中でも一番記憶に残っているのは、背中が焼けただれた少年のことです。

その少年は宇品の海岸で水泳中に被爆したとのことでした。
気分はしっかりしており、家族や友達のことなどについてよく話をしました。

ところが、目を開けようとしないので調べたところ、眼の中にはウジ虫がびっしり。
まるで、魚箱にいっぱい魚を並べたような感じでした。

少年は誰にも見取られることなく、2、3日後に亡くなりました。

心痛めた看護の日々 片岡昌子(加茂町)
「劫火の記憶 -福山市原爆被害者の会50年の歩み-」 P38