瞑想というのは適正な焦点を得るまでに偏差のようなものがある。
マインドフルネスというのはこの焦点の合わせ方の道筋をある程度示したものだが
他からはある程度しか示すことが出来ない。
最後は自分でジャンプしてピタリと焦点を合わせないといけない。
そこに「信仰」とか精神的な深い方向性が関わって来るわけだが
完全にサイエンスとして瞑想を捉えると焦点を合わせる直前で放置されてしまう。
別の言い方をすると焦点を合わせる意志(悟りの希求)を持った者以外深い瞑想を求めてはならない。
万人が行う瞑想法としては内的な方向性を認知させる程度にとどめるのが良いと思う。
マインドフルネスが成果を上げているのはそういう浅い部分
科学的な万能性を求めると壁にぶつかる。