>>228
技術論ではなく「認知論」とすると「悟り」と表裏一体になる。

白隠の身体の変調は身体意識レベルの偏差。
白隠は「悟り」を求めて極端な集中をした、だから心も身体も「陽」に偏差した。
だからこの辺の身体的認知は仙道の小周天で気が督脈を上がり放しなったのと同じ。

何故こんな方向で話をするのかというと、仙道は気の仕組みで悟る部分があるから。
言葉に頼らずに身体で悟る禅と気で悟る仙道の共通項を「身体的認知」とすると
禅と仙道は意外に共通項がある。