で、このお題目が続いて進むとすれば何処に行くのかと言うと、
おそらくはカルマと因果律と輪廻に流れ込むと思う。まだ先だろうけど。
カルマの古いシンボル(2次元落とし)を知ってるかな?菱形のやつ。
これEndless Knotで画像検索すれば上がってくるけど、
Endless Knot=終わりの無い結び目でしょ。
つまり、存在と言う相互関係のあらゆる型ににある無限の編み目って事で、
存在として条件付けされている、ありとあらゆるものに始まりも終わりも無い因果関係を指してる。
見ようによっては切れ目の無い無数の鍵のエンドレスに見え、それこそ>>5の無数の鍵だよ。

次ぎに、「行為者」では無く「行為」がある。「経験」では無く「経験者」がある。
そして、構成している部分のみが転換していると言う事に気づかなければ成らない。

どう言うことかというと、
つまりね、精神(心)にしても器(身体)にしても、常に安定して静止しているものは何も無い。
常に静止していないのだから、それは動きでしょ。動きというのは「過程」と言う事ね。
つまりね、おおよそあらゆる「生」というものは「過程の連続」でしか無い訳さ。
器(身体)は絶えず変化している(細胞)諸要素の組み合わせであるし、
心は継続されている思考記憶の名称とも言える。

でね、物質世界というのが「人間の限られた感覚」によって作られた模造世界、
つまり人間によってねつ造されてしまった、まやかしの世界だとするならば、
限られた感覚故に現実の本性性とは異なったモノを表す不完全性の世界であるならば、
そこに立ち現れるのは不完全故に虚像の世界でもある訳さ。

そうであるならば、人間を、その構成の「部分」と見るか、
全体の中の一人と見るかでは大きく違ってくる。
全体の中の一人と見るのなら、全体の中の一人である人間は、
その一人の中に全体を目覚めさせる事が可能なはずだとなるのでは?(笑)