【戦国・前世】415総合45 [無断転載禁止]©2ch.net
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〜あらすじ〜
夢で見ていた話を投下してくれていたレス番415・・・
まったり415を待つスレとして発生したこのスレですが、
突如として現れた前世お市を名乗る女とそれに憑いている自称織田信長の霊!
415を取り込むべき所属団体と共にスレに殴り込み!
ついでに恐ろしげな予言を残し消えたかに見えたお市だった。
その間もスレはお市による自演嵐に見舞われたが、415スレも元に戻り、平和が戻ったように見えた。
しかし自己サイトを引ひっさげお市が宣伝に再度現れお市自演で荒れたスレだったが、
飯サイトにはだれも興味を持たずスルーされた。
焦ったお市は燃料投下とばかり煽り、ついには裁判ネタまで出して頑張ったがスルーされまたまた逃亡w
再度サイトを宣伝に来ていたがスレ住民に完全スルーされていたのに、何を考えているのか呟きにあらわれた!
しかし満足なレス一つできずに散り、やはり意味不明な人だったがスレ住人は気にもとめなかった。
その後は謎の従妹やコテのお市情報があったがすぐに話題はかわり、
現在のスレは前世話や雑談をしつつ415を待つスレになっている。 スレ潰そうとしたり
前世話題で逆ギレしちゃう人、人が避けたがる話題を好む人は来ないでください。
前スレ
【戦国・前世】415総合44 [無断転載禁止]・2ch.net
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1458699983/ ミニストップの超絶美味だったカルピスソフトクリームが食べたい…
どうか復活してくだされ… 暑い日は熱々カレーうどんを食べる(^へ^;)ムグ〜
汗かくとお肌すべすべ(*^^*)ウフ 戦国とは関係ないのですが・・・
白山菊理姫「田んぼの神にさせられちゃったわよ。」
白山を田んぼの神にしたの、誰だろな?
藤原氏かと思たが、
前田、高田、上田など、田がつく人は藤原氏。
また、藤原氏は古代ユダヤ民族のため、
藤原氏がやったとは思えない。
「田」は、つまり○に+。
○に星マークと対をなす。
伊勢の神のマーク。もしくはイエスキリストのマーク?
真正イエスキリスト、日本国、天皇家に敵対する民族がやったと思われる。
で、しかも神を封じれるほどの力を持つ人物。誰だ? 昨日は今季一番の熱中症にかかりふらつきと吐き気で酷い目に合いました。
油断していたのでまた各種アイスノンなどこまめにやらなきゃ! 近所のコンビニまで買い物に行ったら、ミスト状に霧雨が降っていて、気持ち良いことこの上ありませんでした(*^-^*) 少し暑さは和らいだけど、そのぶん湿度が凄いので「湿度熱中症」です(>_<)キツイナンニモタベタクナイ お墓参り行くべきかなあ…
でもこの気候の中行ったら、霊園山ん中で登り大変だから絶対熱中症こじらすよなあ…
涼しくなってからでいいよね? きのうは、父が養子になるはずだった人の命日でした。
私も、本当の孫のように大変可愛がってもらった人
なので、ふだんはあまり行かない、ちょっと高いスーパーに行って和菓子を買ってきて、お茶と一緒にお供えしました。
こっちが、事実上の盆のお墓参りかも
とも思います。 お盆は仏教行事だから、神道は関係ない、
とする神社と、
神道にも神道版のお盆に相当する行事がある、
とする神社の2つがあるんだよなあ…ドッチガセイカイナンダヨ?
武蔵総社は前者の考え方だし
後者は、祖霊(みおや)祭とか御魂(みたま)祭とか言うらしい。
みたま祭りといえば、
以前は靖国神社のみたま祭りには毎年行ってたよなあ…
ということは、
あれはご英霊をお迎えする神道版のお盆だった、ということなのか! お盆だしおはぎ食べる(*^^*)ウマイ
おこわも食べる(*^^*)ワクワク >>213
私は水ようかんです(*^-^*)
今夏は何故か水ようかんが無性に食べたくなります。
次いでくず餅ですね^^ あの助六屋さんのジェラートしばらく食べてないなあ…
今度、病院の日に関係なく、最高気温が30℃切る日があったら食べに行こうかなあ。 >>217
アイスクリームは中国だかモンゴルだかが発祥地であると、
小さい頃テレビでやってるのを見ましたし、その後も同じ内容のことをテレビやネットでしばしば目にするんですが、これは本当ですか?
ミノムシさんが長安で暮らされていた人生や、匈奴の人たちを見ていた人生(この2つは同じ人生でしたっけ?)では、
中国やその周辺にはすでにアイスクリーム(や、それに類するもの)はありました?
ってこの質問、すでに過去ログでもしているような(^_^;) 最近、よくカラスさんが助けてくれます。
そして何かを伝えて来られます。
私は「読めない」ので、猿女君さんが読んでくださってるんですが。 昭和天皇をご祭神とする神社を是非ご創建して欲しいものです。
戦前なら間違いなくそうしていたことでしょうに。
武蔵野陵墓地に行ってみようかなあ…
でも市は隣とはいえ、あそこまでの距離となると果てしなく遠いんだよなあ…
多摩川サイクリングロードから南浅川サイクリングロードまでどう繋げさせたら良いんだろう?
多摩川サイクリングロードは青梅の手前で行き止まりなんだよね。
前に行きましたが、あれ以上は確かに行かない方が良い(サイクリングロードを延ばさない方が良い)と思いました。
その手前の羽村市の段階で、「この辺りは突然の豪雨で川が氾濫します」と、恐ろしい表示がサイクリングロードに立てられた案内板に書かれてありましたし、
なによりも、青梅まで行くと出ます…熊が! >>221にちょっと追加です。
「この辺りは突然の豪雨で川が氾濫します」と、恐ろしい表示がサイクリングロードに立てられた案内板に書かれてありましたし、
↓
「この辺りは突然の豪雨で川が氾濫します」との表示とともに、実際に私が行った数年前に川が氾濫して決壊してしまった時の恐ろしい写真パネルが、サイクリングロードに立てられた案内板に大きく写し出されてありましたし、 多摩川は上流に向かって関戸橋、さらには府中四谷橋(野猿街道)を越えると突然ワイルドになるんだよね。もう東京じゃないって感じ。
川の流れが突如急勾配になって轟音を立て、水の色が普通の川の色から緑色(いくぶん透明度のある乳緑色)に変わる。
脇のサイクリングロードを走っていても、物凄い川の流れに吸い込まれそうな感覚になって、とっても恐ろしい思いをしました。
川の女神様をあの付近では川を挟んで両側で祀っているのもそう考えると納得です。 終戦記念日です。
今さらながらですが、
J・マクモニーグルさんによる「神武天皇のリーディング結果」なるものを読みましたが、
あれはむしろ、魏の公孫氏による九州中部への侵攻の事跡にアクセスしてしまっように私には見えました。 しかし、公孫氏の襲撃によって陥落寸前に陥った熊襲が、
隼人の助力を得て、大きな打撃を受けながらも辛くも窮地を脱した時、久米はどうしていたのだろう? 雨の中、父の墓参りに行って来ました。
途中に寄った霊園の氏神社でも、神式の父の墓前でも祝詞をあげたら風が吹いてきてびっくり。 母のとなりが今まで空き室で、やはり高齢者&障害者向け住宅にリノベーションされたんですけど、昨日、新しく入居された方がご挨拶に来られて高級なシャーベット詰め合わせを下さいました♪〜θ(^0^ )オイシソウ
感謝感激です(^O^)
本当にどうもありがとうございましたm(__*)m 気温は30℃切ってますが、湿度がハンパないです。
むしろ暑い時よりも玉のような汗をかいています(>_<) しかし、暦の上ではもう秋、というのはこの蒸し暑さの中ではどうしても違和感を覚えます。
二十四節気って意味あるんでしょうか? ここ2週間ぐらい、最高気温20度ぐらいですが湿気がすごい。
>>229
昔の中国のものを使ってるとか。
でも日本で使っても季節の先取りが出来るので云々…らしいですよ。 >>230
そうなんですね。
教えてくださりありがとうございます。
確かに立秋過ぎても暑さは変わりませんが、というか、夏成り立ての頃に比べてむしろジメジメした感じが増して余計不快になりますが、立秋ってむしろ「夏の折り返し地点」的な目安になりますよね。
「これより夏後半戦!」みたいな。
とはいえ、旧暦だと今はまだ6月です。
旧暦では4〜6月は夏ですので、
こちらの方が私には納得感があります(^_^;) 最後の夕張メロン、もったいないからと長期間冷蔵庫に入れていたらぶよぶよになっていました(^O^) >>232
メロン腐ると苦いよね…(^^;)アララ〜
前にスーパーで買ったのが苦くてびっくりしたことある… >>218
匈奴と戦してたときはアイスクリームはなかったなぁ?
でも冬に匈奴のお茶のミルクティーみたいのを外に置くと、
勝手にシャーベットになってたよ(*^^*)ウマイネ〜
最初にアイスクリーム食べたのは1650年くらいのフランスだったよ(*^^*)タブン
うまくてビックリしたけど作り方は教えてもらえなかった…(*^^*)ペロリネ〜
今のアイスクリームは100円のでも超うまいよね 昔の日本でも夏に『暑い!暑い!暑〜い!』
っていうとかき氷あったよね〜味はそうでもなかったけど…(^^;)ビミョ〜 この時間帯だけど白玉クリームあんみつが食べたい…(*^^*)ゴクリ
コンビニにあるかなぁ? 無かった…
大福とアイスクリームでがまん(;==)○ >>233
まだ切っていないんです…
中身を見るのが怖くて(^-^; >>234
ルイ14世の頃ですね。
その頃ですとブルボン王朝治世下の最盛期でしたよねたしか。
でもその頃のフランスに既にアイスクリームまであったとは驚きです。
フランス料理の一環だったのでしょうか?
フランス料理は、イタリアのトスカーナ王家メディチ家のお姫様がフランスに嫁いだ時にトスカーナから連れて来た大勢のシェフに由来すると言いますが、
これは、アンリ2世の正后になったカトリーヌ・ド・メディシスのことでしょうかね?
でしたら、それは1500年代のことですので、1650年頃にはすでにフランス料理は誕生していますよね。 >>234
匈奴はねぇ…!
以前ミノムシさんから教えていただきました、
アッシリアから来た人たちが殷王朝を築き、それが周に滅ぼされたあと匈奴になった、
との成立の経緯には本当に驚かされました。
そして白人も黄色人種も半々にいる多民族国家だったと。
匈奴はものすごくダイナミックに領域が移動していますので、私は「ハウルの動く城」を連想します。
ってハウルの動く城、観ていないんですけど(^_^;) >>235
信長も食べていたそうですね、かき氷。
時には帰蝶さんも連れていって一緒に食べたとか。
でも氷にかけるシロップは「ぶどう」という果実の果汁なんですけど、これは今の葡萄とは違う種類の果物だそうで…
その「ぶどう」という果物は今はもう絶えてしまって存在しない、と昔教わりました。 メロンは「無事」でした。
超が付くほど熟していましたけど^^
熟れ過ぎていたり、少し怪しげになっていたらウィスキーをかけると絶妙に美味しくなります。
匈奴は分裂した一派がフン族となって、東ヨーロッパに到達したと言われていますね。
そして、これまたよく言われるように、
ハンガリーはフンガリア、
フィンランドはフン(ヒュン)ランド、ということなのでしょうかね?
ハンガリー人は今でも、数人に1人は幼い頃に蒙古斑が出るとも。
フィンランド人は逆に、現在のコーカソイド(白色)人種の中でも最もその純粋度が高いそうですけど、これも、匈奴の中でも白色人種の方の方たちがスカンジナビア半島など北ヨーロッパに向かい、周辺のノルマン人たちと長い間かけて混血していった、
とみれば納得できますね。 ということは、匈奴・フン族の中でも白人系の人たちは、セム語系統の言語を話していたということなのでしょうかね?
よく匈奴は、民族としてはトルコ系だのモンゴル系だのツングース系だのと言われる説と並んで、アーリア系説も言われますが。
あるいはそれらの混成体説とも言われていますが。
アーリアではなく、セムであると。
中国とアラブが、その政治形態や、占星術が発達したところなどがよく似ている、と言われるのも、元々アッシリアから来た人たちが古代中国の端緒を開いた国だから、と考えると至極納得が参りますね。 >>227
で書きました、母の隣のやはり高齢者及び障害者向けにリノベーションされたお部屋に入られた新住人の方からご挨拶品にいただいたシャーベット、いただいてみたら超絶美味でした。
果汁がそのまま果物の果肉が入っているような食感なのに、それでいてサクサク感があります。
いただいた当初はどこのシャーベットか確かめていなかったんですが、
よく見てみたらモロゾフのシャーベットでした。
さすがモロゾフ!です。
今年はモロゾフが毎年夏の限定商品として出している、一個4百円ぐらいするゼリー(これがまた超絶美味なんです)を買ってなくて、もたもたしてたら期間が終わってしまう、どうしよう(^_^;)と考えていたんですが、代わりにこのシャーベットをいただいたような感じです。
ぶどう、きいちご、オレンジ、ゆず、の四個入りで、その中で
ゆずシャーベットが一番美味しそうなんですが、もったいなくて食べるの躊躇中です(^-^;) すっごいシンクロニシティが10個以上も立て続けに起こっている。
正直、驚愕している。
でも、やはり正直、あれは堪えた。 ここ数日、今夏で一番蒸し暑い日々ですね。
朝5時台にベランダに出て、外の温度計を見たら、既に30℃を差してます。
昨夜も22時前にアイスコーヒーを買いに行ったら、外はむわっとした暑さで息ができないような感じでした。
前の日の熱が蒸発され切る前に、次の日の暑さがやって来てしまって、どんどん澱んだ暑さが積み重なっていくんですよね。
そうすると、現在のような、独特の「死んだ暑さ」に。 徐福は本当に日本に来ていたんだろうか?
だとしたら紀元前3世紀… マンガでは、
徐福は卑弥呼の先祖だって書いてあったな。
グランドジャンプのこううんりゅうすいっていう本宮ひろ志のマンガ
今週号より 最近マンガ読む暇すらない…f(^^;)アララ〜
暑いのはヤダけど湿気は大好き(*^^*)ケロケロ
もっとムシムシしててもいいなぁ〜(*^^*)カイテキ あえて整合性をとれば、やはり佐賀のあたりでしょうかね。
吉野ヶ里遺跡のあるあたりだと久留米も近いですし。
九州の縄文人たちの内、呉国(あるいは呉越両国)の亡命王侯貴族たちが移りすんで来た九州南部が隼人となり、他に一歩抜きん出る存在となったのなら、
それと同程度の文化水準を有していたという久米は、どのような過程を経て成立したのだろう?とずっと考えていたんですよ。 それか前漢の頃。
ミノムシさんが前漢の時代、日本に観光旅行に来られていた、というのも、(徐福一行上陸説と並んで)非常に気になることなんですよ。
それも、お話聞くと上陸したのは西九州のようですし。
その頃の前漢では定期的に日本に来る「ツアーパック」のようなものがあったのか?
だとしたら当時のこと、中にはそのまま西九州に上陸して定住してしまった者がいても不思議はありません。
ツアーパックの回数が膨らむに連れて、それら定住者の総数が一定量に達したら、否が応無しに「文明国の誕生」となります。 あるいは呉の亡命王侯貴族たちが来て融合したのが隼人となり
続いて約一世紀半後、越の亡命王侯たちが来て融合したのが久米となったのか…
「丹を取る人々」
に纏わる伝承との関連も非常に気になります。 >>253
観光旅行というよりお見合いツアーみたいだったもんな〜
倭人の女の子かわいいからお婿にいくヤツたくさんいたよ〜 >>255
本当ですかあ\(☆o☆)/
ならもう「決定」かも!
呉の太伯はやはり隼人ですね。
久米はやはり「前漢お見合いツア」ーが主体と。
ミノムシさんも西九州でご子孫残されているでしょう? 逆に日本からも「大陸ツアー」に出ていたんでしょうね。
これで何故、久米の子孫である金毘羅様がサンスクリット語に長けていたのかも説明がつきます。 >>256
なんかおいらが「ねぇねぇ〜」って言ったら倭人の女の子みんな逃げちゃったの…σ(^^;)コワクナイョ >>258
それは…お気の毒なことでした…(^_^;)
でも倭人の側でも、前漢からのツアーでお婿さんが来るのは了承済みのことだったんでしょう? そうやって西北九州の族長の家が前漢からお婿さんを迎え、出来た子が阿曇氏になるんでしょうかね?
綿津見豊玉彦(大綿津見神)とはそうした御方であると。 >>259
それはわかんないけど、女の子しかいないうちに婿が来てくれてありがたいって言ってたらしいよ〜
言葉がわかんなかったからよくわかんないけど、
おいらは『こいつ首はねるんだよ〜』
とか言われてた気がする〜f(^^;)ムジツ〜
倭人の言葉をしゃべれるヤツは残って婿にいってたもんな〜 >>262
> 倭人の言葉をしゃべれるヤツ
っていうことは、
そういった倭人の言葉を解する人たちはもう何度も日本に来ている、
ということなんでしょうかね?
ああ、それから日本からも交易で中国にたくさんやって来ていた、
ということでしたよね。
それもあってある程度日本語を解していたのか。 ファミマで買ってきた「ココナッツプリンのパフェ」メチャクチャ美味しいです(*^-^*)
最初、ザッハトルテとサラダせんべいだけにしようかと思ったんですが、見た目が気になって買ってみました。
こういう時ってハズレも多いですけど、今回は買って大正解(^O^)
ココナッツプリンが予想した通り、私の大好物であるババロア&パンナコッタそのものの食感です(^w^)
これから定番にします^^ 布留の宮(石上神宮)の、
天爾十種瑞宝(あまつみしるしとくさのみづのたから=十種神宝)とは、
たぶん天児屋鉄山の製鉄祭祀から来ているなあ。
十種神宝の「死人も生き返る」ご霊威とは、
おそらく、天児屋鉄山の「死人を忌み嫌わない風習」に由来しています。
鉄が枯渇してしまった時、天児屋鉄山の人たちは、砂鉄や鉱脈探索に長けていた死人の遺体をおぶり、かつて鉄が湧いた地の回りをぐるぐる回ったりしました。
そうすると不思議なことに、再びそこから鉄が湧き出たと言います。
十種神宝の「死人が蘇る」とは、
そうした天児屋鉄山の人たちがかつて製鉄に絡む一連の過程、
殊に、
霊能・祭祀面において行っていた風習・文化のメタファー(比喩)なのだと思います。 日によって、10時間ぐらい眠ってしまうときと、2時間くらいで目が覚めてしまうショートスリーパーの時とがあるなあ。
クタクタに疲れてもショートスリープになってしまう時もあります。 鎮守様に行ってきました。
家に帰ってきて、部屋に向かう前に
鎮守様のお山の方に向かって一礼したら、そのあいだを白鷺が悠々と飛んで行きました。
金屋子神(天児屋根命)様がお乗りになって桂の木に泊まったというご神使の鳥です。 あいだを飛んで行く
といえば、カラスアゲハが祓戸大神の化身、ないしはご神使、というのはどうも本当らしい。
2ヶ月前、6月の晦日の日、金毘羅様で夏越の大祓を受けた時、大祓えの一連の儀式が終わって宮司さんが「それでは本日の大祓を終了します」と言ったとたん、大祓へ用にあつえられた祓戸四柱の神を祀る祭壇と、参列者とのあいだをカラスアゲハが横切って飛んで行きました。
2年前にも、おなじ金毘羅様で、大祓えの前に、
山奥にある同神社の奥津宮に参拝して、誰もいない中を一人で大祓詞を奏上していたら、奏上し終わって顔を上げたとたん、私とご拝殿との間の、僅か2〜3メートルぐらいの狭い距離の間をカラスアゲハが、向かって右から左に猛スピードで横切って行きました。
この時は本当に、あまりのタイミングに唖然としてしまったものでした。 きのうはミサイルが飛んでいる時間、コンビニに買い物に行っていました。 おいらはなぜか雨がふると調子いい(*^^*)ケロケロ
最近は千年前に持ってた真珠のこと思い出してた〜
ドバイ産とかだったのかなぁ?
どうやって日本まできたんだろ? 暑さが去ってから扇風機買ってしまいました。それも二台(-"-;)…
>>272
1000年前といえば平安時代中期ですね。
承平・天慶の乱などでの混乱した世相がひと息つき、国力が急速に回復して、
「望月の欠けたることもなしと思えば」
となっていた頃ですか?
ミノムシさんは飛鳥〜奈良時代にも日本で生を受けられていますよね。
そして、その時の人生では、たしか常陸国に(多く?)赴任されているんですよね。
以前ミノムシさんが
「自分の中ではヤマトタケル命が一番大きな存在」
というような意味のことを仰っていましたけど、それは常陸国で長く暮らされた人生がとても濃密なものであり、大きな影響を及ぼされているからではありませんか?
日本武尊は常陸国においてはとてつもなく大きな存在ですので。 常陸と陸奥の国境をもって、大和と蝦夷との間で、実質的な領土不可侵条約のようなものを結んだ、
と仰られていたのもその飛鳥〜奈良時代での人生の時だったと記憶していますけど、
確かに時系列
合っていそうです。
そうやって蝦夷に対して「妥協」したことから、
大和朝廷側の鬱憤が溜まりに溜まって、
桓武帝の時の蝦夷制圧戦争として「爆発」するんでしょうね。 >>272
千年前には真珠は輸入品…
になってしまっていましたか…
もともと神代の時代から、真珠は日本の重要な輸出品であり、
久米(西九州)や瀬戸内海で採った真珠を大陸で鉄鉱石とトレードしていたわけですけど、
日本の国を二分する大戦争が起こってしまったことにより、真珠採取を職掌とする集団が散逸してしまい、真珠は輸出品として成立出来なくなってしまった経緯があります(のちに復活しますけど、往時の勢いをは取り戻すまでには至りませんでした)。
焦った日本政府(上述した、国内を二分する大戦争で勝利し、覇者になった側)は、はっちゃきになって真珠に代わる輸出産品の開発を急ぎ、
それで真珠に取って代わったのが絹製品だったのでした。 どうして金屋子神(実は天児屋根命の別名です)は、白鷺に乗って陸奥信夫国に飛来して来ている、
という伝承が、
安芸(広島)や出雲(島根)や、吉備(岡山)あるいは西播磨(兵庫西南部)のタタラ製鉄に携わった古い一族の伝承に残っているのでしょう?
私の先祖はその信夫が墳墓の地なんです。 きょう大好きなターシャ・テューダーさんの特集番組がある(^O^)
お願いだから、番組中に台風関連のテロップが入りませんように…! (-人-;) >>275で書きました絹織物産業は、秦氏が大きくその役割を担ったと思うんですけど、
数ヶ月前に書いた土佐の友人、吉良(蓮池)左京進・長宗我部親実の直系の友人は氏族は長宗我部氏ですので秦氏なんですよね。
よって先述したように土佐国幡多郡の秦神社が、友人一族の氏神社です。
その長宗我部氏、元は信濃国更科郡桑原郷がその本拠地であり、秦河勝の次男・広国が同地を賜って以来と言われております。
「桑」原郷
というのが、桑は絹織物の要諦である蚕の主食ですので、その何よりの傍証になります。
なお、広国の数代後が土佐の国司職を得て土佐に移ったと言われております。
そして、
この広国こそが、所謂「東国秦氏」の始祖に当たる人物、ということになるのでしょうか? 昨日は病院帰りに久しぶりで丸井でジェラート食べてきました。
塩キャラメルにピスタチオにマカデミアバニラの3種類コラボ。
あっという間に食べ終わってしまいました。
あと、最近、ホムセンで買った廉価版のスニーカーでは、アスファルトの上を歩くとすぐに足の裏が痛くなってたまらなくなるので、
専門店で桁一つ値段が違うスニーカー、プラス、さらに足の形に合わせたインソール作ってもらいました。
奮発しましたけど信じられないほど足の痛みが出なくなってとても快適になりました(*^-^*)
あと結構国難です。
日本の頭越しに感覚以上に。
地震など自然災害時の安全場所への避難ルートをシミュレーションされてるのとどうように、地下街地下階への避難のシミュレーションをそれに付け加えましょう。
危機を煽る気は毛頭ありませんが、少しでも危険を軽減する普段の意識、いわば転ばぬ先の杖、を確保しておいて損はありません。 日曜日に歩き過ぎたせいで、昨日、一昨日と疲れで死んだようになってました。 飛んでくるのも怖いけどフレアも怖いよ〜(((>.<)))ブルブル
来るとしたら今日の夜から?f(^^;)X >>281
太陽フレアのことですか?
太陽黒点の爆発でしたっけ?
何百万℃だかの熱を発生するんですよね。
でも起こるのは磁気嵐による通信障害とかではありませんでしたっけ?
…
しかし、日本って対潜水艦哨戒機P3Cの保有量って世界一でしたよね。
衛星からの発射地点把握による発射準備段階での空爆と、対潜哨戒機での敵潜水艦位置把握によって瞬時に殲滅できないものなのでしょうか? きのうからケータイが軽い誤作動起こすんですけど、もしかしてX9の影響でしょうか? >>283
その前にもフレア来てるからそれかも?f(^^;)ウーム >>284
一週間ぐらい前からビデオ機器がおかしかったです(^_^;) 太陽フレアは雛形?
太陽フレアを雛形にして、大難を小難に祀り変えてくれたのかな?
時期的に一致し過ぎていて… 太陽フレアのおかげか超元気〜
エレキバンみたいなもん? 本当時差ぼけ。
聞いてはいましたけど、何度寝てもすぐ眠たくなります。 気圧変化でしんどくなるのも、今回の太陽フレアによる時差ぼけと同じ原理だったんだ… でも元を辿れば地球人もそんな「宇宙」とのハイブリッドですよね。
蛇との「配合」というのはいつ頃行われたことなんでしょう?
各国、各地域で異なる時期に行われたような気もいたしますね。 >>293
いつだったかなぁ?f(^^;)?
恐竜もいなくて大きな火山があったころ〜 前にフレアがあったときは電報が落ちて新聞が出なくなって、
2週間くらい新聞無しだったんだよなぁ〜 >>294
恐竜の誕生前か、絶滅後でかなり違って来ますよね(^-^;
恐竜誕生前だと、火山活動が活発だった時期は、地球誕生直後の45億数千万年前だそうです。
この頃は生物自体がまだ存在していないでしょうから除外して良さそうですね。
火山の巨大噴火は、その後も何度かあるようですが…
しかし「人類誕生後」となると、
私が大きく「候補」だなと思ったのは、
新世紀の約7万年前に起こったスマトラ島のトバ火山の大噴火だそうです。
この噴火で、当時7万人いた人類が1万人にまで激減してしまったそうです。
これだと、ミノムシさんがかつて仰っていた
「人間の数が少なくなりすぎて、存亡するのに危機的事態になったから蛇の血を入れて増やした」
ということと条件が合致するように思うんですがどうでしょうか? >>295
それは何時の時代のことですか?
711さんがあちらの世界にいる時に土星まで「ちょっちょっと」行ってきて、あることの調整をしてきた
と仰ったのは、こういうことも関係しているのかな?とちょっと思いました。 >>298
たぶん100年くらい前のフレアだとおもうf(^^;)タブン
あのとき売店の人が新聞無いのに新聞買ってって言ってて、
みんな新聞代出してた 先月末に扇風機2台買ったのに結局使わずじまいになりそうです。
あと、ケータイの最終修理期限だかが迫っているので、予備機買っておかなくちゃ。 >>300
あのときはフランスに住んでたような気がする…
なんか戦争やってるのに新聞無くてみんなわーわー言ってたんだよなぁ〜 >>301
次の携帯の機種無さそうだもんな〜
中古はやだし…f(^^;)コマッタ >>302
カンタンケータイとかだけではなく、
それなりの性能備えたのもまだ出てるには出てるようですけど…
デザイン面とかで数年前まで出ていたものとは比較にならないほど魅力の無いものになってしまっていますよね…
私は、3ヶ月半前にそれまで使っていたケータイがオシャカになって、しかも最終修理期限が過ぎていたので修理も出来ず…
それでこんな時のためにと、ちょうど2年前の今ごろにネット通販で買っておいた新品未使用のケータイに機種変したわけですが、それまもなく最終修理期限…
最終修理期限のギリギリ前に外装変換しようと思っていましたが、
使ってまだ間もないのでどこも不具合が無く…
それで却って困ってるところがあります(^-^;
だから予備機を!
と(^-^;) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています