>>323
何故、この世に自由な人間は愚か、自由な動物はいないか?
それは、人間に意識など無いからだ。
人間の意識など単なる外部からの情報による計算の副産物でしかなく、内なる何かなど存在しない。
そして人間は、いや全ての生き物は生きるのに外部の環境が必要だ。
単体で完結する生き物など存在せず、故に自由な意識も人間も存在しない。
人間など、意識がある振りをしているだけの哲学的ゾンビに過ぎない。

そして知恵というものは、集団の為、つまり社会の存続可能性を高めるために存在するものだ。
社会が存在することは個体の安定的な生存にもつながり、社会はより安定する。
どれ1つとして、個人の為、即ち自由の為に存在していない。

本能というのは肯定されるべきだ。
それは、社会の安定性に寄与する。
もし、庶民が社会を崩すようならそれは為政者の悪政だ。
為政者が社会に逆らっていると言えよう。
ならば為政者が消えるべきだ。
為政者は、本能≒社会に逆らったのだから。
否定されるべきは、有りもしない意識だ。
君が他者を否定するのも、他者への優越性という意識から来ている。
俺は優れている、故に自由にしていいんだというのも、実は意識だ。
本能は正解を出しているというのに、意識が邪魔をする、知識を正統に使えない。
悪政の連鎖は永遠と続く。

ならば、何れ人間はこの問題の最終的な解決に踏み出すだろう。
有りもしない暴走する意識の問題を、内科的な技術で解決する日が来るかもしれない。