皆シミュレーションされた世界の人間だった [無断転載禁止]©2ch.net
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現実世界はシミュレーションに過ぎないという「シミュレーション仮説」とは? - GIGAZINE
http://gigazine.net/news/20170922-simulation-argument/
2017年09月22日 23時00分00秒
私たちが「現実」だと感じている世界は、実はシミュレーションに過ぎないという「シミュレーション仮説」という
概念が出されています。イーロン・マスクなどの著名人にも肯定論者のいるシミュレーション仮説がどんなものかを
アニメーションムービー「Is Reality Real? The Simulation Argument」が解説しています。
(日本語字幕付き) Is Reality Real? The Simulation Argument - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tlTKTTt47WE
技術が進化する将来、宇宙全体の現象をシミュレーションできるようになるかもしれません。
http://i.gzn.jp/img/2017/09/22/simulation-argument/a03.png
しかし、「もうすでにそうなっている」という可能性はないでしょうか?
http://i.gzn.jp/img/2017/09/22/simulation-argument/a04.png
私たちは創造主ではなく、創造された産物ではないか?
つまり、「私たちが生きている世界は、高度な文明をもつ宇宙人によってシミュレートされた世界ではないか?」
というのが「シミュレーション仮説」です。
http://i.gzn.jp/img/2017/09/22/simulation-argument/a05.png
現在の物理への理解が正しいものだとしても、 では、その全てに股がった存在の役割とは?
な〜んてな事を思考している不思議な存在。
なんだろーね?
答えなんて理解出来る時が来るのかね?
ふぁ〜あ……… 魂の成長の為になどと言う人が居る。では魂の成長とは何?何を持って成長と言うのだろう?ある人はこう言う、解脱すれば輪廻から外れて、もう生まれて来ないのだと。生まれて来たくないとは、消えて無くなりたいのだ。つまり魂の成長の究極地点は消え無くなる事だろう。 解脱すれば3次元に生まれないだけで、その上の次元、またその上の次元で、魂の成長をなしてゆく…などと言う者も居るだろう、だが、どの次元だろうが解脱という卒業を目指す訳だ、卒業して、その次元に生まれない為に、つまり消えて無くなりたい為に だが、消えて無くなる事が簡単ではないのだ。
生きてる者からすれば死ねば消えて無くなるなどと安直に言う者も居るだろうが、生死など振動の表れに過ぎず、急に死ぬなどは波を立てるようなものだろう。消えて無くなるとは、無振動の状態。無振動への道のりは緩やかに…… 存在(意識)というものが消えて無くなれないがゆえの、代替え究極状態である無振動への道のり。だが、その状態の先は、またいつか振動を始めるのかも知れない、ならば結局、すべては無駄で無意味なのかも知れない。それでも尚、究極形態があるとすれば……それは…… 在りて在りように、無きて無きように
生きて生きように、死して死にように
あるがまま、なすがまま
思わずに思い、行わず行い
などと、単なる独りごとを書き綴ってみた… この世界が孤立系なら熱的死に向かうけど
やはりどこかで開かれた系なんじゃないかと思っていて
金魚鉢の泡の外との交通はやっぱりあるような気がしています
11次元は想像できないけど 数字でアナログな世界を表せるのが不思議だなと思う
シミュレートしてる側は数字を使ってるのかな 膨張をしている間は閉じていながら開放系のようにふるまいます。
シミュレートではデータの切り捨てが起こっており、これが人では記憶の消失
として現れます >>199
人間が連続的だと思ってる時間や長さにもそれ以上細かくできない最小単位があるらしい
プランク時間とかプランク長でググれ またこの世に生まれて来ない為の死に方とは、
自らはこの世の何にも執着心を持たない事であり、またこの世の誰からも自分への思いを残されない事だろうか、まるで動物が死に際を見られないよう身を隠すように、生きていた痕跡も残さず、神隠しのようにフェードアウト。 この世界の誰にも、頼らず頼られず、思いを残さず残されず、善き思いであれ悪い思いであれ、喜怒哀楽のすべての念を残さず残されず、生きていた痕跡すら残さず、人畜無害であり、記憶にも残されず、残っても直ぐ忘れられるような、大いなる何でもない人、そんな気が…… 消えて無くなりたいとは、無振動でありたいとは、その在り様とは…… そうでなければ、その人はまだ振動したい人、
喜怒哀楽の可能性の全てを、まだ残り多くのシナリオを、やり尽くせてないんだろう、まだ飽き尽くしてない、まだ遊び足りない、まだ振動を望んでいる、望んだ者はまだ続くのではないのだろうか、自ら飽きるまで諦めるまで…… 憎しみも恩も妬みも憧れも、どんな念も残さず残されず、記憶にも残らず、夢にも出て来ず、
ごくありふれた、世界に擬態化して気付かないような、居ても居なくても何の違和感もなく、存在していたが、いつの間にか消えていたような。案外そんなものだったりしてな。適当。 >>200
潜在記憶としては残るのかな、それとも丸ごと消えるのかな
リソースを確保するのに睡眠中にデフラグはしてそう >>208
宇宙のシステムはもっと高度ですのでデフラグは行われていません。
最安定状態に落ち着くようになっています。 /.i
∠__ノ あ!
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/__ 〉 人類という集団のエゴがさ、文明という人類以外には無意味で害しかない波を立てたの、その波がどんどん大きくなって、そろそろ反作用の時期が来てるのよ、こういうサイクルなのは仕方ないのかね、突破出来るのかね、また突破したとして、人類が生き残る事に意味あるのかね 過去の宇宙生命体が同じ様な状況を突破して、宇宙空間か別の星に残ってるとして、その生命体が生き残ってる事に意味あるんかね、その生命体も人類同様に何で生まれたとか何で死ぬとか悩んでたりしてさ、でも答え出るかな、思考する生命体っていらんのとちがいますか ずいぶん妄想の割合が多くなってきたような気がするので、この辺で止めときま。 答えが分からんから意味があるのかもな
答えが分かってたら逆に絶望するかもな
とすると、逆に突破出来ない方が
希望がたくさんあったりして
だいぶ頭イカレてきたかな
やめやめ 自然サイクルというか宇宙システムというか、ある場に何らかの法則が、いつからか知らんが在ったのな。でその法則の中の一部の人類という生物がさ、初めは法則に順応するように変化してたのが、ある時期から自らは変化せず法則の方を変化させよう操ろうとし出したのよ 法則があったから発生した生物が、その生物を基準にして、周りの環境法則を操作し出した、主従関係を逆転させ出した。法則の一役割を担ってただけの存在が、そのただの一役割(生まれ呼吸し食べ糞し交尾し死ぬ)を主とした世界に変えようとしてる。それ継続するんかね? 継続出来たとして、そこに意味あるんかね?、その方向で人類より先に進んで、生き残ってるであろう宇宙生命体達よ、何の為にそうまでして生き残ってる?、次の突破口あったかな?、その次は?、で究極はどうなる?どうする? その前に継続出来んだろ、とある生物の(生まれ呼吸し食べ糞し交尾し死ぬ)を中心に据えた基準とした世界。まあ歪むだろうね。
なんじゃこりゃ、よね。
ではどうする?結局どう?どんな作用が働く?
という事は今後この世界どうなると予想する? ♪何が起きても変じゃない
そんな時代さ覚悟はできてる
よろこびに触れたくて明日へ
僕を走らせてくれ
僕の中にある「es」 宇宙法則の一役割を果たす為に発生した全ての知的生命体達よ、そんな一役割を基準にして生き延びてどうなる?何故生き延びたい?どうせ答え出てないだろ。その役割は宇宙法則の中の只の自然現象よ、自然現象は自然のままに任せると楽になるさ。知性などいらんかったのよ 生まれたら、ただ生きて死ぬ
ただただ死ぬまで生きる
呼吸して食って放尿して糞して交尾したり
生物の役割はそれでOK
その他の行為は知性という無駄なものが作り出した幻さ。なぜ何とかのリンゴ食ったかね? なぜそそのかした?、いや、なぜそんな木が生えとった?、なぜそんな実がなってた?
こんなんも全て必然のストーリーか?
でエンディングまで体験したら
似たようなストーリーのオープニングか?
やってられませんわ 知性というものの学び、知性をもつ生命体は、どういった体験をするのか、知性とは?知性とはどう揺れ動くのか?知性という有の世界の振動とは?知性の究極形態とは?知性が究極まで達すると存在は結局どうするのか?これもやはりウンザリするほど飽きるまで体験するのか? 思いが具現化するという者が居る。3次元より上なんかどこなんか知らんが、そこに漂っていた存在が何かの思いをもち凝縮し出した、何を思ったかしらんが、それが3次元に具現化した結果、今の自分というものがあるのかも知れない、はてさて、その思いとは何だったのか? 存在(意識)が何らかの偏りというか、濃度の濃さに揺れてみた、濃い部分が3次元に現れた。 その濃い部分を体験したく、それ相応の芝居が観てみたい、いや体験してみたい、どんなシナリオのどんな役柄がいい?観終わって満足したか?まだか?では別のシナリオも観るか? な〜んてな妄想の独りごとを
書きたくなったり書きたくなくなったり
なり〜…………… 思いが濃ければ濃いほど、偏りが大きければ大きいほど、より濃縮された次元に現れるのか?、波が大きいほど、山と谷に別れてる様に見えてしまう、二元論の世界に、二極化の世界に見えしまう、その様にシナリオも進む、思いという偏りが強いほどに。その結末を理解するまで ん……
閉じられた箱からのエスケープは、まだまだ全然無理っぽい、出口を探す場所、探し方、探す道具、近付いたのか遠ざかったのかも不明。
脱出したいのかどうか、まだまだ遊び足りないのかどうかも不明。まだ飽きてないのか?… 知性ある生物は、いつの間にか複雑な社会を形成しまう、思いと行為が直結しにくい複雑な社会、思いを叶える行為に行くまでに途中経過の行為を挟む必要が出てくる、その為に思いと行為の一致を阻害してしまい、思いと行為が分裂し易い。分裂すると自我が発生するのかもな 思いと行為がピッタリ一致してる時、おそらく時間がアッという間に過ぎるというか時間を感じない、そんな時、おそらく自我も感じない、自我が無い瞬間と言える。だが知性ある生物は、思いを叶えるには、まずA行為をしてBをしてCをしてと思考するので自我が出てしまう 知性ある生物が形成する複雑な社会では仕方ない事なのだろうか、解決策はあるのか?
なんて思いが浮かんできたので、そのまま書いてみた 知的生物が複雑怪奇に発展させた文明社会が、思いと行為の一致を阻害し易い状況を作ってしまった 有は無へ向かう、有の全ての可能性を体験するとウンザリして無へ向かうだろう。実際は全ての有を体験するのは不可能だ、有のパターンは無限にあるから。だが知的生命体は無限種類を想像出来る、想像も体験の内。不老不死のウンザリ加減をいつ気付くか、そしてどうするか だが逆に無は有へ向かうのかも知れない。
無にもウンザリするか?不明?想像出来る?
有の虚しさと無の虚しさか?無に落ち着くか?知性の究極に達するまで
知性をもった生命体というジャンルのシナリオを延々と体験する、無へ向かう為か? 有にウンザリするまで、延々とシナリオを体験する、まだウンザリしないのか、これでもか、これでもかと、繰り返すごとに、よりウンザリするシナリオに編集される、これでもウンザリしないのかと。いつ気付くのか。もうウンザリですと気付くまでか…………… だが存在は無に成れない、消えて無くなれないのかもな、成れそうなのは無振動、いや、それにも成れないのかも知れない、ならば、どんな物語に登場していようが、その登場した何かの思いと行為を一致させ、物語の風景のように時間を感ぜず、アッちゅう間に過ぎることか… 有と無とは意識の濃度の濃さだったりしてな、思いの濃度の濃さとか。薄さの極地が無の極地で、濃さの極地が有であり個体とか塊とか。肉眼で見える領域以上の意識(思い)の濃さを有といい、肉眼で見えない領域以上の意識(思い)の薄さを無というのかもな。 意識(思い)の濃い部分は薄い方へと混ざろうとする、薄い部分は濃い方へと混ざろうとする、やがて意識(思い)が均一化された時、意識(思い)が無くなった訳ではなく存在はしているのだが、均一化していて濃度に差異がない為に、無い様な有るようなだが、ある種「無」の様な この宇宙に人類より遥かに進んだ文明をもつ知的生命体が生存しているとすると、そいつらは自然(法則)をコントロール(支配)しようとしてるはず、そうでなく自然(法則)に従っているなら存続してないはず、つまり人類もコントロール(支配)しようとしてる、もしくはしてるはず 人類が地球上の他の生物をコントロール(支配)しようとしてる、もしくはしてるように。
そうでなければ存続出来ていなかっただろうから。 自然(法則)というものは、ほっておけば、濃度が均一になるように向かうのだと思うのだが、現状そうはなってない、もしかしたら逆に濃度に差異をつけるような力も働いているのか?それはどこかの知的生命体が存続するために、コントロールの手を加え続けているとしたら そもそもの自然(法則)なるものすら、そいつらがコントロール(支配)する為に作り出しているとしたら。そもそもの生物すら、そいつらが作り出していたとしたら。などと考え出すとキリがないね、どこまでも答えに行けず。ならそんな世界でどうやり過ごそうかね。諦めとぁた 学ぶという行為、真似るという行為ね。人類はこの特徴が、他の動物より抜きん出てる、この特徴によって文明が発展したと言える。これを別角度から見てみよう。この特徴の生物って支配するには最適じゃね、万能に扱う奴隷として使うのに最適じゃね、ん…?、もしかして… 教えて学ばせて真似させて(思考すること)、
万能に作業するぜ、この動物は。
教育の仕方で何にでもなる、奴隷に最適。
ひょっとして改造されたのかぁ〜
不自然に改造されたという可能性は?
だから不自然に自殺したりの不自然な生物? どこかの知的生命体が奴隷として改造して利用した後に、事足りて用済みとなり、放置プレイさせられてるのが現状の人類だったりしてな。すると人類ってのは、自然法則とは別から発生した不自然な生物だとか。ならば精神がイカレてるのが普通の仕様であるわな、な〜んて。 まあ、嘆いていても何も変わらず堂々巡りするだけなんだろ。どんな経緯だろうと、現状もってるもを使用して、または持たされたものを逆利用して、それに追い付き追い越してってか。
真似る能力(知性)ってのが善いものとは限らんぞとね、で、知性を越えるってなんだろうね? この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる 迷わず行けよ
行けばわかるさ
ありがとー 昨日より今日、今日より明日ってか
三歩すすんで二歩さがるってのもある
今は停滞中、いや足踏み中か?、遠回りしてる様で近道だったり、その逆だったり、どの道も終点が同じなら、急いでもゆっくりでも、どの道でもいい、行けばわかるさってか 終点=始点
だったりするのなら、なおさら
なんでもいい 迷ってるね〜
とりあえずこの世がいったん終了してくれるといいのだが
まだ100年は続くらしい パズルのピースがバラバラなんよね、まだ全てのピースを発見出来てないのか、ピースの形を見誤っているのがあるのか、偽物のピースが混じってるのか、何れにしても、統一場理論的な絵は、まだ完成しそうにない、今世中では無理か、ならまた全て忘れてゼロから始めるのか… 波を立てては治め、善悪を行っては改心し、
儲けすぎては還元し、思いを残しては昇華し、
生まれては死に、苦労して楽になり楽をして苦労する、食べては排泄し、吸っては吐いて吐いては吸う、極まれば覆る、栄えては荒廃する 存在が振動してるのか
振動が存在なのか
存在が思っているのか
思いが存在なのか
俺がキチガイなのか
キチガイが俺なのか 始まりがあれば終わりがある
終わりがあるから始まりがある
失敗も無ければ成功も無い
ただ変化があるだけ
築いてもなく壊してもない
ただ揺れているだけ マジックは種明かしされてないから楽しめる、
物語は結末を知らないから楽しめる、現状がツカミなのか、ネタ振りなのか、テンドン中なのか、大ドンデン返し中なのか、オチ寸前なのかは分からない、分かっていれば物語の楽しみは減る、分からない方が良い事もあるのかもな ./|
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,ィ‰、 彡 と __
ノ☆从、 //\ ̄ ̄旦 \
ノノノ人∂ // ※ \_____\
''⌒┃⌒`゛ \\ ※ ※ ※ ※ ※ ヽ、
田. \`ー―――――一-\
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 何となく分かる
世界の行き先は予め決まっている気がする
変えられる運命もあれば変えられない運命もあるって感じ
過去現在未来
昨日今日明日
この世界は3の上に成り立ち、さらに偶然に見える必然の上に成り立っている
一般人も救世主もこの世界に組み込まれている
この世界は三位一体の下に進む 宇宙人によるシミュレーションか
それともまた別の存在か
それは分からないけど たぶん存在が先じゃないのよ
まず何らかの思いの固まりが出来た
その思いに沿った物語が出来た
物語の配役が決まり配役という存在が出来た
元々の何らかの思いが無ければ存在も無い
何らかの思いの有無が、存在の有無を決める 何らかの「思い」という偏りが、存在を創造してるのではないだろうか。何らかの「思い」が有れば、物語と一緒に存在が生まれくる、「思い」が有る限り生まれ続ける、生死を繰り返す、輪廻する、そんなとこだろう。「思い」の有無のどちらがいい?どちらでもどうぞ…… 深淵理論で言うなら
我々をシミュレートしてる何者かもまた
我々にシミュレートされているのだ 生まれたてから幼児期の頃までは、記憶が無いので、その頃、自分では自分が存在していた確証はない、だが、どうやら肉体は存在していたらしい。その後、自分は肉体も含めた自己の存在を認識し出す。そしてまた老いるに連れて、自己の認識が薄れてゆく、人間とはそんな生物 かも知れない。自我が無い状態から、強烈に自我が有る状態となり、やがてまた自我が薄れてゆく。何故そうなるのか。精神と肉体が一致していたものが、精神より肉体が遅れ出し自我を認識し出し、やがて精神が肉体の歩調な慣れて、精神が肉体に合わせ出し、自我が薄れるのか こんな適当な仮説を、垂れ流してみたり。
肉体とは精神に紐でくくりつけられた重りのような抵抗か?精神の自由を制限する足枷?。
精神と肉体が一致してる時は、生まれたての時のように、自我が無く、そんな時は記憶も無く、アッちゅう間に過ぎ去るのか、時間も無く。 なんだろうね?
何故そうなのか?
何故そんな事をする必要があるのか?
思考があるから?思いがあるから?
分からんまま寝るzzz… 神だか宇宙人だか高次生命体だか 知らないが
何者かが作った
プログラムを走らせてみたら、こんなんなりました 的な
混とんとした人間界
植物や昆虫や水・音・波・光みんな美しく数学的なのに (いや詳しくはないが >肉体とは精神に紐でくくりつけられた重りのような抵抗か?精神の自由を制限する足枷?
正解(笑 肺という臓器が究極の状態の時、丁度いい時、呼吸という動き(振動)は感じない、振動を忘れる、肺という臓器が動いてる事を忘れている、意識をしていない、そんな時、肺という臓器の存在が無いと言っても過言ではない、記憶にもない。それでも肺臓という肉はあったらしい。 存在が無くなるとは?自我が無くなるとは?
そんな事ではないだろうか?
3次元中に肉的な固まりは存在してるのだが、
精神やらなんやらや肉体も含めた集合体が、究極の状態、丁度いい状態になった時、存在や自我は忘れ去られる、あたかも無くなったように そういう状態を、この文明社会というがんじがらめの箱の中で体現する困難さはいかほどか、体現する事は可能だろうか? 自然とは諸行無常、常に変化しているのが自然、だが、その自然という箱の中に在りながら、変化しない事を望む(思う)者達が居る、永遠の生(有)や、永遠の死(無)や、永遠の安定などを、人類から高度知的生命体まで皆同じ、自然(変化)に逆らってる。その行く末は……? 「思い」とは偏りという波、ある偏りという「思い」を思い(願い)続けた時、その偏りという波の山と同等の波の谷も発生してしまうのだろう。「思い」とは波の発生の根元かもな。
この宇宙という箱の中で、安定した楽という波の山を思い(願い)続ける知的生命体達が居る とすれば、そいつらは、苦という波の谷で在り続ける何か達を踏み台にし続けなければならないのではないのだろうか?。だが、そんなものが続くはずがないのが、自然という諸行無常の箱の中。ならば我々に出来る事は、自然に順応し、自然に溶け込み、思い(思考)を消す事か? 死にたくなくても死ぬし、生まれたくなくても生まれる、自然とは「思い」に無関係で諸行無常なのよ、栄えたら滅ぶし滅んだら栄える、始まったら終わるし終わったら始まるのよ。
さて皆様、この箱の中でどう過ごされますか? 延々と家畜として生まれ続けるとして、延々と家畜として死に続けるとして、延々として家畜の生死を繰り返すとして、そんな箱の中で延々と過ごす事が決まってるとして、どんな抵抗も無駄で無意味だとして、さて皆さま方は、
どの様にお過ごしになられますでしょうか? 知性の学び(真似る)という行為の限界が来た時、何処かに存在してる高次知的生命体達からも全て真似し尽くした時、真似る事の限界が来る、その限界はAIが極めるだろう。さて、それで?、それが何?、だから何?ってな。どうせ行き詰まるよ。そんな奴は偉くも何ともないね。 だから何?
という命題の答えを出せない留年生が、
答えを求めて思考する期間を延々と引き延ばしてる奴等が、この宇宙にまだ生き残ってる、高度知的生命体という輩どもだろう?。
みたいなね 何も思わずただ在るかっ………
永遠の睡眠中なんて憧れるよなぁ〜
だがそうはさせてくれない世界に在りて、
ましてや複雑にこんがらがった社会に在りて、
まあ半分でも体現出来れば大したものかぁ?
半○半○○みたいななぁ、可能かぇ? 独り言のクセがひどいんじゃ〜
まあ、1ミリも体現出来てない
何も知らない俺だからホザける独り言
半妄想半ポエムにしかならんねぇ〜 靴が丁度いい時は靴は意識から消える、靴のサイズが合わなかったり、何らかの違和感があるから靴を意識する、靴が存在する。肺や呼吸に違和感があれば肺を意識する、肺が存在する。自我が存在するのは違和感があるからだ、自我が丁度いい時は自我は消える。な〜んてな。 なんやとー!、じゃあ、丁度いいってなんやねん!、何と何が丁度いいね〜ん! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています