最後に、色々だけどさ、結局さ、何の思考や考え方しても良いんだろうけど、
自分の中で「成る」って所まで行けなきゃ、ただの言葉遊びにすぎないと思うけどね。
方便ってのは何処まで行っても方便でそれ以上でもそれ以下でも無いと思う。
方便は「仮」に設けた教えだからね。それを自分に設定して「仮」を転がしてるだけが、
「成らない」状態の独創的な物事の見方やトリッキーな考えで「示せない」の転がし。

下地も何も無い我流なんてのが単独で構築して「成る」レベルは天才とか化け物レベルクラスの話で、
幾ら独自の持論を展開しようが、それらを実際に表せないのなら、それはただの言葉遊びだよ。
それかただの変な人。 小説家とか歌手とか画家でも、それらを形としてだすのだから。

独創的な物事の見方と言うモノでもそうだが、
それも自身の中で「消化」して、成果という形として表せるのなら別だけど、
消化不良で持論を言ってる内は未熟な妄想となるんだよ。

情報なんてものは、ただの妄想レベルを1000集めた所で、何にもならないのね。
ちゃんとしたモノでも自分の中で消化出来なくて使えなければ絵に描いた餅。
それはただのコレクター(笑)
そりゃ、最終段階は「おおよそ一切のテクニックや過程など無い。型も無い。」を知る訳だけど
それは決して独創的な物事の見方やトリッキーな考え一辺倒と言う事ではないのね。
それでは極端の一方で一人で戯れてるのみで終了(笑)あがいて片手落ちって訳。
そんなものはモノの数では無いのね。

例えば、麟角喩(麟角独覚)の類いなら天才レベルだけど、まず、こんな所には居ないよ(笑)
麟=犀ね。俗に言う、「犀の角のようにただ独り歩め。」これね。

幾つかランダムに書いたけど、走り書きだから読みにくいかもね(笑)読み返してないから。
まぁ、キチンと意味を取ることだね。 by.c