皆シミュレーションされた世界の人間だった [無断転載禁止]©2ch.net
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現実世界はシミュレーションに過ぎないという「シミュレーション仮説」とは? - GIGAZINE
http://gigazine.net/news/20170922-simulation-argument/
2017年09月22日 23時00分00秒
私たちが「現実」だと感じている世界は、実はシミュレーションに過ぎないという「シミュレーション仮説」という
概念が出されています。イーロン・マスクなどの著名人にも肯定論者のいるシミュレーション仮説がどんなものかを
アニメーションムービー「Is Reality Real? The Simulation Argument」が解説しています。
(日本語字幕付き) Is Reality Real? The Simulation Argument - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tlTKTTt47WE
技術が進化する将来、宇宙全体の現象をシミュレーションできるようになるかもしれません。
http://i.gzn.jp/img/2017/09/22/simulation-argument/a03.png
しかし、「もうすでにそうなっている」という可能性はないでしょうか?
http://i.gzn.jp/img/2017/09/22/simulation-argument/a04.png
私たちは創造主ではなく、創造された産物ではないか?
つまり、「私たちが生きている世界は、高度な文明をもつ宇宙人によってシミュレートされた世界ではないか?」
というのが「シミュレーション仮説」です。
http://i.gzn.jp/img/2017/09/22/simulation-argument/a05.png
現在の物理への理解が正しいものだとしても、 人は生まれ出た時点で舞台役者なんよ、観客席には降りれない、ずっと舞台上に居る。舞台上に居る者はストーリーに何らかの影響を及ぼす。舞台上に居たくない人と舞台上で活躍したい人が居る、無でありたいか有でありたいかの二元論。ストーリーはプロレス的"ヤラセ" 有でありたかった者が飽き飽きして舞台を去りたがり、無を望むようになる。無でありたかった者が有になってみたくなり、プロレス的"ヤラセ"ストーリーの舞台であったとしても参加を望み生まれ出る。その繰り返し。 無にウンザリしたり、有にウンザリしたり、
そんな事を繰り返す存在とは何だろうか、
存在そのものは無の中に居ようと有の中に居ようと、消える事はないのだろうか、
存在とは何だ? ごくありふれた日常と同じ
人は暇なとき退屈したとき何かをする、遊び
無にウンザリすると遊びをする、赤組と白組に別れた遊び、スポーツなどなど、有
そしていつか飽きて止める無へ、そしてまた有
を望み有へ、そしてまた無へ、有へ→無へ→… 有の世界のストーリーは無限に作り出せる
遊びの種類は無限に作り出せる
無(退屈)にウンザリした存在は有(遊び)の世界へ飛び込んだ、有(遊び)の世界は退屈しないように常に変化し、変化なしでは居られないようなストーリーにどれもなっている なぜなら、それを望んだのだから
常に変化する事の恐怖と楽しみ
永遠不変である事の恐怖と安定
どちらを望むかの時期が揺れ動く
行ったり来たりの波
そもそも、それを体感してる存在とは何? そもそもの存在とは?
消えて無くならないのか?
存在自体が永遠に消えて無くなる事の恐怖はあるか?無いか?無いとしても消えて無くなるのは可能か?不可能っぽいか。
永遠と遊びを繰り返す存在、性質は波ってか 無の時に無を嫌がり有へ逃げる
有の時に有を嫌がり無へ逃げる
せわしなく無と有を繰り返す存在は未熟か
無の時に無を楽しみ、有の時に有を楽しむ、そんな存在が熟練者か、最終的には無と有の振動も無くなるのか、そんな状態とはどんな存在だ 死後の世界は恐らく無ではない、生の世界が有ならば、死後の世界はマイナスの有だろう
プラスとマイナスを行ったり来たりの有の波
では無とは何だ?無に近い波の状態とは?
波の高さ激しさを望むか?低さ緩やかさを望むか?どんなストーリーを望む? 波の大きさ回数は有への望み度か
又は無への望まない度
茶番劇であれ有を楽しみ遊びたいかの度合い
又は無での安定退屈が嫌なのかの度合い
波の落差が大きい方が回数が多い方が楽しめる
しかしいつか飽きる?アホらしくなる? 存在は
消えて永遠に無くなりたいのだろうか
それとも永遠に遊び続けたいのだろうか
波の無い無振動の状態を望むのか
波の大きく激しく回数の多い状態を望むのか
存在は何故存在してる、存在の望みは何? _┌┬┬┬┐_
――┴┴┴┴┴―、 ウー
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__[//____(`_// ‘j’ )...|| _ \__ ウー
lロ|=☆= |ロロ゚|■■|■■土曜日ど ■■||
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 ̄ ̄`ー' ̄ `ー' `ー' `ー'
┌─┰─┰─┰─┐
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│ ┃ ┃ ┃ │ ど・・・ど・・・
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└─┸─┸─┸─┘ V
ヽ=@=ノ
. l: ( ‘j’ ) ( ‘j’ ) <あ!今日は土曜日ど!
,l::::(ノ つ と ヽ ||
ソ::::O _ _O|| ̄ ̄ ̄ ̄||(⌒ ),||
. . || ̄ ̄|| || ||(_)||  ̄ || 存在というものが永遠に存在するのなら
たかだか1回の生死で失敗しようが、何万回失敗しようが、何億回同じ事を繰り返そうが、永遠と比べるなら極僅かな期間に過ぎず、いつかは変化の先のゴールへ到達するだろう
さて、そのゴールとは何なのか? 永遠に変化を続けた先のは何に収束するだろうか?、そこに辿り着けば存在はどうなるだろうか?、消えて無くなるのだろうか?、それとも気の遠くなる様なサイクルを、また繰り返すのだろうか?、ならば急ぐ必要があるだろうか?
そもそも失敗など無いのかもな 成功も失敗も、進化も退化も、気の遠くなる様なサイクルの先のゴールまでの、単なるルートに過ぎない、ゴールしても消えて無くならなず、またゼロから始まるならば、急いで進化する必要もないのだろう。問題はそんなサイクルの中で存在は、どう過ごすべきか? 有の世界は何もしないでは存在出来ない仕様になっている。〜しなければならない事が幾つかある、食す、排泄する、呼吸する、眠る、成長→老い、生→死。これらなしでは生の世界に存在出来ない、肉体がある世界。これらによって変化を促される世界、変化せよと促される 存在は、このシナリオを体感したかった、
あのシナリオも、どのシナリオも全て。
喜怒哀楽の全てを体感し尽くしたかったから、
全てのシナリオを体感する、何度でも永遠に、
存在がある限り、存在が消えない限り。
存在(意識)という不老不死の狂気 永遠という安心と恐怖
無限という安心と恐怖
不老不死という安心と恐怖
無限に増える命により終われないゲーム、飽きてしまう対策は無限種類あるシナリオで対応。 そんな中で過ごす熟練者の存在(意識)は、
どの様に過ごすだろうか?
個性など有るだろうか?個性など出したいだろうか?自我など出したいだろうか?
個性(自我)とは偏り、偏りには反動がある、つまり波を起こす事、振動したいか?どうか? おそらく有の世界では振幅(落差)の大きな波、振動数(回数)の多い波、多彩な(想像力)パターンの波が望まれる、そうする事が個性(自我)を存在させる事だから。それが有の世界。
有の世界は波の表れ、個性(自我)とは波の表れ、無の世界に抗う表現が波として出た 生の世界で立てた波、個性(自我)という偏りが、死後の世界で反転した波となる鏡の世界。
そんなところだろうか?
消えて無くなるとは、無であるとは、おそらく生の世界から死後の世界へ行く事ではない。
死後の世界では反転した波が待ってるだろう 有でありたいか?無でありたいか?は、
波として振動していたいか?波の無い無振動でいたいか?ということだろう
波(偏り)を立てたり大きくしたいか?
波(偏り)を消したり小さくしたいか?
有でありたいか?無でありたいか? 有と無ですら波か?
有を望んでいた存在(意識)が無を望むようになったり、無を望んでいた存在(意識)が有を望むようになったり揺れ動く、有の世界の些細な事でも、何事でも揺れ動く、全ては波か?
そんな世界でのゴールは何?ゴールあるのか? 有と無は対極にあるものではありません。
おなじものです 意識というものが永遠に存在するならば、その永遠に存在するものである意識は、永遠不変の各々の固有振動数や振幅であり続けるだろうか?各々の固有振動や振幅は永遠不変なのだろうか?それとも振動数や振幅も変化するのだろうか?ならばその収束先は何になるだろうか? いや逆に考えてみようか、永遠不変のものが宇宙の振動であり、世界の振動の方が永遠不変なのか?、ならば意識の方を消すのか?、意識を消せるなら、生の世界の有も死後の世界の有も、交差点である一瞬の無の世界も、全ておなじものと捉える事も可能か? 最終的に収束するところは、永遠に振動する世界に在りながらも、何事も意識しない存在。
いうならば、無為、無我、空気、自然、透明、無色、舞台上に居ながらにして居るか居ないか分からないような存在、生きながら死んでるような、死んで居ながら生きてるような ゲームの世界においてはNPCのような存在。
そこまで収束する為の道のり
意識としての全ての可能性、喜怒哀楽の全てをやり尽くしても、どうにもならないこの永遠に振動する世界に飽き飽きし、自ら望んで辿り着く境地なのかもしれない 永遠に振動する世界に閉じ込められた、
不老不死の意識という存在の狂気と、
その過ごし方の最終収束地点………? 有の時、有と同化し、存在を隠す
有では有のように振舞い、緩やかに滑らかに、変化を誘い、フェードアウト。
無の時、無と同化し、存在を隠す
無では無のように振舞い、緩やかに滑らかに、変化を誘う。爆発や衝突では波が荒れる。 存在とは蛍光灯のように灯いたり消えたりの連続が、あたかもずっと灯いてるように見えてしまうものかもな、有と無の連続が、有の部分のみを見て、あたかもずっと存在してるように思ってしまうものかも知れない、マクロ的な波もミクロ的な波も。 振動時は振動に合わせて寄り添う。
人に合わせて寄り添う影のように。
無振動なら存在は消えるだろうか
無振動は不可能だろうか
無振動の状態とはどんなだろうか >>138、139
今更だが、発生したマンデラ•エフェクトについて。
(どこにカキコしたか忘れてたもんでw)
近所の神社の名前が変わっていたり、宗派が変わっていたり。
友人は、俺がその神社の由来を調べていたのは、覚えていたよ。
変わると微妙なところで変化がある。人の性格だったり、色々。
一番驚いたのは、銀行に1万円しか入ってなかったのが、4万円になっていたことw | ____
| |[00:49]土|
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/ )し'し' "~~
/ ⊆=⊇ 未熟者の意識と熟練者の意識が混在する世界。
波を重ね合わせて大きくしたい未熟意識と
波を重ね合わせて小さくしたい熟練意識が
混在する世界。
未熟意識は波の山が高いとは波の谷も低いという事に気付いていない意識ゆえに未熟といえる 波は山の部分のみであり続ける事は出来ない、
山の部分でありたエネルギーは、等価のエネルギーとして谷の部分も味わう事になる。
エネルギーがどの様な形として表現されるかは、幾つかの種類があるのかも知れないが、山もあれば谷もありエネルギーの総和は同じ… 根元の全てであったものから分裂していったように見えるものは、波の山と谷、そして、その山と谷は、ある時は山であったり、ある時は谷であったりしながら振動し、周囲に振動を伝達してゆく、伝達する事で一つの大きな波が多くの小さな波へと変容し、最終均一時に無振動へ 波の見え方は、水面下に存在する者から見た見え方と、水面上に存在する者から見た見え方では、山と谷が逆に見えるだろう。
静まっていた水面に空中から石が落ちた様に、
あるいは水中から魚が飛び出した様に、水面の振動が始まり、やがて静まっていくさまの様に 水面という気体と液体の境界面があるように、
液体と個体にも境界面があり、気体と個体が直接交わる境界面もある、また気体とその上の次元にも、またその上の上との…。各々の境界面が波の様に振動している世界の中に、生命という意識は、全てに股がって存在してたりして? では、その全てに股がった存在の役割とは?
な〜んてな事を思考している不思議な存在。
なんだろーね?
答えなんて理解出来る時が来るのかね?
ふぁ〜あ……… 魂の成長の為になどと言う人が居る。では魂の成長とは何?何を持って成長と言うのだろう?ある人はこう言う、解脱すれば輪廻から外れて、もう生まれて来ないのだと。生まれて来たくないとは、消えて無くなりたいのだ。つまり魂の成長の究極地点は消え無くなる事だろう。 解脱すれば3次元に生まれないだけで、その上の次元、またその上の次元で、魂の成長をなしてゆく…などと言う者も居るだろう、だが、どの次元だろうが解脱という卒業を目指す訳だ、卒業して、その次元に生まれない為に、つまり消えて無くなりたい為に だが、消えて無くなる事が簡単ではないのだ。
生きてる者からすれば死ねば消えて無くなるなどと安直に言う者も居るだろうが、生死など振動の表れに過ぎず、急に死ぬなどは波を立てるようなものだろう。消えて無くなるとは、無振動の状態。無振動への道のりは緩やかに…… 存在(意識)というものが消えて無くなれないがゆえの、代替え究極状態である無振動への道のり。だが、その状態の先は、またいつか振動を始めるのかも知れない、ならば結局、すべては無駄で無意味なのかも知れない。それでも尚、究極形態があるとすれば……それは…… 在りて在りように、無きて無きように
生きて生きように、死して死にように
あるがまま、なすがまま
思わずに思い、行わず行い
などと、単なる独りごとを書き綴ってみた… この世界が孤立系なら熱的死に向かうけど
やはりどこかで開かれた系なんじゃないかと思っていて
金魚鉢の泡の外との交通はやっぱりあるような気がしています
11次元は想像できないけど 数字でアナログな世界を表せるのが不思議だなと思う
シミュレートしてる側は数字を使ってるのかな 膨張をしている間は閉じていながら開放系のようにふるまいます。
シミュレートではデータの切り捨てが起こっており、これが人では記憶の消失
として現れます >>199
人間が連続的だと思ってる時間や長さにもそれ以上細かくできない最小単位があるらしい
プランク時間とかプランク長でググれ またこの世に生まれて来ない為の死に方とは、
自らはこの世の何にも執着心を持たない事であり、またこの世の誰からも自分への思いを残されない事だろうか、まるで動物が死に際を見られないよう身を隠すように、生きていた痕跡も残さず、神隠しのようにフェードアウト。 この世界の誰にも、頼らず頼られず、思いを残さず残されず、善き思いであれ悪い思いであれ、喜怒哀楽のすべての念を残さず残されず、生きていた痕跡すら残さず、人畜無害であり、記憶にも残されず、残っても直ぐ忘れられるような、大いなる何でもない人、そんな気が…… 消えて無くなりたいとは、無振動でありたいとは、その在り様とは…… そうでなければ、その人はまだ振動したい人、
喜怒哀楽の可能性の全てを、まだ残り多くのシナリオを、やり尽くせてないんだろう、まだ飽き尽くしてない、まだ遊び足りない、まだ振動を望んでいる、望んだ者はまだ続くのではないのだろうか、自ら飽きるまで諦めるまで…… 憎しみも恩も妬みも憧れも、どんな念も残さず残されず、記憶にも残らず、夢にも出て来ず、
ごくありふれた、世界に擬態化して気付かないような、居ても居なくても何の違和感もなく、存在していたが、いつの間にか消えていたような。案外そんなものだったりしてな。適当。 >>200
潜在記憶としては残るのかな、それとも丸ごと消えるのかな
リソースを確保するのに睡眠中にデフラグはしてそう >>208
宇宙のシステムはもっと高度ですのでデフラグは行われていません。
最安定状態に落ち着くようになっています。 /.i
∠__ノ あ!
_〈,( ‘j’ )ノ
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_〈,( ‘j’ )ノ 今日!
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_〈,( ‘j’ )ノ 土曜日!
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〈,( ‘j’ )ノ ど!
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∠__ノ あ!
_〈,( ‘j’ )ノ
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/__ 〉 人類という集団のエゴがさ、文明という人類以外には無意味で害しかない波を立てたの、その波がどんどん大きくなって、そろそろ反作用の時期が来てるのよ、こういうサイクルなのは仕方ないのかね、突破出来るのかね、また突破したとして、人類が生き残る事に意味あるのかね 過去の宇宙生命体が同じ様な状況を突破して、宇宙空間か別の星に残ってるとして、その生命体が生き残ってる事に意味あるんかね、その生命体も人類同様に何で生まれたとか何で死ぬとか悩んでたりしてさ、でも答え出るかな、思考する生命体っていらんのとちがいますか ずいぶん妄想の割合が多くなってきたような気がするので、この辺で止めときま。 答えが分からんから意味があるのかもな
答えが分かってたら逆に絶望するかもな
とすると、逆に突破出来ない方が
希望がたくさんあったりして
だいぶ頭イカレてきたかな
やめやめ 自然サイクルというか宇宙システムというか、ある場に何らかの法則が、いつからか知らんが在ったのな。でその法則の中の一部の人類という生物がさ、初めは法則に順応するように変化してたのが、ある時期から自らは変化せず法則の方を変化させよう操ろうとし出したのよ 法則があったから発生した生物が、その生物を基準にして、周りの環境法則を操作し出した、主従関係を逆転させ出した。法則の一役割を担ってただけの存在が、そのただの一役割(生まれ呼吸し食べ糞し交尾し死ぬ)を主とした世界に変えようとしてる。それ継続するんかね? 継続出来たとして、そこに意味あるんかね?、その方向で人類より先に進んで、生き残ってるであろう宇宙生命体達よ、何の為にそうまでして生き残ってる?、次の突破口あったかな?、その次は?、で究極はどうなる?どうする? その前に継続出来んだろ、とある生物の(生まれ呼吸し食べ糞し交尾し死ぬ)を中心に据えた基準とした世界。まあ歪むだろうね。
なんじゃこりゃ、よね。
ではどうする?結局どう?どんな作用が働く?
という事は今後この世界どうなると予想する? ♪何が起きても変じゃない
そんな時代さ覚悟はできてる
よろこびに触れたくて明日へ
僕を走らせてくれ
僕の中にある「es」 宇宙法則の一役割を果たす為に発生した全ての知的生命体達よ、そんな一役割を基準にして生き延びてどうなる?何故生き延びたい?どうせ答え出てないだろ。その役割は宇宙法則の中の只の自然現象よ、自然現象は自然のままに任せると楽になるさ。知性などいらんかったのよ 生まれたら、ただ生きて死ぬ
ただただ死ぬまで生きる
呼吸して食って放尿して糞して交尾したり
生物の役割はそれでOK
その他の行為は知性という無駄なものが作り出した幻さ。なぜ何とかのリンゴ食ったかね? なぜそそのかした?、いや、なぜそんな木が生えとった?、なぜそんな実がなってた?
こんなんも全て必然のストーリーか?
でエンディングまで体験したら
似たようなストーリーのオープニングか?
やってられませんわ 知性というものの学び、知性をもつ生命体は、どういった体験をするのか、知性とは?知性とはどう揺れ動くのか?知性という有の世界の振動とは?知性の究極形態とは?知性が究極まで達すると存在は結局どうするのか?これもやはりウンザリするほど飽きるまで体験するのか? 思いが具現化するという者が居る。3次元より上なんかどこなんか知らんが、そこに漂っていた存在が何かの思いをもち凝縮し出した、何を思ったかしらんが、それが3次元に具現化した結果、今の自分というものがあるのかも知れない、はてさて、その思いとは何だったのか? 存在(意識)が何らかの偏りというか、濃度の濃さに揺れてみた、濃い部分が3次元に現れた。 その濃い部分を体験したく、それ相応の芝居が観てみたい、いや体験してみたい、どんなシナリオのどんな役柄がいい?観終わって満足したか?まだか?では別のシナリオも観るか? な〜んてな妄想の独りごとを
書きたくなったり書きたくなくなったり
なり〜…………… 思いが濃ければ濃いほど、偏りが大きければ大きいほど、より濃縮された次元に現れるのか?、波が大きいほど、山と谷に別れてる様に見えてしまう、二元論の世界に、二極化の世界に見えしまう、その様にシナリオも進む、思いという偏りが強いほどに。その結末を理解するまで ん……
閉じられた箱からのエスケープは、まだまだ全然無理っぽい、出口を探す場所、探し方、探す道具、近付いたのか遠ざかったのかも不明。
脱出したいのかどうか、まだまだ遊び足りないのかどうかも不明。まだ飽きてないのか?… 知性ある生物は、いつの間にか複雑な社会を形成しまう、思いと行為が直結しにくい複雑な社会、思いを叶える行為に行くまでに途中経過の行為を挟む必要が出てくる、その為に思いと行為の一致を阻害してしまい、思いと行為が分裂し易い。分裂すると自我が発生するのかもな 思いと行為がピッタリ一致してる時、おそらく時間がアッという間に過ぎるというか時間を感じない、そんな時、おそらく自我も感じない、自我が無い瞬間と言える。だが知性ある生物は、思いを叶えるには、まずA行為をしてBをしてCをしてと思考するので自我が出てしまう 知性ある生物が形成する複雑な社会では仕方ない事なのだろうか、解決策はあるのか?
なんて思いが浮かんできたので、そのまま書いてみた 知的生物が複雑怪奇に発展させた文明社会が、思いと行為の一致を阻害し易い状況を作ってしまった 有は無へ向かう、有の全ての可能性を体験するとウンザリして無へ向かうだろう。実際は全ての有を体験するのは不可能だ、有のパターンは無限にあるから。だが知的生命体は無限種類を想像出来る、想像も体験の内。不老不死のウンザリ加減をいつ気付くか、そしてどうするか だが逆に無は有へ向かうのかも知れない。
無にもウンザリするか?不明?想像出来る?
有の虚しさと無の虚しさか?無に落ち着くか?知性の究極に達するまで
知性をもった生命体というジャンルのシナリオを延々と体験する、無へ向かう為か? 有にウンザリするまで、延々とシナリオを体験する、まだウンザリしないのか、これでもか、これでもかと、繰り返すごとに、よりウンザリするシナリオに編集される、これでもウンザリしないのかと。いつ気付くのか。もうウンザリですと気付くまでか…………… だが存在は無に成れない、消えて無くなれないのかもな、成れそうなのは無振動、いや、それにも成れないのかも知れない、ならば、どんな物語に登場していようが、その登場した何かの思いと行為を一致させ、物語の風景のように時間を感ぜず、アッちゅう間に過ぎることか… 有と無とは意識の濃度の濃さだったりしてな、思いの濃度の濃さとか。薄さの極地が無の極地で、濃さの極地が有であり個体とか塊とか。肉眼で見える領域以上の意識(思い)の濃さを有といい、肉眼で見えない領域以上の意識(思い)の薄さを無というのかもな。 意識(思い)の濃い部分は薄い方へと混ざろうとする、薄い部分は濃い方へと混ざろうとする、やがて意識(思い)が均一化された時、意識(思い)が無くなった訳ではなく存在はしているのだが、均一化していて濃度に差異がない為に、無い様な有るようなだが、ある種「無」の様な この宇宙に人類より遥かに進んだ文明をもつ知的生命体が生存しているとすると、そいつらは自然(法則)をコントロール(支配)しようとしてるはず、そうでなく自然(法則)に従っているなら存続してないはず、つまり人類もコントロール(支配)しようとしてる、もしくはしてるはず 人類が地球上の他の生物をコントロール(支配)しようとしてる、もしくはしてるように。
そうでなければ存続出来ていなかっただろうから。 自然(法則)というものは、ほっておけば、濃度が均一になるように向かうのだと思うのだが、現状そうはなってない、もしかしたら逆に濃度に差異をつけるような力も働いているのか?それはどこかの知的生命体が存続するために、コントロールの手を加え続けているとしたら そもそもの自然(法則)なるものすら、そいつらがコントロール(支配)する為に作り出しているとしたら。そもそもの生物すら、そいつらが作り出していたとしたら。などと考え出すとキリがないね、どこまでも答えに行けず。ならそんな世界でどうやり過ごそうかね。諦めとぁた 学ぶという行為、真似るという行為ね。人類はこの特徴が、他の動物より抜きん出てる、この特徴によって文明が発展したと言える。これを別角度から見てみよう。この特徴の生物って支配するには最適じゃね、万能に扱う奴隷として使うのに最適じゃね、ん…?、もしかして… 教えて学ばせて真似させて(思考すること)、
万能に作業するぜ、この動物は。
教育の仕方で何にでもなる、奴隷に最適。
ひょっとして改造されたのかぁ〜
不自然に改造されたという可能性は?
だから不自然に自殺したりの不自然な生物? どこかの知的生命体が奴隷として改造して利用した後に、事足りて用済みとなり、放置プレイさせられてるのが現状の人類だったりしてな。すると人類ってのは、自然法則とは別から発生した不自然な生物だとか。ならば精神がイカレてるのが普通の仕様であるわな、な〜んて。 まあ、嘆いていても何も変わらず堂々巡りするだけなんだろ。どんな経緯だろうと、現状もってるもを使用して、または持たされたものを逆利用して、それに追い付き追い越してってか。
真似る能力(知性)ってのが善いものとは限らんぞとね、で、知性を越えるってなんだろうね? この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる 迷わず行けよ
行けばわかるさ
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