私は気功や瞑想するような事を言っているわけではない
確かになにか不思議な事が起こる事が確認できる体験レベルだということを指摘している
そのままでは自分の中でも依然としてオカルトのまま模索していることになるし
感じている者同士が理解し合える科学(新しい発見からの理論化、新しい現実の理屈)
になりえない(カルトレベルで停滞している)理由を考えよう
そいういうのあるよねーの同調止まりから1+1を語り合える具体性へ
それでも依然としてオカルトレベルではあるが。むろん気功や瞑想はその入り口ではある