>>170 ご質問を見逃しておりました。失礼しました。

善意であろうと助けたい、何かをしてあげたい。
それに囚われることも煩悩の一つです。
究極の目的である、悟るという目標。
そこに辿り着いた方々は衆生には戻ってきません。
それで良いと思います。
煩悩が無くなり大いなる自然と一体化することにより霊界の格が上がるからです。

菩薩様の中でも階級があり如来になる最終段階の中に衆生を救いたいという願望を捨て去ることで、
如来に至るのです。つまりその願望すらも煩悩。

私もここを見る全ての人を救えるなどとは思っていません。
先に述べた段階に達していないものに智慧を語っても気づきがないのです。

しかしゆっくりでも各段階のものにあった言葉を拾ってくれれば必ず気づきはあると信じています。

最後に意識があるのは何故か。
魂として霊界に居る間は平安な世界であり、それ以上、それ以下への変動がありません。
魂を磨くということは不安定な世界で色々な経験を経て考え、悩み、苦しみ、喜び、笑い、泣き、悲しみ、
様々な感情を経て人間として多くを学ぶことによって魂を成長させるからです。
これは当然意識がないと成長できませんね。

人間界という空の世界で自己学習させているんですね。
これは魂の修行となるからです。