皇位爭いに敗れた皇太子と皇后が、
それぞれ 6 人と 7 人の家臣を連れてこの里に逃げてきた、という伝承がある。
これはただの伝承ではなく史実のようで、この 6 人と 7 人の家臣は六供七宮人と呼ばれ、
京都から正式な官職を与えられて税も免除されていたという。