【大峠入口】日月神示第五十五巻【天津神の天皇版】 [無断転載禁止]©2ch.net
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前スレ
https://mao.2ch.net/test/read.cgi/occult/1499245731
お金のインチキ〜バーチャル経済の罠が 呑み込めて無い人は
日月神示を読んでも 無駄です。
当家は 天津神の天皇家です。
次は国津神から転生している🍀大国主尊🍀(てんし様)の
💮お金の要らない💮社会🙄
https://www.youtube.com/watch?v=yq4_FgHbu4U
💢イメージできない人💢は
必見の寸劇
💗お金💗とは
1.無から作る数字‼
2.増え続けて 減らない‼
ニセ天皇家の💢刷り込み詐欺・騙し💢は たったひとつ
物価は上がってない‼😲 >>828
つまり、下界の悪はあなたの心の否定したいもの。悪を否定するのはいいが、余り憎まないほうがいい。自分の心を憎むことになる。
悪いところ含めた有りのままの自分を認めて許してあげられるといいね。
もちろん偉そうなこといってる自分もできてないよ 大切な人がいる者は他人を幻想とは思わない
孤独に負けたか
偉そうな寂しがりやもあったもんだ あとひとつ、ただ、憎みたいときは死ぬほど憎めばいい、そしてそれに疲れ苦しみ嫌けさして自然に手放すのもいい。知識だけでヒトは変われない。そのために、この世界がる 五六七をミロクと読むのは出口王仁三郎師の考え方から始まってるらしい
岡本天明師も当時の精神世界の影響をもろに受けまくってる
日月神示を読む際にも当時の時代背景を勘案する必要があると俺は考える とにかく戦前、戦中の精神世界の流行の一つが筆先というものだった
トドメノフミの内容が日月神示に似通っているのも同じ神霊から降ろされたものなのだからなのか?
それとも岡本天明師が当時の精神世界の流行に従っただけなのか?
筆先が現代に通じる普遍的内容があるものならば、今という現代の時代に新しい神示を書記する者はいないのか?
色々と疑問があるわ >>835
大日月地神示ってのが出てるよ。神人っていう自称ジャーマンが野草社通して出版してる >>836
ご教示いただきありがとうございます。
まだ、この道に入って日が浅いから知らないことばっかりで
日月神示に興味を持ち始めて読み始めたのが、震災の後くらいから
ただ私生活で色々とゴタゴタがあって読む気力を無くして、惰性で生きるようになって
最初から最後まで全部、通読したのはつい最近
「悪魔に邪魔されて神示を読む気力が無くなる臣民出てくるぞ」ってまんま自分の事が書いてあったり
大日月地神示っていうのも余力があったら読んでみるよ
まぁ、何にせよ神霊から降ろされたものというものはサニワしないとね
日月神示自体も当時の時代背景も考慮して読み進めないといけないっていうのが俺の考え 大本教の影響は明らかだが日月神示の本質がそうであるかどうは断定できない
チャネリングはすべてそうだがそれを受けた者が自分の言葉に変換する段階でチヤネラー本人の個性が出るのは当然
いかなるチャネルリングにおいてもこの問題は避けられない
日月神示は原本は誰にも読めないがそれを言葉に翻訳したのは大本教関係者だから大本教の解釈になるのは当然のこと
今文章として読める日月神示とは大本教が解釈した日月神示で、それが本当の姿なのかどうかは判らないのよ
それでもこの文章以外に手がかりも無いからこの文章からその背後の精神を個々の人間が感じるしか方法がない >>835
今という時代に相応しい神の神示はおそらく2chのレスという形で降臨する
キーボートを叩いてるのはどっかのクズだぜ
だがそのクズの指を動かしているのが神ではないと誰が言いきれるだろう? 岡本天明は、元々大本教の機関紙の編集長。
大本教の影響を受けているのではなくて、大本教そのもの。
第二次弾圧によって、大本教として活動できなくなったから、
日月神示というかたちで活動を始めた。
日月神示を真似た出版物がいくつか出ているが、すべて偽物。
それが見分けられないということは、神示を何も理解していないということ。 うーん、じゃあやっぱり大本教とは何だったのかっていうところから調べないとダメだよね
日月神示以外にも大本教から派生した霊的潮流はいっぱいあり、浅野和三郎氏の心霊研究なんかもそう
俺の家は心霊研究に縁が深い家で、心霊的なものに幼少期から触れてきた
今じゃ日月神示こそが本物だと思っているけど
元をただせば全て大本教
じゃあ、大本教って結局、何だったの?という疑問が俺の前に大きく立ちふさがっている 大本教は新世界秩序について予告してる部分が多いようにも感じる。あとかなり反戦平和な性格で左翼的?
世界救世教の岡田茂吉も世界中の国は統一することを仄めかしていたね。生長の家もそうだったかな >>840
>日月神示というかたちで活動を始めた
この一点だけは納得できない、俺は日月神示で最初に注目した点は
神示の中で明確に神示に基づいた教団の編成を禁じてる点だ
教団活動は明確に神示に背くことになる まあ大本教は日月神示の原文の一部を公開したりと、微妙に神示を下ろした神霊に対して反抗的な部分があるよね >>844
「今までの様な宗教や教への集団(つどひ)にしてはならんぞ」
今までの様な=善と悪に分けて善をやろうとする 日月神示が信じられない人はせめて霊界物語だけは読んどきな。出口王仁三郎の著作で、ネットで無料で読めるから。音読するんだぞ あー、花道と思ってたアメリカも最近全然だめだし、こりゃやっぱ予言通りになっちゃうのかな。神の国がドンドン近づいてるのか 個人の妄想
大本神諭・・・予行演習、弥勒の世先行体験
日月神示・・・本番実働部隊への教書
ひつくの神に怒られるから程々にするが、本来対立する様なものではなないと思う >>850
なるほど
じゃあ、もう世も迫ってきているし、大本教までは遡る必要はないってことですね
神示だけ読めばそれでいいと 日本には古来から意識的に、または無意識的に神の経綸を支える方達がいた。
日月、大本(天理・金光・黒住などの)の流れに理解を吹き込むために、戦国期からの話がふさわしいと感じたので、要約的に興味のある方に記させていただく。 当時の大なる方が天に召され、時間もさほど経たない頃、
ある御方がさる寺で自害されようとされていた。
その時、その方は神の声、天啓を受けた。
その内容を次に記す。 (現代語訳的に記します。)
今、そしてこの後(のち)の日の本に、西洋のもの(文化)が押し寄せる流れがある。
西洋のものを否定するわけではない。
しかし、まだ土台が固まっていない日の本において、西洋のものは毒となり、日本古来から育んできた霊性が失われてしまう危機となってしまう。
そなたにはまだやることがある。
そして、そなたが仕える者が現れる。
刃をしまえ。
追って導く。 仕える者とは、徳川家康さまであり、
やるべきこととは、鎖国政策の敷設だった。
鎖国は経綸上、必要な時間稼ぎでもあった。
江戸時代は長きに渡った平和的時代でもあった。
政治上安定していたため、育めたものも大きかった。
その平和期にありても、日本の神々神霊の準備は進んでいた。
江戸の中期、ある女性が自動書記を行なった。
「をのこ草子」である。
神は万能であるが、万能でもない。
人の力が必要なこともある。
「をのこ草子」によって、ごく普通の人に『自動書記』という『型』を為すことが出来た。
その文書を残すという『型』も為せた。 おかしいなあ・・・
戦国時代や昭和初期のころは、
西洋人より日本人のほうが強かったのに、
なんで最近は日本人はこうもぺらぺらに弱くなてしまったんだい? >>856
自動書記は、一般人の我々でもある程度できるよ?
要は、神流や霊流に合わせればいいだけだから。
それを言ったら、神人合一も一般人の我々にもできる。 江戸時代も終わりに近づいた頃、神の声、天啓を受けた者がいた。
当時はみな、時代が大きくかわるとは微塵にも思っていなかった。
その天啓を受けた者は、越後に住む一介の僧であった。
生まれて間も無く小さな寺に捨てられ、その寺に育てられ、僧になっていた。
その僧は皆が寝静まった深夜に、祀仏である不動尊を前にいつも何かを考えていた。 >>856
はい、自動書記は簡単なものになってきました。
『型』が為されると、『型』が為されれば為されるほど容易になってきます。
『初型』は特に大変だそうです。 その僧は、いつの日か深夜に禊をし、一目を盗んで近くの神社に足繁く通うようになった。
神社に赴き、拝殿の前で正座し、何かを考える日が続いた。
そして、ある日、その僧は神の声を聞いた。
その内容を次に記します。 時代が大きくかわる。
日本は憂国の憂き目にあう。
西洋の物、文化、考え方がどっと日本に流れ込む。
その流れはもはや止めることができない。
それは、日本の民の神性を大きく損ねてしまうだろう。
そして各地、各地域の宮の力も弱くなってしまう。
そなたは、今から旅に出るのだ。
各地、各地域の宮を(物理的・霊的)に修復し(祓い清め)、そして逢う人、出逢う方々と触れ合い『神性の種』を蒔くのだ、植えつけるのだ。
その神性の種は、生まれ変わっても残り続ける。
日本が大変になった時、日本の多くが神性を失いかけた時に、その種が光を灯すよう、発芽するよう、祈りを込めてコトを為すのだ。 霊性が低くなるのは食が原因だがな。四つ足食うなと神示にあるじゃんよ 今の話は単なる裏の舞台の話の一つ。
表では、日本の神々・神霊によって来たるべき時に備えて、動きが開始された。
天理の中山みき様始め、金光・黒住・大本と。
動きはバラバラであったが、日本の神性を守るという面では一致していた。
しかし、問題があった。 >>863
仰るとおり、食は大きな大きな原因の一つです。
食にも大きな変化が訪れました。 一つ目は、人の取り方。
人を大きく動かすために「動機」や「手法手段」、「目標」「インパクト」が必要となる場合がある。
受け取り手や取次次第の危険性は付きまとった。
純粋な信仰からの、運営教団化、形式化など。
ミロクの世への純粋過ぎる想いゆえの、大きな失望。
二つ目は、動きが分散した故の境界。
大きな動きが必要だったため、一気に動く形になったが、それが教団ごとに区別を生んでしまった。
どれが正しいと考えてしまう区別を生んでしまった。 天と地は循環。
天が動き、地に現れ、地が動く。
地の動きを見て、天か思考し、省み、地に再び表す。
天、神々神霊さまも、省み弥栄していく。
地に表してみないとわからないこともある。
神と人の共同作業でもある。
天理も大本も黒住も金光もあったからこそ、日月が生まれた。
そして、日月でさえプロセスだ。
弥栄の最中だ。
(もう少しで終わります。) 日月でさえ、最初の方と後半では雰囲気が変わっている。
日月を降ろしている最中でさえ、神々神霊さまは地の動きを観察し、省み弥栄させている。
後半はみたま磨きへの話題が多くなってきている。
日本の神々神霊さまの想い、これを芯に入れると、江戸末期からの流れを汲み取ることができる。
どれが正しくて、どれが違うという考えは薄れていく。
そして、 日本の神々神霊さまも今なおこの瞬間に弥栄していることに気づくようになる。
新しい理解、もっと詳しい理解をくださろうとしている。
先人の方々の苦労もあり、様々な型がなされたおかげで先ほどの賢き方が仰られたように、自動書記ならす、神の声を聞くことは身近なものになってきた。
もちろん、その流れがどこから来るものかは注意しなければならない。
すべてが身近に、天と地と幽界が近くなってきているからだ。
(つぎ終わります) 易経の、十翼をよむといいよ。
天地を知りたければ。
あと、老子列子莊子。 「此の神示 無闇(むやみ)に見せるでないぞ、
神示は出ませんと申せよと申してある事 忘れるでないぞ。」
「この神示 盗まれぬ様になされよ、神示とりに来る人あるから気つけて置くぞ。
この道は中行く道ぞ、左も右りも偏ってはならんぞ、」 出口なお様も王人三郎さまも、中山みき様も、天明らさまも、他の偉大なる先人の皆様も、今なおお働きになられている。
地で為した経験は、天にて活かすことができる。
今、皆様は志を一つにして集まっている
どの道にも真理に至る道はある。
されど、日月には大きな流れを感じる。
小川の支流が大河に集まるようなものを日月に感じている。
現に日月に入り、行に入りてからは、他の聖なる文献を読まされることも多くなった。
そして、囚われるなと。
日月に囚われては、それ以外が見えてこなくなると。
その先のものを手に入れれなくなると。
ちょっと待って…これで最後のつもりが、なんか降りそう。
あと一つだけ記させてもらう。 普遍的なもの(お日様、お月様、お星様などのイメージ / 精神面での教え)
移ろいゆくもの(四季のイメージ)
弥栄しゆくもの(進化していく動植物のイメージ)
普遍的なもの
移ろいゆくもの
弥栄しゆくもの
普遍的なもの
食して(おして)血肉(霊肉/ちにく)にしろよ
そなたたちを成長させてくれるものぞ
移ろいゆくもの
時節時節の過ごし方を記してあるぞ
必要不必要見極めてくだされよ
弥栄しゆくもの
成長に合わせた衣があるぞ
小さくなったものは窮屈ぞ
大き衣はつまずくぞ
衣はいくらでも用意してあるぞ
どんどん大きくなってくだされよ
待っているぞ
(終わり)
お邪魔いたしました。 をのことやらは知らなかったよ。興味深いレスだった。レスしてくれてありがとう! 近世のフデはすべて完結していない。
それは日月も同じ。
フデを降ろす方がお亡くなりになった後に、続くことは真偽の争いにも繋がるし、宗教教団化した今、続きを降ろすことが天の意向にそぐわないこともある。
日月はある意味、大きな痕跡、『型』ともなった。
大きすぎて次のを出すには様々な困難、様々な不要な争いを生み出すきっかけにもなりかねない。
しかし、それだけのリスクを負ってでも、日月を世に送り出す必要があったのかもしれない。
今の時代の最大の武器はインターネットだ。
昔と比べて、フデを必要な方に無料で公開する土壌は整っている。
また、今の時代、これから先のこと、真実を知りたい方、道しるべが欲しい方も多くいると思う。
(つづく) フデを降ろすことは難しい。
何が難しいか。
いつしか我が芽生え、本来の純なる目的を失い、我を広めることに走り、お金を得ることに目が眩んでしまう。
フデを降ろし、それをまとめ、公開することは、さして難しくない。
今の時代、本当にフデを降ろし、誰かに伝える時は、素性を隠し、フデのみを単体と記すことを神々さまに求められる。 ID:UIHAu4yT0さんが語っている神様というのは日本の民族霊のことを言ってるんだと思う
確かにそれも神様は神様だけどその上にもっと根源的な大神様がいる
この大神様は人間的な依故はないし、その大神様が建て替えをされようと決意すれば、人間社会などひとたまりなく
情け容赦なくこの世の浄化は断行される
それだと誰も助からないから、日夜、神様が大神様にお詫びして建て替えを1日1日伸ばしてもらってる
でも、いつかこれ以上、伸ばせない時がやってくる
それ以上、伸ばすとこの世が丸潰れになるから
我々はその時のために身魂磨きに励まなきゃならない 本来、真贋論争は無益だ。
それが宗教間の戦争も生んだ。
自分の心に響いたものを、自分の心の糧にする。
川の流れにさえ、鳥のさえずりにさえ、ニコッと微笑んでくれるコンビニのお姉さんの表情にさえ、神の心・神の教えがある。
二人でも三人でも、近世の神々神霊さま、そして偉大なる先人さまの苦労を偲び、物事はつねに弥栄してることを理解し、自分が助かるためでなく、自分を変えたい、自分の他を救いたいと願えば、
声があがれば、
フデ(神示)は用意される。
「その準備は出来ている」と聞こえた。
その場合、今度は >>878
仰るとおりです。
日本の神々神霊さまです。
その上にはもちろん大神さまがおわします。
実は日本だけでなく、世界各地で日月のような動きは行われています。
アメリカにもドイツにも中国にも、インドにもアフリカにも仲間がいます。
それぞれが、それぞれの国の神様から教えを受けて行に励まれています。
共通していることは、
世が迫っていること
大神さまに一日一日お詫びして伸ばしてもらっていること
みたま磨きが大事なこと
それでも諦めないこと(別のシナリオもあること)
です。 「フデの準備ができている」と聞こえた続きです。
私達は過去の経験に耳を傾けなければなりません。
過去を否定するのではなく、過去の経験から理解を深め、これからの弥栄の土台とすること。
教団にしないこと。(他との区別を生んでしまう)
教祖化しないこと。(信仰の対象が変わってしまう)
悪欲としないこと。(お金儲けにはしったり、自己顕示に走ったり、誰かに強制したり)
すべての元は一つであること。
変化することは弥栄しゆくこと。
人がこの姿勢を忘れなければ、そして純なる気持ちを忘れなければ、フデ(神示)は降ろされます。
その名は… ずいぶんレスするのに時間がかかるな。納得できる部分は多いけど、なに考えてるの? 大日月地神示には「ここより他に神示は出ぬぞ」とあったけど、どうなのかな 書き忘れたことがありました。
日月では含みが多かったため(時代背景として『含み』が必要だったため)、それが解釈論争を生んでしまい、本来の目的に対して人々の向かうべき力がそれてしまった一面がありました。
次なるフデは、極力誤解を生まないような表現を心掛けられると感じています。
(もちろん私達のまだ知らない神界のルールにより、現界に明かせなかったり、現界の言葉に現すには現界が生じたりするものもあるのだと思います)
そして降ろした者は秘される。
ただ、神示を淡々と降ろ伝える。
このメリットは降ろす者に依存しないから、ずっと続かせることができる。(役目を降ろす変えみたまも可能になる)
難しいところは、継続させていくために、降ろす者が透明を維持しないといけない。 >>882
何も考えていないです。(;_;)
求むる者があればフデが降りる予感を伝えていました。
ダラダラと長くなってすみませんでした。
これにて失礼いたします。m(_ _)m >>885
うん、ありがとう。ところで、
>>881の最後の行にあった名前は何なの?教えて >>885
いや、どうか続けてください
もっとお話を伺いたいです
岡本天明師の70年前の神示を聖典化するよりも、現代の世相に合ったアップデートされた現代版の日月神示が求められています
私もそれを求めています 大日月地神示以外にも出ているまたは出る可能性があるんなら聞きたい話だよね こういう本物の人は自身の言葉に忠実だから、「失礼します」と言った時点で、「続けてください」と言ったところで戻ってこない
何か物凄いものに触れられるチャンスだったのに、邪魔が入ったせいで台無しになったよ
どうか今日じゃなくてもいいから、別の機会にこの話の続きをして欲しい
現代版の日月神示を熱望します 2010年から約一年にわたって「まどひの巻」というものが降ろされています。
降ろしたのは私ではありません。
一度消えたものを誰かがサルベージして残したようです。
真贋論争はあえて避け、一度読んで見てください。
あめのひつくの神様の言葉に、心で触れてみてください。
これも日月のアップデートという天の試みの一つかもしれません。
天の布石の一つかもしれません。
赤子心で感じてみてください。
ここを軽んずる者は何故にここが神示の続きだと ふでの続きだと
イツラ黙示(五十黙示)の続きだと気が付かん
この方ひつき様は時が迫りているからに手を変え品を代え淡々と説き続けて居るのざぞ
品には口が三つもあらうがな あちらやこちらでその日その時来るまでに
これはといふ者にそれぞれの機根に応じてお役目さして居るのざぞ 唄はしておるのざぞ
何も神示はてんめや口下手のこ奴の専売特許ではないのぞよ
まどひの巻
http://madoinomaki.wiki.fc2.com/m/ >>884
含みを持たせているのは、見せてはいけない人がいるから。 >>890
再登場すみません(;_;)
現代版日月神示の言葉に心と手が(勝手に?)動いてしまいました。 >>891
戻ってきてくれたのですね。ありがとうございます。
今後も色々とお話を聞かせてください。
「まどひの巻」読ませさせていただきます。
また、フデが降りたら是非とも拝読させて下さい。
お待ちしています。 >>871伝えてくれよってなかったか?盗むとはそのままいいとこどり? >>894
神示にも複数の段階があると体感しています。
個人通信用(個人レッスン用)…阿吽の呼吸があるからか、シンプルな表現であったり、秘すべき個人通信であったり
仲間内用…知らない仲間含め、誰か必要な方に気づくように、そっとどこかに暗号のように置く
公的な神示…誰もが見ることを意識した神示。時間をかけながら降ろされることが多いと体感しています。
まどひの巻のあとにも実は一巻ありましたが、これは受け手側の事情により途中頓挫しました。
知っている範囲、体験した範囲で情報共有させていただきます。 >>895
「この神示見せてよい人と悪い人とあるのざぞ。神示見せて呉れるなよ。
まことの神の臣民とわかりたら此の神示写してやりてくれよ。
神示は出ませぬと申せよ。時節見るのざぞ。」
神示とりにくるってのは、神示のキを潰しに来るってこと。
神示の続きだと言って、悪の御教えにすりかえるのもその現れのひとつ。
でもそれはそれで重要な役目。邪魔してはいけない。 誰かの目にとまる神示を公開する時は、フデが降りた時点やその前後から厳重なサニワが必要になります。
下手したら人を惑わすことになってしまうので…。
なので二人や三人など複数で神示を降ろしたりすることが多いです。
サニワ役も必要なのは古来から変わりません。
みたまのコンディションなども大事だったりします。
まどひの巻は1人で降ろされたようですが、誰かがサニワしてサルベージし、一つにまとめたようです。
知らない者同士がタッグを組んだ形になりました。 >>897
仰るとおり、進行中のプロジェクトには護りが必要になります。
ある意味、神界の文字が日月神示の「原本」には神に通じているキがあり、貴殿が仰るように神示のキを潰すようなことを起こすことも不可能ではなくなります。
進行中の神示や、これから生まれる神示はデリケートなため、何かしらの「息吹」が障害になったりもします。
こういった神聖な原本から「火」が出て、自らを消失さすることは古来から珍しくありません。
天明先生亡き後、至恩郷が火事になり消失したものがあったことは何か意味があったのかは、サニワしていないので知りません。 いつか機会があれば、一般に世紀末と呼ばれているものに対する、見せられているビジョン、聞かされている話、などいくつか?沢山?お話します。
すべて未来の可能性の一つだと思っています。
そんなものを見る度に、「こうならないように頑張らなくちゃ」と言う気持ちになります。
しかし、知れば知るほど、日月に書かれていることはこういったことだったんだと腑に落ちたり、怖くなったりします。
でも、恐ろしいものばかりではなく、次なる新天新地(弥勒の世?)のことや、その世界ではじめにやるべきことなども伝えられています。
僕はそっちに行かず、残って人を助けるお手伝いをしたいと意思表示していますが。 >>854の『ある御方』とは
のちの天海大僧正(明智光秀)である ちなみにWikipediaによると・・・
天海と光秀が同一人物だとすると享年は116になり天海を光秀とするのは年齢的にやや無理があるが、両者は比較的近い関係にあるという主張が現在も引き続きなされている。
テレビ番組で行われた天海と光秀の書状の筆跡鑑定によると天海と光秀は別人であるが類似した文字が幾つかあり、2人は親子のような近親者と推定できるという。 日月神示 以前に
1.お金って 何??
2.天皇って 何??
3.自分は 何の為に 生まれて来たのか??
を考えて 自己洗脳(自分で 自分を騙す)を消して置かないと
世の中の動きが 見えなくなります。
既に 💢退化💢が始まって 格差が 拡大しています。 >>883
ここっていうのはこの霊団って意味じゃないかな? ひつくの大神の霊団より他にこうした系譜の神示は出ない、と。取次役は変えられるが、取次役を使って書かせている霊団は変わらないぞ、みたいな? 神示は御霊の通りに何通りにも取れるのだから
解釈が御霊によって分かれるのは寧ろ当たり前
解らない人はここで聞いても理解できない
掃除して上がって来ないと、そこにいる間は無理 まどいの巻ある程度読んだ。ここでも大日月地大神様って名前が出てきたよ。他にも色々面白い内容だった >>910
> ここっていうのはこの霊団って意味じゃないかな?
一般には
霊団とは 幽界に存在する低級霊の集団です。
あなたは 用語の意味定義を 間違えてますよ。 たしかに霊団という言葉は注意が必要であるなあ。
神、神霊、霊。
上(かみ)も神となる面もあるからなあ。
あめのひつくのかみ、という御名は役所みたいなものである、とある。
一種の神霊団と考えても良い。
しかし、勝手に名乗れない一面もある。
名乗りを許されることもある。
ひつくのかみ、あめのひつくのかみ、と名乗る文献に(日月内)においても、言葉の波動が異なるのも、その性質による。
神の神かかりというものもある。
神にさらに上位の神がかかり、言葉を降ろすことがある。 呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん
Soledad
面白かった?(´・ω・`) 霊界においては、その世界的性質のため、自分達より上の世界があることを知らず、自分達が大いなる神であると錯誤するケースもある。
つまり自覚はなく、ただ素直に善を働いていると思っている。
しかし、さらに上位から見ると、それは誠の善ではなく映る。
地震の巻は審神(サニワ)のベースとなる勉強には良い。
審神もあれば、サニワもさにわもある。
神示は神、もしくは上(かみ)から降りるものと定義すれば、それ自体に真贋という区別はなくなる。 より良い向上を目指すためには、フデを沢山見るのも一つ。
信じたものに進むのは良いが、比較対象がないため、盲信的に陥りやすくなる。
真贋が多い古美術の世界では徹底して良いもの、本物を見て目を養う。
本物をしれば、真のものを見れば、贋作が肚に落ちなくなる。
本物は肚にずしっとくる。
彼らはこの肚のサニワの感覚を本能的に養っている。
フデも同じ。
筆記神の名前を追っていれば、見誤る。 >>918
地震の巻は本当にあの絵をみて解読したのでしょうか?
何となしに、解読不可能だから大本教の経典から引っ張ってきたかのようにすら思えてしまうんですよねー >>919
と言うことは、数少ない本物の「絵」のアレを毎日眺めてれば良いのかな
殆ど原本が喪失したのに絵だけ残ってるのは不思議ですが フデの言葉から感じる波動、温かみ、畏怖、きびしさと優しさ、肚にずしっと響く重み、元津大神さまからの直の太い流れを汲むマコトを感じとる。
この全身感覚的なサニワが肝要となる。
また、マコトの神は公衆の面前で降ろす者を褒めない、立てない、おだてない。
その反面、マコトから遠ざかると、降ろす者を皆にあがめさせようという動きは濃くなる。
マコトの神は公衆の面前で降ろす者を褒めないが、影では愛をもって労い、愛をもってご指導賜われる。 >>918
神の世界では一語で万語を話すと言われます。
神の声はそのままにして聞こえることはありますが、想念の塊を受け、それが一気に文章として展開される場合も多いです。
僕らの世界でいうzipファイルのようなものです。
地震の巻のあの絵を通じて、ダウンロードしながら記述するのはなんらおかしくないことを体験的に知りました。
地震の巻の口調も、ダウンロード時によくある文章形態だと認識しています。 実は誰しもに神からの通信は常にされています。
その仕組みは割愛しますが、大別すると
1.共に在る存在からの通信(対話)
2.共に在る存在からを通じた神霊界の通信
3.臨時的な特別な通信
1と2に関しては、都会の雑踏の中に落ちる羽根の音のようなイメージです。
とても薄いです。
なれてくればなんともありません。
古代インドでは「沈黙の声」と言われたりもしました。
3に関してはクリアにキャッチする場合が多いです。
しかし、下位霊界や幽界など地上に近ければ近いほどクリアに聞こえるので、大きな注意が必要です。
高級神霊になればなれほど、その感じた方は暗示的になります。
たしか、竜音の巻が勉強になります。 >>923
あそこだけ異質なんですよね
それまでの巻では
〜〜であるぞ、〜ざぞ
って感じなのに地震の巻だけ
〜である
と現代語風になっているから みたま磨きを進めることは、同時に鎮魂帰神の状態が多くなることでもあります。
フデがいらなくなる。
御身(みみ)に聞かせる。
フデはいくらでもでるぞ。
と言うのは、直接にご指導が賜われるということです。
故に、日月は入り口と申します。
進んで初めて知れることが沢山出てきます。
同時に、わかった人ほど口が静かになる、と言う現象が現れます。
その反面、学で日月の『解読』に入ってしまうと、迷いの迷路にさまようことになります。 神の声を聞きたいから磨くになると、御利益信心になってしまうため、本末転倒になります。
しかし、神様と交流したいという純粋な赤子心は、非常に喜ばれると思います。
神と人との距離を開けすぎてしまった。
それが大きな境界を作ってしまった。
これは僕達の大きな過ちかもしれません。
神と人が共に在れるように、僕達は新しき理解に向かって進む時がやってきたのかもしれません。
そんな訳で、秘されている部分を少し明かしてみました。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。