幽霊は本当にいるのか(いないのか)Rその30
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ルール
・基本的に幽霊や霊に関する話をしてください。
脱線し過ぎて何のスレか分からなくならないように。
・心霊現象を否定することが目的の人を生暖かく見守ること。
※前スレ
幽霊は本当にいるのか(いないのか)Rその29
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1504251172/l50 ひとが霊に憑依されたときの振舞いとよく似ている。
気が付けば人格が豹変するように、気が付けばネットウヨクに染まっている。 黒魔術のように米国の思いのままに日本を動かそうとする。
国会議員は米国の操り人形だ。 個人の思考に介入してくることが最も厄介であろう。
このやり口は負の霊団そのものだ。 日本国民の白痴化が目に余る。知性の劣化が治世の劣化を呼び込み、
地政学すらも危なくする。 憲法を改正せずに解釈の変更によって中身を改める方法は
完全に憲法を逸脱した行為である。憲法学者をはじめ、改憲論者ですら
それを批判するのだが、暖簾に腕押しの状態である。
地縛霊を説得することの難しさである。 あれだけ散々煽っておきながら選挙が近づくと北朝鮮の核問題が報じられなくなる。
所詮はその程度の問題に過ぎないということだろう。
負の霊団による脅し透かしではないか。 新聞社がひたすら票読みを報じているのは公正な選挙に反する行為ではあるまいか。
これでは死に票を嫌った有権者が多数派に流れる。これも工作ではないのか。 選挙自体が「今だけ、カネだけ、自分だけ」を具現化している。
これは地獄だ。 沖縄県東村に米軍のヘリが墜落したことはもっと大々的に
報じられるべきだろう。 そんな米軍に居座られ、多額の税金まで差し出すことを今後もつづけるのか。
悪霊を祓うように本来いるべき場所に帰ってもらう。 自衛隊を米軍の下部組織とすることは何とかして阻止する必要がある。
悪霊に操られるぞ。 小沢先生の考えた通りに野党が共闘して候補者を一本化していれば
あっさりと政権交代したのに。 政権交代はもう起こらないだろうから、あとは与党が割れることを待つしかないのか。 >>343
おはよう。相変わらず小汚い顔してるのね。顔洗っておいで。 日本国民から気力を奪うことが絶えず行われているように見える。 絶望に向かわせることが非常に多くある。だから国政選挙の投票率も5割のままだ。 たかが1票、されど1票。棄権者の1票が絶望を加速する。 本来は救済や援助を必要としている人たちが投票をあきらめている。 非情に胡散臭い組織票によって民意とは程遠い結果が作られる。 憲法学者の無力感がにじむ。
時代の正体〈538〉安倍改憲を問う 権力者ファースト正せ
http://www.kanaloco.jp/article/284137 白けムードの無党派層がじつは世直しのカギを握る。
それをふいにしてしまうことの罪深さ。 選挙があるたびに政権を選択できるのが小選挙区制の利点だったはずだ。 そうやって民主主義を深化させることができたはずが・・・。 ほんの一握りの人々を除けば、今後もますます生活は苦しくなる。
「今だけ、カネだけ、自分だけ」の限界はすぐそこではないのか。 地方の財政破綻も待ち構えている。生活の基盤が損なわれる。 現在の貨幣経済は近い将来ぶっ壊れる。これはヴィジョンを得ているひとびとがかなりいる。 IMFの報告書である財政モニターとやらを読むと、ユニバーサル・ベーシックインカム
について取り上げている。 おそらく霊的なヴィジョンを得ているひとびとはそれをキャッチしている。 だから「今だけ、カネだけ、自分だけ」は成り立たなくなる。 現在の50代、60代の連中が死んだ後の世界ではないかと
勝手に想像している。 だからまだまだバカどもによる熱狂はつづくのだろう。
その間、苦しめられる人々は諦めたままなのか。 現在の中東における戦争が第3次世界大戦であるという見方もあるが、
第2次世界大戦のような戦争は起こらない。それをやるだけのカネが
各国にはないからだ。 超大国と呼ばれた米軍がボロボロな様子を見れば火を見るよりも明らかだ。 人々が行きつくところは目に見えない存在に対する敬いの心だ。 聖戦士として死ぬことに最大の喜びを見出す兵と
カネを稼ぐ目的の兵ではどちらが強いかいうまでもないだろう。 自爆攻撃を前に歓喜の涙を流す聖戦士を敵に回すことの愚かさだ。 日本人も血を流せと平然と言ってのける知識人とやらの傲慢な顔を拝む。 「腐敗した権力は、1人の人が事を決める。人の言うことを聞かない。
そして人の大事なものを勝手に奪う」
>>353のリンク記事より抜粋した。 国家は救世観音、観音菩薩であるべきだと思う。そうなれるんだ。 人々の音(声)を観じて、その苦悩から救うという慈悲深い菩薩が観音菩薩。
福祉国家を究めてみてはどうだろう。 負の霊団の働きかけによって魔が差すことがあるという。
奴らは思考に介入してくるから文字通り、魔が差す。 人間と暮らすペットは人霊に近く、魂が進化している。 呪いを跳ね返す方法がある。これは生霊を跳ね返す方法でもある。 その手の書物を紐解くと、自分が多分こうやればいいだろうと思って
実践してきたことが正しかったことを知る。 水場があって高電圧が揃えば、そこには霊が出現する。 霊が出現するというよりも霊が可視化されるというべきか。 霊を人生においてうまく活用すると表現すると霊に失礼か。
霊の協力を得ると表現すべきか。 心霊スポットと呼ばれる場所を探索して超常現象を目撃・記録する
よりも自身の内面と向き合って守護霊と対話するほうが安全であり、
自身の霊能開発になりはしまいか。 仮に寝たきりの状態にある人であっても守護霊と対話することは可能であろう。 幽霊として目撃される未浄化霊にも守護霊がいることを知ってほしい。 某霊能力者があなたには守護霊がいないから守護霊をつけてあげます
というのはデタラメである。 自身の守護霊とはこの世に生まれてくる前からの付き合いだ。
そして死んだ後も付き合いがつづく。 守護霊が自分自身(ハイアーセルフ)でもあるので切っても切れない縁がある。 守護霊なんていないと思ってる人たちは、死んだあと、この私のことを
思い出すことになりますよ。それくらい私はあなたに影響を与えています。 霊が実在し、その霊もかつては生きていた人であるとわかれば
同情こそすれど、恐怖心を抱く対象とはならない。 実際に体験したという話を収集してみると、それらにはだいたいパターン
があることに気づく。そして実に様々なところに霊がいることもわかる。 霊の実在を認めようとしないひとは、そもそも霊について何も調べていない
こともよくわかる。そんなバカな奴とはかかわるだ無駄。 映像に霊が記録されていると主張すると、全力でその映像の不備を
見つけ出そうとし、ひたすらケチをつけて否定しようとする。
その一方で霊とは縁がなさそうな映像については一切疑問視しない。
ダブル・スタンダードを全力で持ち出すバカ。 イソップ寓話のすっぱい葡萄みたいな態度をとるバカ。
もっと素直になればいいのにそれができない見本。 どう考えても映像に記録されている霊は否定のしようがないのだが、
それを否定したつもりになる行為とはいったい何なのか。 映像を霊視して霊が見えるといっているのではなく、明らかに人型のものや
ガス状のものが記録されているのに、それにケチをつけるのは
ただの言いがかりにすぎないことを認めるべきだろう。 霊が映像として記録に残ることはとてつもない発見なのに、
それよりもその事実を否定することに躍起になる奴らはいかがわしいだけだ。 霊を見たと訴える者がその証拠として映像を持っていることは
驚くべきことなのだ。それが監視カメラや車載カメラの映像だったりすると
その信ぴょう性は高い。 ごく当たり前の理屈を受容できない奴らを相手にするのはバカバカしい。
主観的な現象ではなく、映像という客観的な現象を小馬鹿にするのは
ただのバカ。 車載カメラの映像が決め手となる事件はたくさんある。
これが一般となっているのに、そのカメラに霊が映っていると
全力でそれを否定するバカが現れる。 ダブル・スタンダードを理解できない奴らがたくさんいる。 しかし怖い話を聞きながらの作業において、そのお話が全然怖くない。
だから不思議なお話という括りで聴いている。 もう一方のスレッドで、相も変わらず知ったかぶりをしてる人たちか。
あちらには近寄りたくない。悪い感じしかしないので。 >>415
Dowはデリヘルというサービスを日常的に利用するジジイなの?
落ちるところまで落ちてるのね。 金魚だったか熱帯魚の飼育が趣味だったかな。
部屋の中に水槽を置くのはよくないらしいよ。 観賞用に魚類を飼育することにもカルマが生じる。
土木工事なんかで池や沼を埋めるとき、大量に生き物を殺してしまうので
それなりに供養をする業者もあるくらい。 そこは難しい
熱帯魚は自然界の中では平均して1年も生きられない
設備を整えて飼えば何年も生きる
ただし人間に飼われることが幸せではない、という考えもあるだろう 特定外来生物に指定されるものが自然界に放たれると、
生態系に悪影響が出る。それを後押しするような消費行動は避けたほうがよい。
負のカルマの蓄積はいずれ利息付きで返済を迫られる。
逆に正のカルマというものも考えられる。こちらは徳を積むと表現したほうが
わかりやすいか。ラッキーポイントを貯めましょうってこと。 じつは守護霊はラッキーポイントが不足していることでさえ
伝えてくることがあるんだ。そうやって負のカルマの一括返済を
引き延ばそうとしてくれるんだが、ほとんどのひとたちがそんな
守護霊のメッセージに気づかない。 ちょっとした事の積み重ねが不運を遠ざけることにつながる。
道路にペットボトルが転がっていることに気づいたら、自分にできる範囲で
それを拾って処分するとか。些細なことの積み重ねを守護霊は
しっかりとみているんだ。ゴミに気づくということは「さあ、どうするの?」
と守護霊に問われているわけだ。 野良猫の子猫を保護する活動をしている人たちなんか、それだけで
すごいことなんだ。保健所で殺処分されてゆく動物たちをどうにかして
減らす取り組みをしている人たちもすごいことなんだ。
この行いが積もり積もって世界平和をもたらすかもしれないんだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています