秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡
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「涙流したマリア像」に外国人巡礼続々 秋田の女子修道院「聖体奉仕会」 「秋田−ソウルの定期便ができると、韓国のキリスト教者の方々がマリア像を拝みに来るという話があって、大いに期待したものです」 3月16日の秋田県議会予算特別委員会で公明党議員がそう発言した。創価学会員も恩恵を期待した「マリア像」とは、 秋田市郊外のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にある“落涙の聖母”のことだ。 台座を含めた高さ120センチの木彫りの像。平成13年の秋田−ソウル定期便開設につながった。「奇跡」を事実上公認 平成25年には、世界10カ所の聖母巡礼所を衛星中継で結ぶローマ教区主催の祈りの行事に、フランス・ルルドやイスラエル・ナザレなどの聖堂とともに聖体奉仕会が選ばれた。年間7千人の外国人 4月中旬のある日、インドネシアから15人の巡礼団がやってきた。世界最大のイスラム教国で、カトリックは約3%に過ぎないが、秋田の聖母マリアはよく知られているという。 以前から秋田を訪れたかったという団長のラウレンティウス・トゥエン神父(51)は「マリア様の涙は何かを訴えるためのものだったと思う。初めて像を拝見して、 どんな困難に直面しても希望を捨てないことが大事だというメッセージを感じた」と話した。 秋田−ソウル便は秋田からの利用客減少で長期運休が続いている。冒頭に紹介した県議会の質疑で佐竹敬久知事は「北朝鮮情勢が影響している」と述べ、運航再開は当面厳しいとの見方を示した。 だが小川会長によると、ソウル便がなくても、フィリピン、台湾、タイ、シンガポール、マレーシア、ベトナムなどから年間約7千人が成田や羽田経由で巡礼にやってくるという。 不便でも、どうしても行きたい場所には人は訪れるのだ。 https://www.sankei.com/life/news/160503/lif1605030017-n1.html JACINTA1972、(大警告の日付)について解説。 JACINTA1972は、アメリカの教会内において、 マリア像の前で写真を撮ったところ、 その写った写真にJACINTA1972という文字が写っていたという怪現象である。 その怪現象は、ポラロイドカメラでしか写らず、偽装は不可能である。 これは、ファティマの奇跡の目撃者であるヤシンタ・マルトの警告であると言われている。 海外では、このJACINTA1972の暗号について色々と言われているようである。 JACINTA1972 の年号(大警告の日付)を 解き明かしてみる。 http://www.tldm.org/misc/1972.htm JACINTAをバラバラにしてくっつけると、 JN 【略】=Japanese national日本人、日本国民 acita ciは、英語の古典式でキとも読む、 JACINTAは、秋田の日本人。 JACINTA1972の1972は、 ちょうどシスター笹川が、耳が聞こえなくなった時期である。 秋田の日本人とは、シスター笹川のことのようである。 JACINTA1972のJACINTAには、元々秋田の日本人という意味が含まれていた。 ポルトガルのファティマの聖母の目撃者、ジャシンタ・マルトには、 秋田の日本人を意味する暗示が元々名前に含まれており、 JACINTA1972の翌年、1973年に落涙開始、マリアからの大警告のお告げ があり、最終的には、通算101回の涙を流し、 ジャシンタ・マルトの生誕日1910年3月11日に 101年を足すと2011年3月11日の東日本大震災の日と一致する。 JACINTA1972、このことからも秋田とファティマの関連性が窺え、 JACINTA1972の大警告とは、秋田の聖母マリアのメッセージのことで あったのかもしれない。 神様御自身が降臨されたという事実は、一度も無いと思うが、 イエス・キリストの産みの親、神の取次ぎである聖母マリアが、 世界中に出現するということは、 すなわち神の子イエスを生んだ神の取次ぎ聖母マリアは、 神のお告げを地上に伝えたということだな。 ポラロイドだと細工は無理だなんていつの時代の人かな? 例えポラロイドカメラが偽装でも、 一刀彫の木像のマリア像が涙を流したのは、 変えられない。 だったらポラロイドの話は出さないほうがいいね 安っぽいインチキ話と思われる ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/ 「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、 他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、 本当にびっくりするようなことを言われました。 伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、 ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。 伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。 翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、 枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。 分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。 『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 秋田の聖母像のメッセージ: (1)第1のメッセージ:1973年7月6日(初金) 教皇、司教、司祭のためにたくさん祈って下さい。 (2)第2のメッセージ:1973年8月3日(初金) 世の多くの人は、主を悲しませています。私は主を慰める者を望んでおります。 天の御父のお怒りをやわらげるために、罪人や忘恩者に代わって苦しみ、 貧しさをもってこれ償う霊魂を、御子と共に望んでおります。 祈り、苦業、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、御父のお怒りをやわらげることができます。 貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して、祈って下さい。 (3)第3のメッセージ:1973年10月13日(ファチマ太陽の奇跡の日) 前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は全人類の上に 大いなる罰を下そうとしております。 そのとき、大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。 火が天から下り、その災いによって、人類の多くが死に、司祭も信者と共に 死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。 その時、私たちに残る武器は、ロザリオと御子の残された印だけです。 日本ピンチ! 9月14・15日「ファティマの聖母」と「秋田の聖母」が奇跡の対面→第三次世界大戦勃発か!? 「ファティマの奇跡」からちょうど100年経った今年2017年、世紀の対面が日本で果たされる……! しかし、この最終予言がまもなく日本において成就されるかもしれない。なんと今月14・15日、 ファティマの聖堂にあるマリア像が、秋田市のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやって来て、 かの有名な「涙を流した秋田の聖母像」と対面を果たすというのだ。 ■ファティマと因縁の深い秋田の聖母 「秋田の聖母像」に最初の奇跡が起きたのは、1973年7月12日のことだった。シスター笹川が礼拝中、 いきなり聖母像の右手のひらに十字架が刻まれ、血が流れ出したのだ。そして1975年1月4日には、 同じ聖母像から涙が流れるという奇跡も起きたのである。その後も落涙は続き、なんと1981年9月15日(悲しみの聖母の記念日)まで101回も続いたという。 さらに驚くべきことに、最初の奇跡を体験したシスター笹川は、光り輝く聖母マリアにも遭遇していた。そしてシスターは、 降臨した聖母マリアから「ファティマの祈り」を教えられている。この「ファティマの祈り」は、1917年にファティマに降臨した聖母マリアから、 3人の子どもたちが教わったものと同じだ。しかし1970年代当時、まだ「ファティマの祈り」は和訳されておらず、日本では誰も知らない状態だった。 つまり、シスター笹川に「ファティマの祈り」を教えた聖母マリアは、ファティマに降臨した聖母マリアと同一の存在であったと考えられるのだ。 このように、ファティマの聖堂にあるマリア像と、秋田の聖母像には深い因縁がある。ポルトガルでの奇跡から100年の時を経て果たされる“世紀の対面”には、 何か重要な意味があるのではないだろうか? http://tocana.jp/2017/09/post_14436_entry.html JACINTA1972、(大警告の日付)について解説。 JACINTA1972は、アメリカの教会内において、 マリア像の前で写真を撮ったところ、 その写った写真にJACINTA1972という文字が写っていたという怪現象である。 その怪現象は、ポラロイドカメラでしか写らず、偽装は不可能である。 これは、ファティマの奇跡の目撃者であるヤシンタ・マルトの警告であると言われている。 海外では、このJACINTA1972の暗号について色々と言われているようである。 JACINTA1972 の年号(大警告の日付)を 解き明かしてみる。 http://www.tldm.org/misc/1972.htm JACINTAをバラバラにしてくっつけると、 JN 【略】=Japanese national日本人、日本国民 acita ciは、英語の古典式でキとも読む、 JACINTAは、秋田の日本人。 JACINTA1972の1972は、 ちょうどシスター笹川が、耳が聞こえなくなった時期である。 秋田の日本人とは、シスター笹川のことのようである。 JACINTA1972のJACINTAには、元々秋田の日本人という意味が含まれていた。 ポルトガルのファティマの聖母の目撃者、ジャシンタ・マルトには、 秋田の日本人を意味する暗示が元々名前に含まれており、 JACINTA1972の翌年、1973年に落涙開始、マリアからの大警告のお告げ があり、最終的には、通算101回の涙を流し、 ジャシンタ・マルトの生誕日1910年3月11日に 101年を足すと2011年3月11日の東日本大震災の日と一致する。 JACINTA1972、このことからも秋田とファティマの関連性が窺え、 JACINTA1972の大警告とは、秋田の聖母マリアのメッセージのことで あったのかもしれない。 「ファティマの聖母」9月に秋田へ 「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”がコラボ http://www.sankei.com/life/news/170713/trv1707130004-n1.html 第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる「ファティマの奇跡」から100年を迎えたのを機に、ファティマの聖母像が9月、 「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやってくる。 「東西の奇跡」が対面する場で祈りをささげようと、国内外から多くの巡礼者が訪れそうだ。 ■海外で有名 一方、秋田の聖体奉仕会の聖母像は台座を含めた高さ120センチの木彫りの像。昭和50(1975)年1月4日の朝、両目に涙が浮かんでいるのに修道女が気付いた。 以来、56年9月15日まで101回、涙を流し、当時の高田景次秋田市長も含め約500人が目撃したという。その液体は秋田大と岐阜大の法医学教室によって「ヒトの体液」と鑑定された。 ■ “集客”に期待 ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「奇跡の共通性」を指摘する声もある。 秋田に来る聖母像はファティマの「聖母出現」100年を記念して新たに作られた。 ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。 既に日本国内を巡回していて、100周年の5月13日にはカトリック関口教会(東京都文京区)でミサが行われた。最終的にはカトリック幟町(のぼりちょう)教会(広島市)に納められる。 聖体奉仕会では9月14、15の両日に像が安置され、法王庁のジョセフ・チェノットゥ駐日大使も参列してミサなどが行われる。国内外から数百人の巡礼者が見込まれるという。 聖体奉仕会の小川恵子会長は「世界中がファティマの聖母ご出現100年を大事にする中、秋田に聖母像が来るのは意義深い。私たちの信仰生活に生かしたい」と話している。カトリック教徒以外も注目している。 秋田県や秋田市は以前から聖母像の“集客力”に期待。地元ホテルの中には、聖体奉仕会までの送迎無料の「巡礼者特別プラン」を設けているところもある。 「ファティマの聖母」秋田入り、「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”に多くの巡礼者 「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」に14日、第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる 「ファティマの奇跡」から100年を記念して作られた聖母像がやってきた。ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「東西の奇跡」の対面に、 日本だけではなく世界各国から訪れた約500人が祈りをささげた。 涙を流した聖母像は、台座を含めて高さ120センチの木彫りの像。昭和50年1月に、両目に涙が浮かんでいるのを修道女が気づき、56年9月まで101回、涙を流したとされ、 多くの目撃者もいる。涙は秋田大と岐阜大の法医学教室により「ヒトの体液」と鑑定された。「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母像)と呼ばれており、海外でも広く知られている。 一方、ファティマの聖母像は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたという伝承から100年を記念して作られた。 ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。日本各地を巡回中で、15日まで聖体奉仕会に安置され、最終的には広島市のカトリック幟町(のぼりちょう)教会に納められる。 奇跡の聖母像の対面には、2日間で1千人以上が訪れる見込みだ。海外からはオーストラリア、韓国、フィリピン、台湾などからの信者が来日する。 聖体奉仕会の小川恵子会長は「100年の節目で、多くの方がいらした」と話す。メキシコから来た大学院生のオリビア・ナイジェリさん(36)は「日本人は奇跡を信じる人が多い。今回の対面を題材に論文を書きます」と話していた。 http://www.sankei.com/smp/life/news/170914/lif1709140026-s1.html Mary Mother of All : E07 - Akita: The Fatima of the East https://www.youtube.com/watch?v=45p81Hm592Y& ;t=628s 秋田の聖母像のメッセージ: (1)第1のメッセージ:1973年7月6日(初金) 教皇、司教、司祭のためにたくさん祈って下さい。 (2)第2のメッセージ:1973年8月3日(初金) 世の多くの人は、主を悲しませています。私は主を慰める者を望んでおります。 天の御父のお怒りをやわらげるために、罪人や忘恩者に代わって苦しみ、 貧しさをもってこれ償う霊魂を、御子と共に望んでおります。 祈り、苦業、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、御父のお怒りをやわらげることができます。 貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して、祈って下さい。 (3)第3のメッセージ:1973年10月13日(ファチマ太陽の奇跡の日) 前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は全人類の上に 大いなる罰を下そうとしております。 そのとき、大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。 火が天から下り、その災いによって、人類の多くが死に、司祭も信者と共に 死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。 その時、私たちに残る武器は、ロザリオと御子の残された印だけです。 神様御自身が降臨されたという事実は、一度も無いと思うが、 イエス・キリストの産みの親、神の取次ぎである聖母マリアが、 世界中に出現するということは、 すなわち神の子イエスを生んだ神の取次ぎ聖母マリアは、 神のお告げを地上に伝えたということだな。 [ ファティマの予言を解読か!? アルパート・パイクの予言を足せば、世界大戦の目的が分かり易くなる!! ] 1.ルシア ⇒ ロシアの崩壊と再生 (第一次世界大戦を挟み、ロシア帝国からソビエト連邦経し、ロシア連邦へ) 2.フランシスコ ⇒ フランスとドイツの崩壊と再生(第二次世界大戦を挟み、フランスの第三から第四・五共和制へ、ドイツ帝国から東西分割経し、ドイツ連邦へ) 3.ジャシンタ ⇒ イギリスとアメリカと日本の崩壊と再生(第三次世界大戦を挟み、日本とイギリスは分割を経することになり、アメリカも何らかの形で崩壊と再生を築き上げる… ) [ NEW ] 日本ピンチ! 9月14・15日「ファティマの聖母」と「秋田の聖母」が奇跡の対面→第三次世界大戦勃発か!? 「ファティマの奇跡」からちょうど100年経った今年2017年、世紀の対面が日本で果たされる……! しかし、この最終予言がまもなく日本において成就されるかもしれない。なんと今月14・15日、 ファティマの聖堂にあるマリア像が、秋田市のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやって来て、 かの有名な「涙を流した秋田の聖母像」と対面を果たすというのだ。 ■ファティマと因縁の深い秋田の聖母 「秋田の聖母像」に最初の奇跡が起きたのは、1973年7月12日のことだった。シスター笹川が礼拝中、 いきなり聖母像の右手のひらに十字架が刻まれ、血が流れ出したのだ。そして1975年1月4日には、 同じ聖母像から涙が流れるという奇跡も起きたのである。その後も落涙は続き、なんと1981年9月15日(悲しみの聖母の記念日)まで101回も続いたという。 さらに驚くべきことに、最初の奇跡を体験したシスター笹川は、光り輝く聖母マリアにも遭遇していた。そしてシスターは、 降臨した聖母マリアから「ファティマの祈り」を教えられている。この「ファティマの祈り」は、1917年にファティマに降臨した聖母マリアから、 3人の子どもたちが教わったものと同じだ。しかし1970年代当時、まだ「ファティマの祈り」は和訳されておらず、日本では誰も知らない状態だった。 つまり、シスター笹川に「ファティマの祈り」を教えた聖母マリアは、ファティマに降臨した聖母マリアと同一の存在であったと考えられるのだ。 このように、ファティマの聖堂にあるマリア像と、秋田の聖母像には深い因縁がある。ポルトガルでの奇跡から100年の時を経て果たされる“世紀の対面”には、 何か重要な意味があるのではないだろうか? http://tocana.jp/2017/09/post_14436_entry.html 今年の秋田の聖母の日には、チェ・ノトゥ駐日教皇大使が来ます。 「ファティマの聖母」秋田入り、「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”に多くの巡礼者 「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」に14日、第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる 「ファティマの奇跡」から100年を記念して作られた聖母像がやってきた。ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「東西の奇跡」の対面に、 日本だけではなく世界各国から訪れた約500人が祈りをささげた。 涙を流した聖母像は、台座を含めて高さ120センチの木彫りの像。昭和50年1月に、両目に涙が浮かんでいるのを修道女が気づき、56年9月まで101回、涙を流したとされ、 多くの目撃者もいる。涙は秋田大と岐阜大の法医学教室により「ヒトの体液」と鑑定された。「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母像)と呼ばれており、海外でも広く知られている。 一方、ファティマの聖母像は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたという伝承から100年を記念して作られた。 ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。日本各地を巡回中で、15日まで聖体奉仕会に安置され、最終的には広島市のカトリック幟町(のぼりちょう)教会に納められる。 奇跡の聖母像の対面には、2日間で1千人以上が訪れる見込みだ。海外からはオーストラリア、韓国、フィリピン、台湾などからの信者が来日する。 聖体奉仕会の小川恵子会長は「100年の節目で、多くの方がいらした」と話す。メキシコから来た大学院生のオリビア・ナイジェリさん(36)は「日本人は奇跡を信じる人が多い。今回の対面を題材に論文を書きます」と話していた。 http://www.sankei.com/smp/life/news/170914/lif1709140026-s1.html いつのまにか秋田の聖母のまとめサイトができてた。 「動画あり」日本で起きたファティマの予言 バチカン公認の奇跡 涙を流すマリア像・秋田の聖母マリア 日本で起きたファティマの予言だってww これって凄くね?大発見だよねww ファティマ第三の予言が日本で開示されたなんて、 世紀の発見だーすごーいww 鬼退治の話をしているわけではないんだけど 『伊達の桃太郎』 とある人物の名前に『修道』(脩)と付いていない? >>598 それは、わかんないけど、 今マリア観音についてひっかかってる。 『松傾』 「ママ〜 る〜るるる〜、あ〜寒い、寒い」?みたいなことが書いてあったり 何か事を起こし、追放されたりした後に・・・ 誰か(何か)に出会い、反省しなさい? そして弟子(門下、門弟)になったみたいな話でしょ 『ボーボボ』 なぜか同じ、グーグルなどで調べてみて、画像 なぜ一枚目の画像と二枚目の画像の色が違うのか、 PC?の機能を使い変えてみただけだから、あまり気にしないほうが良い 実際の写真は一枚目のような画像の色 漫画・アニメ・・・などの写真じゃない? どういうことだと思う お爺さんの家の・・・子供の頃の写真だと言っていたり、 漫画?と同じような設定 小学生になったか、 まだなっていない頃の写真とか 軍人、警官?学校の制服でもない からんころん からんころん? 下駄の音ではないけど『AKIRA』という作品みたいじゃない? 老婆も生まれていない頃の写真だから、 詳しいことはわからない 後ろのほうに写っているのは、 イモ類の葉だと言っていたり 実際に「市」という名前なんだけど、下の名前w どういうことだと思う 寺院に通ったりしていたんだよとも言ってるし 『松傾』のような名前w 本当に頭の良い人は気づいている 『ボーボボ』画像を検索すると 「俺達は止められない」という画像が出て来たり、陽と陰(対)のような関係になっている 『We Are The Champions』×『WILD CHALLENGER』 絶対王者と・・・不明? ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/ 「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、 他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、 本当にびっくりするようなことを言われました。 伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、 ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。 伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。 翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、 枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。 分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。 『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 それは鬼退治などの話じゃないんだよ、 このようなしてはいけない、仲良くしなさい という、それだけの話 実際に鬼退治の話ではないでしょ? 詳しい人は、いないの? だ か ら ど う し た レースでは、他の人より0.6秒だけ速く走れば、 最も優秀なランナーになるでしょう。 しかし、だからどうしたというのでしょうか。 それは子供の遊びですが、競争とは、一番になりたい、 一番多く持ちたい、一番賢くなりたい、一番物知りになりたいという、 徐々に腐食していく要求のことです。それは心を蝕んでいきます。 何百年もの樹齢の、 置き換えることのできない樹木をそのために伐採するのです。 なぜならわれわれは貪欲で利己的で金のことのみを考え、 もっともっとお金を儲けようとするからです。 マイトLーヤが語るとき、このようなことを話されるでしょう。 si5n7k/04zpzf/tdgsoh.html 私たちは憎しみや競争で満ちています。 いつでも、誰かを利用しようとしており、出し抜こうとしており、 他の人より早く売りだそうとしています。世界は競争に満ち満ちています。 私たちが貪欲で、利己的で、競争に満ちているとき、 必然的に私たちは不調和をつくり出します。 そうすると、世界中に今のようなとても異常な気象パターンがつくり出されます。 ahjzfl-1/fkmww5/l6y25q.html マイトLーヤによれば、核爆発は自然界の要素を妨害する。 飛行機などのような人間がこしらえたものも等しく原子から成っており、 これらのパターンが妨害されると墜落は必然である。 心(マインド)と生気と肉体の均衡が壊れやすい人々は、 原子のパターンの妨害によって、持ち堪えられなくなる。 ahjzfl-1/fkmww5/l6y25q.html >>617 やってはいけない事をしていないと自信持って言えてるってことだろ? >>617 やっていけない事だらけだから、戒めの言葉が出てくる。でも、やってはいけない事をあなたはしてないでしょ?と言ったと私はそう取りましたよ。 >>618 これもやってはいけない事をするから心が不安定になるんですよ。 正しい事を通して見る事、行動すればそんな悩みなんか生まれないんだから。 秋田のメッセージに、最後の武器は、ロザリオと御子の残した印しとあるように、 御子の残した印しとは、十字架、その上に記されたINRI(ナザレの王イエス)と 思われる。 現代の世に現れた聖母マリアは、INRIすなわち稲荷、稲荷=FOX=666に 従えと諭しているのでは、ないか? 獣のナンバー666、正に獣である狐である。 666、イルミナティーを崇拝すれば世界は、救われると諭しているのかも しれない。 666、NWO計画が人類を破滅から逃れる手段であると秋田でお告げ があったのだ。 666、グローバルパワーエリート、イルミナティーの力を借りて、 俺は、悲願成就するのさ。 秋田の聖母のお告げでは、「御子の残した印し」 すなわち十字架、INRI=稲荷=狐、FOX=666=イルミナティー、NWOとなり、 神は、666すなわちイルミナティーによるNWO計画に従えと諭していると思うんですが、違いますか? そういや昔 見えないマリア像がインスタントカメラを撮影したときだけ 回転しながら移動してるのが写ってるのを 心霊番組でやってたな 今思うとヤラセか? >>627 人形の髪が伸びたり涙が出たり、 そういう症例は、多いけど、 聖体奉仕会みたいに大学の法医学教室できっちり調べないと、 本物とは、認められないだろうな。 聖体奉仕会の司祭、故安田貞治神父著の「聖母マリア像の涙」を読んでいる。 その中にも記されてるけど、1973年10月13日の秋田のメッセージは、 1917年10月13日のファティマ第三のお告げの焼き直しであると書かれてるね。 それに笹川さんの長上のシスターが言うように、甘美の芳香が聖堂に 漂った後の堪えがたい悪臭は、「まさに私たち日本人の罪のにおいだ」と 発言したように、ファティマの奇跡の目撃者である、ジャシンタの生誕日、 1910年3月11日の101年後、2011年3月11日に正に日本人の上に天罰が 下ったのである。 要約すると ・日本人は臭い。 ・311は天罰。 腐った人間性の奴が集まっているなwww >>632 と日本人なのに日本人じゃないフリをしてるバカにしか見えない、帯カスw あのファティマの予言が日本と関係があるなんて凄い発見じゃないか? おまいらもっと喜べ、そして盛り上げろ。 >>636 都庁職員 高橋 佐田子 43 090 3266 4133 お前らでやってろ >>637 もしかして俺の勝手な妄想なんだけど、 このスレ公的に認められてるのうフフフフフ。 そっか秋田の聖母は、都庁案件か、ハハハハハ。 俺の壮大な勘違いかもしれないけど、 秋田とファティマの関係が都庁案件となり、 都庁という大きな公的機関のバックボーンで、 この案件を扱ってくれればそれは、大変嬉しい事だな。 秋田とファティマの関係性を広めるのにも、 盛り上げるのにも都庁だったら申し分ないね。 都庁は、東京から日本を変えると豪語するように、 秋田県では、到底出来ない日本の窓口となって、 ポルトガルと日本の友好関係を都庁が窓口となって進め、 ヴァチカンとの念密な打ち合わせも都庁の優秀な人材なら、 確実にこなすだろうと思う。 ヴァチカンに公式に認可されたら秋田にバシリカが建つんじゃないか? 今審議中との噂が。 聖母出現が教皇庁に公式に認可されたらバシリカが建つらしいぞ。 ヤフー知恵袋の情報によれば秋田は、今ローマに注目されている段階で、 ガラバンダルと同じだそうだ。 サタン悪霊がマリアに化けて出現したのを奇跡とするのは偶像礼拝ではよくあること。 油注ぎをして悪霊を追い出さなければならない。ハレルヤ。 いたずらかサタン悪霊の仕業であるマリア像の涙の件は神から離れた信仰故に起きた出来事。 https://youtu.be/jDxHsK0FTIg いくらオカ板の連中が自称予言者や超能力者を主張しても、 国が国家認定するようなもんじゃないし、 ロシアやアメリカのように特殊任務に当たらせるというような事も 考えにくい。 ということは、ユリ・ゲラーや清田君みたいにテレビやマスコミで もてはやされるか、新興宗教か霊媒師として活動するしかない。 その点秋田の聖母は、カトリックという大宗教がバックだから、 色々と施しを受けられるという意味で得である。 自称予言者や超能力者は、そこまで考えてる? >>645 調べてるんじゃないの? 自分の見たのと同じかとうかくらい。 >>646 調べてるという意味が何を指すのかよく分かりませんが、 超能力という潜在能力を秘めたまま注目も脚光も浴びずに、 その秘められた能力を5chで発表するだけって悲しくないですか? キリストみたいに突き抜ければ歴史に残るでしょうけどね。 >>648 偉いのは。笹川さんと聖体奉仕会の皆さんであって、 自分は、ただの第三者ですよ。 >>647 本当かどうか調べるという事だけど。 お前はここに載せるのはどうかと思うってことになったのかw 悲しいというのはお前の意見であって皆がそう思ってる訳じゃないよ。 どう考えているかなんてお前に分からないだろうな。 >>647 国が動く、専門家が動かないと悲しいことか? ここを見ている人の中にいて調べるかもしれないよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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