【戦国・前世】415総合45 [無断転載禁止]©2ch.net
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〜あらすじ〜
夢で見ていた話を投下してくれていたレス番415・・・
まったり415を待つスレとして発生したこのスレですが、
突如として現れた前世お市を名乗る女とそれに憑いている自称織田信長の霊!
415を取り込むべき所属団体と共にスレに殴り込み!
ついでに恐ろしげな予言を残し消えたかに見えたお市だった。
その間もスレはお市による自演嵐に見舞われたが、415スレも元に戻り、平和が戻ったように見えた。
しかし自己サイトを引ひっさげお市が宣伝に再度現れお市自演で荒れたスレだったが、
飯サイトにはだれも興味を持たずスルーされた。
焦ったお市は燃料投下とばかり煽り、ついには裁判ネタまで出して頑張ったがスルーされまたまた逃亡w
再度サイトを宣伝に来ていたがスレ住民に完全スルーされていたのに、何を考えているのか呟きにあらわれた!
しかし満足なレス一つできずに散り、やはり意味不明な人だったがスレ住人は気にもとめなかった。
その後は謎の従妹やコテのお市情報があったがすぐに話題はかわり、
現在のスレは前世話や雑談をしつつ415を待つスレになっている。 スレ潰そうとしたり
前世話題で逆ギレしちゃう人、人が避けたがる話題を好む人は来ないでください。
前スレ
【戦国・前世】415総合44 [無断転載禁止]・2ch.net
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1458699983/ 早くも夏疲れですぐ眠くなっては目が覚める の連続ですハァ・・(;-ω-)=3
犬千代さんなら、若い頃は、
将帥の器無し、と見定めた場合は信長公のお命を狙う、
という構えでいたようですね。
実弟で信長の近習だった佐脇藤八から色々と情報を得ようともしていたようです。 あいつ小さい頃生意気だったよなぁ〜
なんかやたらツンケンしてて『お前となんかとは家柄が違うから馴れ馴れしくすんな』
みたいに言われた…(´へ`;)ムスッだから正直嫌〜い そういや最近は前世をあんまり書いてなかったけど、
結構思い出してニヤニヤしてたんだよね〜
うちの近所の子はみんな意地悪が多かったけど、
おけはざま山の近くの子はみんな優しかったなぁ〜とかさぁ〜(*^^*)ネ〜
うちからちょっと遠かったから三回くらいしか行かなかったけど、
あのとき追いかけごっこしたりしてまったり遊んだのはあのへんだけなんだ〜 織田弾正忠家の譜代、直参というよりは、
林家の与力、という度合いの方が強い家だったようですね、前田家。
つまり、半譜代、半独立領主という、
まだまだ中世前期の様相をも包含していた時代だったようですね。 >>158
犬千代さんも小さい頃は生意気だったんですか?
弟の佐脇藤八だったら、相当利かん気の少年だったと聞いていますが。
藤八はすごく身体が小さかったから、よくそれを馬鹿にされてその反動もあったそうですが。
兄の犬千代さんはすごく大柄だったそうですから、同じ兄弟でも体格って正反対になるもんなんですね。 >>158
秀吉なんかは、現代の我々が思っているのと違って、当時の織田家ではわりあい高い家格と評価される家だったようですね。 美濃の鉈尾山城主や加治田城主は、うちの遠い分かれかもしれません。
というか、その由来を読むとどう見てもそうなります。
徳川四天王の榊原家もそうですけど、意外と繋がってるものなんだなあとしみじみ。 うちは先祖はそこそこだが分家すぎて名乗るのもビミョ〜f(^^;)アララ
ご先祖様落ちぶれてすんまそ >>166
秀郷流ですか?
それとも利仁流ですか?
藤原氏で武門といったらこの二大潮流なので。 名古屋にいた頃は、
酒井先生に水野先生に稲葉先生に、
友達や同級生も、堀田さんに西尾さんに竹腰さんに森さんに成瀬君に奥平君に竹中君にと…
戦国時代にそのまま登場する濃尾や三河のお歴々の名前ばかりでビビったものだったなあ… きょうドトールアイスコーヒーの特売日なので買いに行ったついでに、ほぼ隣接しているスーパーに“恐る恐る”入ったら、やっぱり夕張メロン!が入ってて…
買ってしまいましたあ\(^o^)/ 食欲が湧かないので食事は冷や奴だけです。
あとはデザートにメロンとゼリーのみ。
毎年今頃の時期はそうですが、今はこれで十分です(*^-^*) 病院の帰り、
雨のせいで、傘や、買い物をした袋やなんやで手が塞がれて、
楽しみにしていたジェラートが食べられなかったあ。・゚・(ノД`)・゚・。 保守派のブログ諸氏が喧々囂々の内ゲバを始めてしまった。
前にもちょっと書きましたが、
1年8ヶ月前に予測した通りになってしまいました。
修羅が“正義”という甘い蜜をエサに誘っているんだってのにもう…
気づいておくれよ… 早くも残暑以降に特有の、
「死んだ暑さ」というか、いやあな暑さになってきました(-o-;) あなたの学んできたことを大切になさい
日本を愛する人、大切に思う人にさらに日本のことを誇れるようそれを伝えて行きなさい
巫さんに降りて来た言葉ですが、どこでやればいいんだろう(^_^;)? >>167
先祖はあちこち混ざっててよくわかんなかった…f(^^;)アララ〜 家計簿だっけ?なんか先祖がのってるやつ親戚に聞いてもわからんって〜f(^^;)ウーム
自分の遺伝子に聞くしかないよね〜(*^^*)ネ〜 戦国時代も分家のすみっこだった…f(^^;)アララ〜
しかも兄弟とかのなかでおいらだけほったらかされた…(^^;)トホホ
まったくよく育ったもんだ(*^^*)ネ〜
マジ役に立つから前世の生活の知恵は覚えておいたほうがいいよね〜 私、前世伊達政宗の家臣の片倉小十郎らしいです。
父方は前田家で、父方の祖母は片岡家、家紋が五三の桐といって皇室の紋章。
母方は源氏の末裔で、家紋が十六菊に一です。 >>177
遺伝子、といえば、件の土佐の友人のDNAはOM-133で秦氏の遺伝子だそうで、秦始皇帝はOM-134なんだそうです。 >>179
私の曾祖母(父の父の母)の家はその白石城主・片倉家中の家です。
昔、再建された白石城を祝いがてら白石に行った時、
尾関家という、現存する片倉家中の武家屋敷を見た帰り、その向かい側ぐらいにあるお土産物屋さんで、父がそのお土産物屋さんで売っている雑巾をじっと凝視して、いったん帰りかけたんですが、もう一度お土産物屋さんに戻って、その雑巾を買っていました。
そして家に帰って来ると、押し入れから昔、上述した曾祖母(父からみると祖母)に編んでもらったという丹前を取り出してきて、白石で買った雑巾と、互いの縫い目を見比べていました。
そして笑ってこう言いました
「やっぱりおんなじだ」
白石に特有の、布や羽織りものの縫い方というものがあるようですね。 >>180
那須家なら、私の父方と遠い親戚です。
陸奥信夫地方―出羽置賜地方の領主だったんですけど、那須家と姻戚関係を結んでいます。
それで、跡取りが源平合戦で次々と戦死してしまって家には女子供しか残らぬ状態となり、御家の差配がままならなくなって難儀していた時に、
跡取りの母の実家である那須家から那須与一の父親に来て貰って御家の差配をしてもらい、さらに色々と今後の身の処し方などについて教示を受けたという伝承が残っています。 那須与一が義経軍に配属になったのはその親戚関係があったからではないのかなあ。 なんか文章が変ですね(^-^;
昨日今日と気温はそれほど高くはないのに、熱中症症状になっているのは何故なんだろう?
室内でも熱中症は起こりますし、
やはり熱中症は気温が上がることだけによって起こるのではなく、気温・気圧の変化によっても起こるってことなんですね。 たしか昔、弘前で殺人の冤罪で懲役になってしまった人が那須与一の子孫だったらしいですね。
甲冑も残っていたようです。 >>186
え〜!
そうなんですか\(☆o☆)/?
弘前って…
私、母方の祖父の家弘前です…
不名誉だなあ(>_<) 気圧って大事です。
体調不良のほとんどは、正にこの気圧の急激な変化。
ちなみに、源義経は、頼朝に殺されておらず、
東北、蝦夷地を通って中国にわたり、
チンギスハンだかフビライハンの参謀になったそうです。
参謀というのがポイントです。 戦国時代には関係ないのですが、
私自身の解ってることを書きますと、
前世、三国時代関羽の次男の関興、
明から清にかけての易学学者、方以智
でした。 それから、私は、
神仙の人物らしいです。
それと、
現実の人間の様子を天上にお知らせする、天使
だそうです。 >>188
本当そうですよね。
私は一時期ほど酷くはないですが、今でも気圧が変わると「半分出た」ようになってしまいます。
歩いていても、いや、ただ立っているだけでも宇宙遊泳しているような感じになって酔ってしまう。
それでも上述したように、少しずつ少しずつなおってきている感覚はあるので、以前のように「早く完治させねば!」ではなくて、気長に気長に薄紙を一枚一枚はがすように治していけば良い、と今では考えるようになりました。 >>176
私の父も三男なので分家のそのまた分家です。
だから以前に書いたように、父はよそに養子に行くことになっていたわけなんですけど。
もうすぐ、その「父」になるはずだった人の命日です(-∧-)合掌・・・ >>187
あくまでも、冤罪ですので・・・ヾ(;´▽`A``アセアセ
だいぶ経ってから本当の犯人が自首したはずですよ・・・
警察官になりたくて犯人捜しに一生懸命だった処、
「あなたはその時何をしていたの?」と聞かれてパニクったので怪しまれたようです。
誰でもいきなり何でも無い時の事は覚えてないでしょうし。 >>193
ああちゃんと冤罪と書いてましたね。
見落としてました。
昨日は心身ともに調子良くなくて変でした。
気候のほかに、もしかして憑依とかあったかも…
お盆ですし。 用事があって、午前中に東京〜川崎間を自転車で走ったんですが、木々に覆われた遊歩道であるにも関わらず、帰って来た時はフラッとして、自転車を自転車置き場にしまったあとちょっと朦朧として部屋までスムーズに行くことが出来ないほどでした。
ベランダの温度計は40℃を差していました\(+×+)/ 全然関係ない検索ワードで全然別のテーマのこと検索していたら、わんこ関係で知っている人のブログにヒットしてびっくりしました。 ブログやる人ってこまめだよなぁ〜(*^^*)スゴイ 台風対策にとりあえずハートのサングラス買った(^^;)アセアセ
コロッケ買うの忘れた… しかし前世を思い出すと鬱だよな〜
まったくろくなことがない…(´`;)ウツダ
やっぱ遠慮がちにしてしまうところがよくないんだよなぁ〜
もっとやりたいようにやればよかった〜(つと;)ウジウジ >>198
いや実際あんなに緻密に多岐なテーマに渡ってやってらっしゃる方とは知りませんでした^^ 背中一面から腰の下部までが激痛で振り返ることが出来ないほどです(>_<)
お盆が近づき、冥府の扉が開いてるから霊たちが降り来るのでそうなる、ってのは本当なのでしょうかね?
たしかに例年今頃の時期にこのような苦しい症状に苛まれはするのですが。 ミニストップの超絶美味だったカルピスソフトクリームが食べたい…
どうか復活してくだされ… 暑い日は熱々カレーうどんを食べる(^へ^;)ムグ〜
汗かくとお肌すべすべ(*^^*)ウフ 戦国とは関係ないのですが・・・
白山菊理姫「田んぼの神にさせられちゃったわよ。」
白山を田んぼの神にしたの、誰だろな?
藤原氏かと思たが、
前田、高田、上田など、田がつく人は藤原氏。
また、藤原氏は古代ユダヤ民族のため、
藤原氏がやったとは思えない。
「田」は、つまり○に+。
○に星マークと対をなす。
伊勢の神のマーク。もしくはイエスキリストのマーク?
真正イエスキリスト、日本国、天皇家に敵対する民族がやったと思われる。
で、しかも神を封じれるほどの力を持つ人物。誰だ? 昨日は今季一番の熱中症にかかりふらつきと吐き気で酷い目に合いました。
油断していたのでまた各種アイスノンなどこまめにやらなきゃ! 近所のコンビニまで買い物に行ったら、ミスト状に霧雨が降っていて、気持ち良いことこの上ありませんでした(*^-^*) 少し暑さは和らいだけど、そのぶん湿度が凄いので「湿度熱中症」です(>_<)キツイナンニモタベタクナイ お墓参り行くべきかなあ…
でもこの気候の中行ったら、霊園山ん中で登り大変だから絶対熱中症こじらすよなあ…
涼しくなってからでいいよね? きのうは、父が養子になるはずだった人の命日でした。
私も、本当の孫のように大変可愛がってもらった人
なので、ふだんはあまり行かない、ちょっと高いスーパーに行って和菓子を買ってきて、お茶と一緒にお供えしました。
こっちが、事実上の盆のお墓参りかも
とも思います。 お盆は仏教行事だから、神道は関係ない、
とする神社と、
神道にも神道版のお盆に相当する行事がある、
とする神社の2つがあるんだよなあ…ドッチガセイカイナンダヨ?
武蔵総社は前者の考え方だし
後者は、祖霊(みおや)祭とか御魂(みたま)祭とか言うらしい。
みたま祭りといえば、
以前は靖国神社のみたま祭りには毎年行ってたよなあ…
ということは、
あれはご英霊をお迎えする神道版のお盆だった、ということなのか! お盆だしおはぎ食べる(*^^*)ウマイ
おこわも食べる(*^^*)ワクワク >>213
私は水ようかんです(*^-^*)
今夏は何故か水ようかんが無性に食べたくなります。
次いでくず餅ですね^^ あの助六屋さんのジェラートしばらく食べてないなあ…
今度、病院の日に関係なく、最高気温が30℃切る日があったら食べに行こうかなあ。 >>217
アイスクリームは中国だかモンゴルだかが発祥地であると、
小さい頃テレビでやってるのを見ましたし、その後も同じ内容のことをテレビやネットでしばしば目にするんですが、これは本当ですか?
ミノムシさんが長安で暮らされていた人生や、匈奴の人たちを見ていた人生(この2つは同じ人生でしたっけ?)では、
中国やその周辺にはすでにアイスクリーム(や、それに類するもの)はありました?
ってこの質問、すでに過去ログでもしているような(^_^;) 最近、よくカラスさんが助けてくれます。
そして何かを伝えて来られます。
私は「読めない」ので、猿女君さんが読んでくださってるんですが。 昭和天皇をご祭神とする神社を是非ご創建して欲しいものです。
戦前なら間違いなくそうしていたことでしょうに。
武蔵野陵墓地に行ってみようかなあ…
でも市は隣とはいえ、あそこまでの距離となると果てしなく遠いんだよなあ…
多摩川サイクリングロードから南浅川サイクリングロードまでどう繋げさせたら良いんだろう?
多摩川サイクリングロードは青梅の手前で行き止まりなんだよね。
前に行きましたが、あれ以上は確かに行かない方が良い(サイクリングロードを延ばさない方が良い)と思いました。
その手前の羽村市の段階で、「この辺りは突然の豪雨で川が氾濫します」と、恐ろしい表示がサイクリングロードに立てられた案内板に書かれてありましたし、
なによりも、青梅まで行くと出ます…熊が! >>221にちょっと追加です。
「この辺りは突然の豪雨で川が氾濫します」と、恐ろしい表示がサイクリングロードに立てられた案内板に書かれてありましたし、
↓
「この辺りは突然の豪雨で川が氾濫します」との表示とともに、実際に私が行った数年前に川が氾濫して決壊してしまった時の恐ろしい写真パネルが、サイクリングロードに立てられた案内板に大きく写し出されてありましたし、 多摩川は上流に向かって関戸橋、さらには府中四谷橋(野猿街道)を越えると突然ワイルドになるんだよね。もう東京じゃないって感じ。
川の流れが突如急勾配になって轟音を立て、水の色が普通の川の色から緑色(いくぶん透明度のある乳緑色)に変わる。
脇のサイクリングロードを走っていても、物凄い川の流れに吸い込まれそうな感覚になって、とっても恐ろしい思いをしました。
川の女神様をあの付近では川を挟んで両側で祀っているのもそう考えると納得です。 終戦記念日です。
今さらながらですが、
J・マクモニーグルさんによる「神武天皇のリーディング結果」なるものを読みましたが、
あれはむしろ、魏の公孫氏による九州中部への侵攻の事跡にアクセスしてしまっように私には見えました。 しかし、公孫氏の襲撃によって陥落寸前に陥った熊襲が、
隼人の助力を得て、大きな打撃を受けながらも辛くも窮地を脱した時、久米はどうしていたのだろう? 雨の中、父の墓参りに行って来ました。
途中に寄った霊園の氏神社でも、神式の父の墓前でも祝詞をあげたら風が吹いてきてびっくり。 母のとなりが今まで空き室で、やはり高齢者&障害者向け住宅にリノベーションされたんですけど、昨日、新しく入居された方がご挨拶に来られて高級なシャーベット詰め合わせを下さいました♪〜θ(^0^ )オイシソウ
感謝感激です(^O^)
本当にどうもありがとうございましたm(__*)m 気温は30℃切ってますが、湿度がハンパないです。
むしろ暑い時よりも玉のような汗をかいています(>_<) しかし、暦の上ではもう秋、というのはこの蒸し暑さの中ではどうしても違和感を覚えます。
二十四節気って意味あるんでしょうか? ここ2週間ぐらい、最高気温20度ぐらいですが湿気がすごい。
>>229
昔の中国のものを使ってるとか。
でも日本で使っても季節の先取りが出来るので云々…らしいですよ。 >>230
そうなんですね。
教えてくださりありがとうございます。
確かに立秋過ぎても暑さは変わりませんが、というか、夏成り立ての頃に比べてむしろジメジメした感じが増して余計不快になりますが、立秋ってむしろ「夏の折り返し地点」的な目安になりますよね。
「これより夏後半戦!」みたいな。
とはいえ、旧暦だと今はまだ6月です。
旧暦では4〜6月は夏ですので、
こちらの方が私には納得感があります(^_^;) 最後の夕張メロン、もったいないからと長期間冷蔵庫に入れていたらぶよぶよになっていました(^O^) >>232
メロン腐ると苦いよね…(^^;)アララ〜
前にスーパーで買ったのが苦くてびっくりしたことある… >>218
匈奴と戦してたときはアイスクリームはなかったなぁ?
でも冬に匈奴のお茶のミルクティーみたいのを外に置くと、
勝手にシャーベットになってたよ(*^^*)ウマイネ〜
最初にアイスクリーム食べたのは1650年くらいのフランスだったよ(*^^*)タブン
うまくてビックリしたけど作り方は教えてもらえなかった…(*^^*)ペロリネ〜
今のアイスクリームは100円のでも超うまいよね 昔の日本でも夏に『暑い!暑い!暑〜い!』
っていうとかき氷あったよね〜味はそうでもなかったけど…(^^;)ビミョ〜 この時間帯だけど白玉クリームあんみつが食べたい…(*^^*)ゴクリ
コンビニにあるかなぁ? 無かった…
大福とアイスクリームでがまん(;==)○ >>233
まだ切っていないんです…
中身を見るのが怖くて(^-^; >>234
ルイ14世の頃ですね。
その頃ですとブルボン王朝治世下の最盛期でしたよねたしか。
でもその頃のフランスに既にアイスクリームまであったとは驚きです。
フランス料理の一環だったのでしょうか?
フランス料理は、イタリアのトスカーナ王家メディチ家のお姫様がフランスに嫁いだ時にトスカーナから連れて来た大勢のシェフに由来すると言いますが、
これは、アンリ2世の正后になったカトリーヌ・ド・メディシスのことでしょうかね?
でしたら、それは1500年代のことですので、1650年頃にはすでにフランス料理は誕生していますよね。 >>234
匈奴はねぇ…!
以前ミノムシさんから教えていただきました、
アッシリアから来た人たちが殷王朝を築き、それが周に滅ぼされたあと匈奴になった、
との成立の経緯には本当に驚かされました。
そして白人も黄色人種も半々にいる多民族国家だったと。
匈奴はものすごくダイナミックに領域が移動していますので、私は「ハウルの動く城」を連想します。
ってハウルの動く城、観ていないんですけど(^_^;) >>235
信長も食べていたそうですね、かき氷。
時には帰蝶さんも連れていって一緒に食べたとか。
でも氷にかけるシロップは「ぶどう」という果実の果汁なんですけど、これは今の葡萄とは違う種類の果物だそうで…
その「ぶどう」という果物は今はもう絶えてしまって存在しない、と昔教わりました。 メロンは「無事」でした。
超が付くほど熟していましたけど^^
熟れ過ぎていたり、少し怪しげになっていたらウィスキーをかけると絶妙に美味しくなります。
匈奴は分裂した一派がフン族となって、東ヨーロッパに到達したと言われていますね。
そして、これまたよく言われるように、
ハンガリーはフンガリア、
フィンランドはフン(ヒュン)ランド、ということなのでしょうかね?
ハンガリー人は今でも、数人に1人は幼い頃に蒙古斑が出るとも。
フィンランド人は逆に、現在のコーカソイド(白色)人種の中でも最もその純粋度が高いそうですけど、これも、匈奴の中でも白色人種の方の方たちがスカンジナビア半島など北ヨーロッパに向かい、周辺のノルマン人たちと長い間かけて混血していった、
とみれば納得できますね。 ということは、匈奴・フン族の中でも白人系の人たちは、セム語系統の言語を話していたということなのでしょうかね?
よく匈奴は、民族としてはトルコ系だのモンゴル系だのツングース系だのと言われる説と並んで、アーリア系説も言われますが。
あるいはそれらの混成体説とも言われていますが。
アーリアではなく、セムであると。
中国とアラブが、その政治形態や、占星術が発達したところなどがよく似ている、と言われるのも、元々アッシリアから来た人たちが古代中国の端緒を開いた国だから、と考えると至極納得が参りますね。 >>227
で書きました、母の隣のやはり高齢者及び障害者向けにリノベーションされたお部屋に入られた新住人の方からご挨拶品にいただいたシャーベット、いただいてみたら超絶美味でした。
果汁がそのまま果物の果肉が入っているような食感なのに、それでいてサクサク感があります。
いただいた当初はどこのシャーベットか確かめていなかったんですが、
よく見てみたらモロゾフのシャーベットでした。
さすがモロゾフ!です。
今年はモロゾフが毎年夏の限定商品として出している、一個4百円ぐらいするゼリー(これがまた超絶美味なんです)を買ってなくて、もたもたしてたら期間が終わってしまう、どうしよう(^_^;)と考えていたんですが、代わりにこのシャーベットをいただいたような感じです。
ぶどう、きいちご、オレンジ、ゆず、の四個入りで、その中で
ゆずシャーベットが一番美味しそうなんですが、もったいなくて食べるの躊躇中です(^-^;) すっごいシンクロニシティが10個以上も立て続けに起こっている。
正直、驚愕している。
でも、やはり正直、あれは堪えた。 ここ数日、今夏で一番蒸し暑い日々ですね。
朝5時台にベランダに出て、外の温度計を見たら、既に30℃を差してます。
昨夜も22時前にアイスコーヒーを買いに行ったら、外はむわっとした暑さで息ができないような感じでした。
前の日の熱が蒸発され切る前に、次の日の暑さがやって来てしまって、どんどん澱んだ暑さが積み重なっていくんですよね。
そうすると、現在のような、独特の「死んだ暑さ」に。 徐福は本当に日本に来ていたんだろうか?
だとしたら紀元前3世紀… マンガでは、
徐福は卑弥呼の先祖だって書いてあったな。
グランドジャンプのこううんりゅうすいっていう本宮ひろ志のマンガ
今週号より 最近マンガ読む暇すらない…f(^^;)アララ〜
暑いのはヤダけど湿気は大好き(*^^*)ケロケロ
もっとムシムシしててもいいなぁ〜(*^^*)カイテキ あえて整合性をとれば、やはり佐賀のあたりでしょうかね。
吉野ヶ里遺跡のあるあたりだと久留米も近いですし。
九州の縄文人たちの内、呉国(あるいは呉越両国)の亡命王侯貴族たちが移りすんで来た九州南部が隼人となり、他に一歩抜きん出る存在となったのなら、
それと同程度の文化水準を有していたという久米は、どのような過程を経て成立したのだろう?とずっと考えていたんですよ。 それか前漢の頃。
ミノムシさんが前漢の時代、日本に観光旅行に来られていた、というのも、(徐福一行上陸説と並んで)非常に気になることなんですよ。
それも、お話聞くと上陸したのは西九州のようですし。
その頃の前漢では定期的に日本に来る「ツアーパック」のようなものがあったのか?
だとしたら当時のこと、中にはそのまま西九州に上陸して定住してしまった者がいても不思議はありません。
ツアーパックの回数が膨らむに連れて、それら定住者の総数が一定量に達したら、否が応無しに「文明国の誕生」となります。 あるいは呉の亡命王侯貴族たちが来て融合したのが隼人となり
続いて約一世紀半後、越の亡命王侯たちが来て融合したのが久米となったのか…
「丹を取る人々」
に纏わる伝承との関連も非常に気になります。 >>253
観光旅行というよりお見合いツアーみたいだったもんな〜
倭人の女の子かわいいからお婿にいくヤツたくさんいたよ〜 >>255
本当ですかあ\(☆o☆)/
ならもう「決定」かも!
呉の太伯はやはり隼人ですね。
久米はやはり「前漢お見合いツア」ーが主体と。
ミノムシさんも西九州でご子孫残されているでしょう? 逆に日本からも「大陸ツアー」に出ていたんでしょうね。
これで何故、久米の子孫である金毘羅様がサンスクリット語に長けていたのかも説明がつきます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています