仙道の性功が説かれているのが「老荘思想」。
あれには「何が正しい」ではなく情報の持つ物理的性質、情報との距離の取り方が説かれている。
「老荘思想」が逃避的に見えるのは現世的な価値観に縛られている人をモデルにしているから。
情報の相に囚われることなく情報の持つ物理的性質を理解するのが「空の悟り」であり「環虚」
最終的に情報=存在という主観的世界と客観的世界が統合される世界に入る、それが「道」。

苫米地氏は今まで「なにをどうする」と説かれていた仏教を認知論的に情報の物理として説明している。
ただあれを記述で理解しようとするのは難しい。
高藤本の「仙人瞑想法」には気と意識のそれぞれの領域の双方向集中の記述がにはあってあの辺りから
実践的な感覚で入るのが良いと思う。