その内部に、「隠されるように逆立ちした狛犬が配置」されてる。