薬剤師リンチ殺人事件 - Wikipedia
タイトルHPより引用
>>薬剤師リンチ殺人事件(やくざいしりんちさつじんじけん)とは、
>>1994年1月30日に当時29歳の元オウム真理教信者の薬剤師(以下O)が、
>>オウム真理教の富士山総本部で治療を受けていた女性をその息子(以下Y)、
>>親族達と共に救出しようとして失敗し、
>>麻原彰晃の指示でYらによって殺害された事件。
>>麻原が起訴された殺人事件の中で唯一、殺害現場に立ち会った事件である。

〜中略〜
>>殺害[編集]
>>「今から処刑を行う」として駆けつけた麻原は
>>「これからポアを行うがどうだ」と尋ね、
>>村井秀夫は「ポアしかないですね」、
>>新実智光は「帰すと被害者の会やマスコミに話したりするのでポアしかない」、
>>井上嘉浩は「泣いて馬謖を切る。

>>しかしポアするより生物兵器の実験台にした方がいい」などと発言した[8][9][10]。
>>後に、ここで麻原の正妻である松本知子が発言をしたかが裁判で争われた。
>>麻原はYに「Oを殺せば命を助ける[11]」と発言。
>>Yは「やったらほんとに帰してもらえるんですか。」と尋ねると
>>麻原は「私が嘘をついたことがあるか。」と答え、
>>Yも悩んだ末実行に応じた[8]。

>>OはYに「いいんだ、それより巻き込んじゃってごめんな。」と答え、死を覚悟した[12]。
>>Oは目隠しとビニール袋を被された後に催涙スプレーを噴射され、
>>苦しんで暴れたため幹部数名に押さえつけされた。
>>そして新実が持ってきたロープでYが首を絞め窒息死させた。
>>死体はその後第2サティアン地下室のマイクロ波焼却装置で焼却された[8][2][13]。