>>120
黄金の夜明け団はいわゆるロックの先駆けみたいな発想してますが、
自分たちの思想に合わせ都合よく自然界をいじろうと考えた時点で
他の人間達と全く同じですね。
(あくまで人間の目から見た)好都合面も不都合面も、自然の勝手で
発生するものです。その営みに人間のエゴは介在しえないし、人間は自然界
を自我延長にはできません。
原始的な意味の地母神は自然と人間の都合がたまたま合致し調和することでのみ発動します。
この合致と調和を得るには、人間が自然界のそれと同調できるぐらい周波数を高く
保ったまま動ける(生きられる・文明作れる)ことが必要です。

また、多様性(ダイバーシティ)社会というのは、特定クラスタの都合を
100%満たすことはあり得ません。彼らにとってのみ好都合な社会(特定クラスタ
の自我延長=私物になった社会)になれば多様性は失われます。
「戦って戦って権利や制度を勝ち取り続けて社会を私物化しなければ生き残れない。
我々の要求を全て受け入れない社会(=自我延長化を拒否する社会)は我々の人格と
権利(=自我)を踏みにじる敵だ」
という考え方をしているクラスタがあると、多様性社会は保てないし機能できません。

自我境界(自我確立)を十分に保てるまで成長し、弱肉強食発想からスタンドプレー
とチームワークが両立する「和」(=クラスタを超えた地母神並列化による開運気回路形成)
が実現しない限り、多様性社会だけを推し進めても機能せず異質を排除する争いが増える
だけになるでしょう。
この「多様性社会」を自然界に「多様性」を自然性に、「特定クラスタ」を人間に置き換えて
も同じこと言えます。