「ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。
ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、
格闘しているうちに腿の関節がはずれた。『もう去らせてくれ。
夜が明けてしまうから』とその人は言ったが、ヤコブは答えた。『いいえ、
祝福してくださるまで離しません。』『お前の名は何というのか』と
その人が尋ね、『ヤコブです』と答えると、その人は言った。『お前の名は
もうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。
お前は神と人と戦って勝ったからだ。』『どうか、あなたのお名前を
教えてください。』とヤコブが尋ねると、『どうして、わたしの名を訪ねるのか』と
言ってヤコブをその場で祝福した。ヤコブは、わたしは顔と顔を合わせて神を見たのに、
なお生きている。』と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。」

旧約聖書・創世記32.24-30


・・・・じつは相撲は神事であり、この旧約聖書におけるヤコブの格闘が起源との説がある。
いずれにせよ、相撲には紀元前からの幾星霜を経た伝統があり、格式があり、文化がある。
こういった神聖なもの、神道であれユダヤ教であれキリスト教であれ神聖なもの(歴史)には
畏怖の念をもたねばなるまい。様式美やわびさびどころではなく、もっと深い思想・背景に
裏打ちされた行事なのである。それを蔑ろにするような行為には、罰が伴う可能性が高い。
このように認識すべきであろう。