ご回答ありがとうございます。
お二人の回答でひとつの回答かもしれないな、と感じました。

>>168
>>169
たしかに、自分の身をかえりみず他のものを優先させる行動をみると感動させられることが私にもあります。自己犠牲に美徳を感じる人は少なくありません。
真理とは愛であり至上の愛。究極の慈愛。
理由とメリットとしては、
天界がより大きな愛に満たされる、全体的な霊格の底上げを宇宙の意思が望んでらっしゃるから、でしょうか。

愛とは何ですか?どのような存在なんでしょうか。

>>59さんのレスがそうなのかな?とは思いますが、改めてお聞きしたい。

168さんの回答では、利他愛という自分を忘れ、他人のことを思うこと。との事ですが。

我を無くすこと、自分を捨てることが良いことで、我を持つことは悪い事なのですか?

では、何故自分、という意識が今ここにあるのか不思議です。自分という意識、意思が無ければ、欲もなく煩悩も起こらず、他の為により働く事が出来るし自己犠牲も簡単にできます。ですが、…自分という意識が存在します。

これは一般人の目には見えないですが、菩薩という意識、地球という意識、宇宙という意識。目に見えない意思、はそれぞれ存在する。

望みとは、利他であろうと、どのようなものであれ、欲のひとつと言えると思います。これも自分、という意識があればこそ。

意識があるのは何故でしょうか?