秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡
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だめだ
きちがいキリシタン鍋くえ 「ファティマの聖母」秋田入り、「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”に多くの巡礼者
「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」に14日、第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる
「ファティマの奇跡」から100年を記念して作られた聖母像がやってきた。ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「東西の奇跡」の対面に、
日本だけではなく世界各国から訪れた約500人が祈りをささげた。
涙を流した聖母像は、台座を含めて高さ120センチの木彫りの像。昭和50年1月に、両目に涙が浮かんでいるのを修道女が気づき、56年9月まで101回、涙を流したとされ、
多くの目撃者もいる。涙は秋田大と岐阜大の法医学教室により「ヒトの体液」と鑑定された。「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母像)と呼ばれており、海外でも広く知られている。
一方、ファティマの聖母像は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたという伝承から100年を記念して作られた。
ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。日本各地を巡回中で、15日まで聖体奉仕会に安置され、最終的には広島市のカトリック幟町(のぼりちょう)教会に納められる。
奇跡の聖母像の対面には、2日間で1千人以上が訪れる見込みだ。海外からはオーストラリア、韓国、フィリピン、台湾などからの信者が来日する。
聖体奉仕会の小川恵子会長は「100年の節目で、多くの方がいらした」と話す。メキシコから来た大学院生のオリビア・ナイジェリさん(36)は「日本人は奇跡を信じる人が多い。今回の対面を題材に論文を書きます」と話していた。
http://www.sankei.com/smp/life/news/170914/lif1709140026-s1.html 秋田と青森の県境にある十和田火山の記事が急にヤフーヘッドラインにいっぱい出てくるようになった。
前回の大噴火は915年だって。
聖体奉仕会のマリア像が最後に泣いた9/15と数字が被ってるね。
秋田には奇跡のマリア像があって、
青森にはキリストの墓があるんよなぁ。 人間がどうやって始まったのか、世界がどうやって出来たのか
本当のところは誰も知らない。神でさえもな もう気づいているだろうが、5次元なんて存在しない
今この世界が在るだけだ
5次元は無数に存在する今という可能性の一つに過ぎないと そしてこの世界も3次元じゃない
これらは元々人間が囚われた躓きの最初でもある
いいか、何かがあると思う時、そこには何かが無い
その無いものを人は追い続けてきた
自ら造り出した幻影を 神は知ってるだろw
始まりなんかないんだよ。
無限なんだからw ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する
http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/
「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、
他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、
本当にびっくりするようなことを言われました。
伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、
ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。
伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。
翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、
枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。
分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。
『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 バチカン大使の証言。
「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田
http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/
今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。
伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。
伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。
仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。
アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? 「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン
2018年1月15日 掲載
「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、
マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。
マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、
海外でも知られるようになった。
近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、
マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。
http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ 秋田の聖母像について
秋田の聖母像は「すべての民の御母」と呼ばれる聖母の御絵をもとに、秋田市の彫刻家、若狭三郎氏によって1963年に製作されました。「すべ ての民の御母」はオランダのアムステルダムで1945年から1959年にイダ・ペアデマンという女性に出現された聖母です。
(以下略)
http://www.seitaihoshikai.com/ 「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン
2018年1月15日 掲載
「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、
マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。
マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、
海外でも知られるようになった。
近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、
マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。
http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ 日本ピンチ! 9月14・15日「ファティマの聖母」と「秋田の聖母」が奇跡の対面→第三次世界大戦勃発か!?
「ファティマの奇跡」からちょうど100年経った今年2017年、世紀の対面が日本で果たされる……!
しかし、この最終予言がまもなく日本において成就されるかもしれない。なんと今月14・15日、
ファティマの聖堂にあるマリア像が、秋田市のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやって来て、
かの有名な「涙を流した秋田の聖母像」と対面を果たすというのだ。
■ファティマと因縁の深い秋田の聖母
「秋田の聖母像」に最初の奇跡が起きたのは、1973年7月12日のことだった。シスター笹川が礼拝中、
いきなり聖母像の右手のひらに十字架が刻まれ、血が流れ出したのだ。そして1975年1月4日には、
同じ聖母像から涙が流れるという奇跡も起きたのである。その後も落涙は続き、なんと1981年9月15日(悲しみの聖母の記念日)まで101回も続いたという。
さらに驚くべきことに、最初の奇跡を体験したシスター笹川は、光り輝く聖母マリアにも遭遇していた。そしてシスターは、
降臨した聖母マリアから「ファティマの祈り」を教えられている。この「ファティマの祈り」は、1917年にファティマに降臨した聖母マリアから、
3人の子どもたちが教わったものと同じだ。しかし1970年代当時、まだ「ファティマの祈り」は和訳されておらず、日本では誰も知らない状態だった。
つまり、シスター笹川に「ファティマの祈り」を教えた聖母マリアは、ファティマに降臨した聖母マリアと同一の存在であったと考えられるのだ。
このように、ファティマの聖堂にあるマリア像と、秋田の聖母像には深い因縁がある。ポルトガルでの奇跡から100年の時を経て果たされる“世紀の対面”には、
何か重要な意味があるのではないだろうか?
http://tocana.jp/2017/09/post_14436_entry.html 今年2018年は、1917年のファティマの奇跡から101年目、
月日までは、正確に当てられなくとも、
今年は、アメリカが北朝鮮に対し、軍事行動に踏み切り、
その反撃として、この日本にミサイルが飛んでくるかもしれないな。
死者数は、想定で300万人とも、これは東北大震災の100倍超だ。
火が天からくだり地上は、火の海と化す、秋田の予言そのものだ。 1963年 聖体奉仕会の「秋田の聖母像」作成
1973年 聖体奉仕会 聖母出現
1983年 日本海中部地震
日本海中部地震での津波による死者数(ウィキペディアから)
北海道 4
青森 17
秋田 79(合川南小学校が男鹿に遠足で13名死亡)
韓国 1(代わりに脳腫瘍を助け/るorた/から数に入れよ)
101
※合川南小学校にはローマ法王ヨハネ・パウロ2世をはじめ、全世界からメッセージが寄せられた
101といえば昨日(2/2)の相撲協会理事選挙も親方数もだな >>251
なかなかいい着眼点だと思うよ。
秋田の聖母フォロワーが増えるのは、うれしいことだ。 「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン
2018年1月15日 掲載
「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、
マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。
マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、
海外でも知られるようになった。
近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、
マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。
http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ 今、安田貞治神父著の「聖母像の涙」を読み返してるんだけど、
秋田の地元では、山の中で婦人が集まって祈りの生活を続けることは、
地元では、馬鹿にされる対象だったことなどが記されてる。
そんな秋田の山奥の貧しい修道会を選んで、聖母マリアが
出現してメッセージを告げ、101回も涙を流したことは、
正に神の取りはからいとしか思えんわな。
JACINTA1972と写りこんだ大警告の写真からも分かるように、
昭和44年から聖体奉仕会の外部会員だった笹川さんが、
長年の病床生活からルルドの水を口にして病状が一変に回復して、
秋田の湯沢台の聖体奉仕会での修道会での生活をしていた頃が1972年頃
と思われる。JACINTA1972と写りこんだ大警告の写真は、秋田の日本人、
つまりシスター笹川さんに大警告のお告げがあると指し示した大警告の前兆だったんだな。 「ファティマの聖母」秋田入り、「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”に多くの巡礼者
「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」に14日、第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる
「ファティマの奇跡」から100年を記念して作られた聖母像がやってきた。ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「東西の奇跡」の対面に、
日本だけではなく世界各国から訪れた約500人が祈りをささげた。
涙を流した聖母像は、台座を含めて高さ120センチの木彫りの像。昭和50年1月に、両目に涙が浮かんでいるのを修道女が気づき、56年9月まで101回、涙を流したとされ、
多くの目撃者もいる。涙は秋田大と岐阜大の法医学教室により「ヒトの体液」と鑑定された。「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母像)と呼ばれており、海外でも広く知られている。
一方、ファティマの聖母像は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたという伝承から100年を記念して作られた。
ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。日本各地を巡回中で、15日まで聖体奉仕会に安置され、最終的には広島市のカトリック幟町(のぼりちょう)教会に納められる。
奇跡の聖母像の対面には、2日間で1千人以上が訪れる見込みだ。海外からはオーストラリア、韓国、フィリピン、台湾などからの信者が来日する。
聖体奉仕会の小川恵子会長は「100年の節目で、多くの方がいらした」と話す。メキシコから来た大学院生のオリビア・ナイジェリさん(36)は「日本人は奇跡を信じる人が多い。今回の対面を題材に論文を書きます」と話していた。
http://www.sankei.com/smp/life/news/170914/lif1709140026-s1.html 30分過ぎからファティマの奇跡やるよ。
ルシアの孫が日本人なんて、ファティマと日本は、やっぱり繋がりが深いな。
世界ふしぎ発見! 2018年1月6日 180106
https://www.youtube.com/watch?v=fCycgnDcsh8 秋田の聖母マリア像101回の涙は、ファティマの聖母に遭遇したヤシンタ・マルト
と絶妙にリンクする。秋田の聖母の修道女に天使からロザリオの各連の最後に
ファティマの祈りを唱えるようにと天使からのお告げがあったり、
共に10月13日にマリアが最後の出現をし、大予言を告げたこと。
ヤシンタ・マルトの誕生日1910年3月11日に秋田の聖母マリア101回の涙を
足すと東日本大震災2011年3月11日にピタリと一致することは、
もはや偶然ではなく、秋田の聖母マリア101回の涙の意味は、
東日本大震災の津波や原発事故、それにともなう数多くの死者を
予言していたといえるだろう。
ファティマの聖母
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D
聖母からの大きな奇跡があった。
1.1917年10月13日、集まった一万人の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。
世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。
居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載(画像参照)[17]された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。
ヤシンタ・マルト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88
秋田の聖母マリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2
また、他に修道女は天使を何度も目撃し、6月29日には天使は彼女にファティマの祈りを教え、ロザリオの各連の後に付けるように、
と指導した。この祈りは、1917年にポルトガルのファティマで3人の少年少女を前に聖母が教えたものだったが、当時は日本ではまだ和訳されておらず、
天使が教えたその祈祷文は、後に和訳されて日本に広まるものと一字一句違わぬものだった。 JACINTA1972、(大警告の日付)について解説。
JACINTA1972は、アメリカの教会内において、
マリア像の前で写真を撮ったところ、
その写った写真にJACINTA1972という文字が写っていたという怪現象である。
その怪現象は、ポラロイドカメラでしか写らず、偽装は不可能である。
これは、ファティマの奇跡の目撃者であるヤシンタ・マルトの警告であると言われている。
海外では、このJACINTA1972の暗号について色々と言われているようである。 >>263
なんか秋田の聖母でも脳腫瘍が治ったらしいね。 ファティマ第三の予言は、秋田の聖母のメッセージです。 で、結局、秋田で語られたファティマ第3の予言ってなんなの? バチカン大使の証言。
「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田
http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/
今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。
伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。
伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。
仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。
アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? 秋田の聖母像のメッセージ:
(1)第1のメッセージ:1973年7月6日(初金)
教皇、司教、司祭のためにたくさん祈って下さい。
(2)第2のメッセージ:1973年8月3日(初金)
世の多くの人は、主を悲しませています。私は主を慰める者を望んでおります。
天の御父のお怒りをやわらげるために、罪人や忘恩者に代わって苦しみ、
貧しさをもってこれ償う霊魂を、御子と共に望んでおります。
祈り、苦業、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、御父のお怒りをやわらげることができます。
貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して、祈って下さい。
(3)第3のメッセージ:1973年10月13日(ファチマ太陽の奇跡の日)
前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は全人類の上に
大いなる罰を下そうとしております。
そのとき、大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。
火が天から下り、その災いによって、人類の多くが死に、司祭も信者と共に
死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。
その時、私たちに残る武器は、ロザリオと御子の残された印だけです。 昭和21年に湯沢台に入植して聖体奉仕会の創始者となった菅原すま子さんは、
ファティマの奇跡のあった年の1917年生まれ。
これも何かの縁かもね。 ローマ法王を中心とする世界統一政府を作るのだ。
人々を宗教によって治め、祈りと贖罪の日々を過ごすのだ。 ファティマ第三の予言は、秋田の聖母のメッセージです。 秋田の聖母像のメッセージ:
(1)第1のメッセージ:1973年7月6日(初金)
教皇、司教、司祭のためにたくさん祈って下さい。
(2)第2のメッセージ:1973年8月3日(初金)
世の多くの人は、主を悲しませています。私は主を慰める者を望んでおります。
天の御父のお怒りをやわらげるために、罪人や忘恩者に代わって苦しみ、
貧しさをもってこれ償う霊魂を、御子と共に望んでおります。
祈り、苦業、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、御父のお怒りをやわらげることができます。
貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して、祈って下さい。
(3)第3のメッセージ:1973年10月13日(ファチマ太陽の奇跡の日)
前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は全人類の上に
大いなる罰を下そうとしております。
そのとき、大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。
火が天から下り、その災いによって、人類の多くが死に、司祭も信者と共に
死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。
その時、私たちに残る武器は、ロザリオと御子の残された印だけです。 どうやら本当に秋田にイージスアショアが来るらしいね。
秋田に北朝鮮のミサイルが直撃するかもね。
秋田のメッセージすなわちファティマ第三の予言が秋田で起こるかもね。 聖体奉仕会の歌を発見した。
百一度の涙 - 秋田の聖母 Hymn for Our Lady of Akita
https://www.youtube.com/watch?v=nqoyfbUwp8Y 秋田にイージスアショアができれば、迎撃されないように、北朝鮮は、
真っ先にイージスアショアを標的にするだろうね。
そうすれば秋田の聖母の地、その地で、火が天から下り、その災いによって、
人類の多くが死に、司祭も信者と共に
死に、生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。
正に、秋田の聖母の地、秋田で予言が起こるかもしれない。 秋田のメッセージに、最後の武器は、ロザリオと御子の残した印しとあるように、
御子の残した印しとは、十字架、その上に記されたINRI(ナザレの王イエス)と
思われる。
現代の世に現れた聖母マリアは、INRIすなわち稲荷、稲荷=FOX=666に
従えと諭しているのでは、ないか?
獣のナンバー666、正に獣である狐である。
666、イルミナティーを崇拝すれば世界は、救われると諭しているのかも
しれない。
666、NWO計画が人類を破滅から逃れる手段であると秋田でお告げ
があったのだ。 私の趣味は、ヘビーメタル。
ヘビーメタルといえば666が題材とされる事が多い。
そしていつまでもイイ音が出ない機材を、
SNSで「目覚めよ今そのときだ。」と書きました。
するとある日、その機材からラジオが流れました。
そしたらギターの音色がイイ音になりました。
その機材の名はBLOODY MARY(血のマリア)
それから色々とマリアについて調べました。
秋田やファティマに辿り着きました。
北朝鮮のラジオも流れたのが気がかりです。
ヘビーメタル、666と何か因果関係は、あるのですかねえ。 自分で作詞しているのなら歌詞を見直してみたら
今現在に心当たりのある文章がないなら未来に巡り会うかもしれない
俺の場合は2次元だった
メッセージを送っている場合はそれに興味を持つし、いろいろ調べてこれメッセージだよなと認識するとそのキャラはどうでもよくなる
ラジオに関しては北朝鮮のはわからん
でもな3.11の停電の晩にラジオをチューニングしてたら秋田局は受信できずに代わりに聖書を朗読しているのを拾ったよ
で事の重大さを知った
で色々考えているが、どうしょうもないって事
ワケは思い付く人に当てたサインだろうよ 秋田の聖母マリア像101回の涙は、ファティマの聖母に遭遇したヤシンタ・マルト
と絶妙にリンクする。秋田の聖母の修道女に天使からロザリオの各連の最後に
ファティマの祈りを唱えるようにと天使からのお告げがあったり、
共に10月13日にマリアが最後の出現をし、大予言を告げたこと。
ヤシンタ・マルトの誕生日1910年3月11日に秋田の聖母マリア101回の涙を
足すと東日本大震災2011年3月11日にピタリと一致することは、
もはや偶然ではなく、秋田の聖母マリア101回の涙の意味は、
東日本大震災の津波や原発事故、それにともなう数多くの死者を
予言していたといえるだろう。
ファティマの聖母
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D
聖母からの大きな奇跡があった。
1.1917年10月13日、集まった一万人の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。
世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。
居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載(画像参照)[17]された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。
ヤシンタ・マルト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88
秋田の聖母マリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2
また、他に修道女は天使を何度も目撃し、6月29日には天使は彼女にファティマの祈りを教え、ロザリオの各連の後に付けるように、
と指導した。この祈りは、1917年にポルトガルのファティマで3人の少年少女を前に聖母が教えたものだったが、当時は日本ではまだ和訳されておらず、
天使が教えたその祈祷文は、後に和訳されて日本に広まるものと一字一句違わぬものだった。 日本ピンチ! 9月14・15日「ファティマの聖母」と「秋田の聖母」が奇跡の対面→第三次世界大戦勃発か!?
「ファティマの奇跡」からちょうど100年経った今年2017年、世紀の対面が日本で果たされる……!
しかし、この最終予言がまもなく日本において成就されるかもしれない。なんと今月14・15日、
ファティマの聖堂にあるマリア像が、秋田市のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやって来て、
かの有名な「涙を流した秋田の聖母像」と対面を果たすというのだ。
■ファティマと因縁の深い秋田の聖母
「秋田の聖母像」に最初の奇跡が起きたのは、1973年7月12日のことだった。シスター笹川が礼拝中、
いきなり聖母像の右手のひらに十字架が刻まれ、血が流れ出したのだ。そして1975年1月4日には、
同じ聖母像から涙が流れるという奇跡も起きたのである。その後も落涙は続き、なんと1981年9月15日(悲しみの聖母の記念日)まで101回も続いたという。
さらに驚くべきことに、最初の奇跡を体験したシスター笹川は、光り輝く聖母マリアにも遭遇していた。そしてシスターは、
降臨した聖母マリアから「ファティマの祈り」を教えられている。この「ファティマの祈り」は、1917年にファティマに降臨した聖母マリアから、
3人の子どもたちが教わったものと同じだ。しかし1970年代当時、まだ「ファティマの祈り」は和訳されておらず、日本では誰も知らない状態だった。
つまり、シスター笹川に「ファティマの祈り」を教えた聖母マリアは、ファティマに降臨した聖母マリアと同一の存在であったと考えられるのだ。
このように、ファティマの聖堂にあるマリア像と、秋田の聖母像には深い因縁がある。ポルトガルでの奇跡から100年の時を経て果たされる“世紀の対面”には、
何か重要な意味があるのではないだろうか?
http://tocana.jp/2017/09/post_14436_entry.html 他人事。
どことどこが勃発するんだ。
北朝鮮とアメリカ?ロシア?
で、日本を攻撃ってお前のところを攻撃しない保証があるというのかw 「ファティマの聖母」9月に秋田へ 「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”がコラボ
http://www.sankei.com/life/news/170713/trv1707130004-n1.html
第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる「ファティマの奇跡」から100年を迎えたのを機に、ファティマの聖母像が9月、
「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやってくる。
「東西の奇跡」が対面する場で祈りをささげようと、国内外から多くの巡礼者が訪れそうだ。
■海外で有名
一方、秋田の聖体奉仕会の聖母像は台座を含めた高さ120センチの木彫りの像。昭和50(1975)年1月4日の朝、両目に涙が浮かんでいるのに修道女が気付いた。
以来、56年9月15日まで101回、涙を流し、当時の高田景次秋田市長も含め約500人が目撃したという。その液体は秋田大と岐阜大の法医学教室によって「ヒトの体液」と鑑定された。
■ “集客”に期待
ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「奇跡の共通性」を指摘する声もある。
秋田に来る聖母像はファティマの「聖母出現」100年を記念して新たに作られた。
ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。
既に日本国内を巡回していて、100周年の5月13日にはカトリック関口教会(東京都文京区)でミサが行われた。最終的にはカトリック幟町(のぼりちょう)教会(広島市)に納められる。
聖体奉仕会では9月14、15の両日に像が安置され、法王庁のジョセフ・チェノットゥ駐日大使も参列してミサなどが行われる。国内外から数百人の巡礼者が見込まれるという。
聖体奉仕会の小川恵子会長は「世界中がファティマの聖母ご出現100年を大事にする中、秋田に聖母像が来るのは意義深い。私たちの信仰生活に生かしたい」と話している。カトリック教徒以外も注目している。
秋田県や秋田市は以前から聖母像の“集客力”に期待。地元ホテルの中には、聖体奉仕会までの送迎無料の「巡礼者特別プラン」を設けているところもある。 「ファティマの聖母」秋田入り、「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”に多くの巡礼者
「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」に14日、第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる
「ファティマの奇跡」から100年を記念して作られた聖母像がやってきた。ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「東西の奇跡」の対面に、
日本だけではなく世界各国から訪れた約500人が祈りをささげた。
涙を流した聖母像は、台座を含めて高さ120センチの木彫りの像。昭和50年1月に、両目に涙が浮かんでいるのを修道女が気づき、56年9月まで101回、涙を流したとされ、
多くの目撃者もいる。涙は秋田大と岐阜大の法医学教室により「ヒトの体液」と鑑定された。「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母像)と呼ばれており、海外でも広く知られている。
一方、ファティマの聖母像は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたという伝承から100年を記念して作られた。
ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。日本各地を巡回中で、15日まで聖体奉仕会に安置され、最終的には広島市のカトリック幟町(のぼりちょう)教会に納められる。
奇跡の聖母像の対面には、2日間で1千人以上が訪れる見込みだ。海外からはオーストラリア、韓国、フィリピン、台湾などからの信者が来日する。
聖体奉仕会の小川恵子会長は「100年の節目で、多くの方がいらした」と話す。メキシコから来た大学院生のオリビア・ナイジェリさん(36)は「日本人は奇跡を信じる人が多い。今回の対面を題材に論文を書きます」と話していた。
http://www.sankei.com/smp/life/news/170914/lif1709140026-s1.html なまはげの発祥が秋田だからな。よくしらべてないけど鬼よりはやいらしい。 神に愛されてればハゲない、神に愛されてれば一重が二重になる。
これが真理。 実際に第三次が発生したら2chの書き込みが気になる。 すごくおもしろいPCさえあれば幸せ小金持ちになれるノウハウ
役に立つかもしれません
ネットで検索するといいかも『蒲原のロロムムセ』
3X3LW ピョンチャン・オリンピックのフィギュア金メダリストのザギトワに
贈られる秋田犬のメスの名前が、マサルから、もしかしたらマーシャに
変わりそうなんだが、マーシャとは、
聖母マリアに由来する名前マリーのロシア語略称形である。
これは、秋田の聖母マリアと何か繋がりがあるのだろうか・・・・。 どうやらザギトワの秋田犬の名前は、マーシャに確定したらしい。
ますます秋田の聖母マリアと縁を感じるわ。 日本ピンチ! 9月14・15日「ファティマの聖母」と「秋田の聖母」が奇跡の対面→第三次世界大戦勃発か!?
「ファティマの奇跡」からちょうど100年経った今年2017年、世紀の対面が日本で果たされる……!
しかし、この最終予言がまもなく日本において成就されるかもしれない。なんと今月14・15日、
ファティマの聖堂にあるマリア像が、秋田市のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやって来て、
かの有名な「涙を流した秋田の聖母像」と対面を果たすというのだ。
■ファティマと因縁の深い秋田の聖母
「秋田の聖母像」に最初の奇跡が起きたのは、1973年7月12日のことだった。シスター笹川が礼拝中、
いきなり聖母像の右手のひらに十字架が刻まれ、血が流れ出したのだ。そして1975年1月4日には、
同じ聖母像から涙が流れるという奇跡も起きたのである。その後も落涙は続き、なんと1981年9月15日(悲しみの聖母の記念日)まで101回も続いたという。
さらに驚くべきことに、最初の奇跡を体験したシスター笹川は、光り輝く聖母マリアにも遭遇していた。そしてシスターは、
降臨した聖母マリアから「ファティマの祈り」を教えられている。この「ファティマの祈り」は、1917年にファティマに降臨した聖母マリアから、
3人の子どもたちが教わったものと同じだ。しかし1970年代当時、まだ「ファティマの祈り」は和訳されておらず、日本では誰も知らない状態だった。
つまり、シスター笹川に「ファティマの祈り」を教えた聖母マリアは、ファティマに降臨した聖母マリアと同一の存在であったと考えられるのだ。
このように、ファティマの聖堂にあるマリア像と、秋田の聖母像には深い因縁がある。ポルトガルでの奇跡から100年の時を経て果たされる“世紀の対面”には、
何か重要な意味があるのではないだろうか?
http://tocana.jp/2017/09/post_14436_entry.html ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する
http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/
「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、
他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、
本当にびっくりするようなことを言われました。
伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、
ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。
伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。
翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、
枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。
分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。
『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています