神を疑うと云っても、被害妄想になることではありません。

神は気晴らしをする間、人間の中に気晴らしになった人物がいるかを見つけている方であり、

神はその者を追いかけます。その者を追いかけてその者がいつまで自分のおぞましさに気づかないか

追いかけてその者が喜ぶことを一緒に楽しんでいます。一緒に楽しんでいますが、そうしていると、

あとから自分も楽しみたいと云って、神さまのあとでもいいから、やらせてほしいと云ってくる霊を見抜きます。

神さまは、何でもしています。神さまは、いいことも異常だと思えることも何でもしています。

何でもしてゆくうちに、異常なことだけに興味を示す人達やゴーストたちがこの世にもあの世にも

まだ、生き残っていることを見抜きます。見抜いた上で暫くそれに拭けさせて何か他のことにも

興味を示してくれるか待っています。待っていて何かを見つけてくれた時は励ましてくれます。

何かを見つけられずにいる者には、誰かを落胆させる為の人形として使い続けます。

自分のことを綺麗な心しかないと信じている人々がいる限り、その人の周囲で異常なことを引き起こします。

ですが、その人は異常な事だとは思いません。昔からある事だと。

「人々から正義が消えてゆかないよう、我々(神々)は殺人を止められない」という

手段であったことにその人が気づいてくれるまで。そのことを広めてくれる日まで。