日常生活をするに当たっても、
病気や故障のすくない体を長年にわたって維持させるにあたっても、
体の動かし方を学ぶ機会は必要だ。

それが、体育の授業で実施されているという誤った認識があるが
実際は逆のことをやっている。

「地球は止まっていて、天が動いている」といったことを教えているのだ。

例を挙げるときりがないが、うまく運動ができないといった生徒がいると
「もっと全身に力を入れろ」といったことを教える。
(不要な箇所の力は抜く、と教えるのが正しい)

また、走る、投げる、飛ぶ、蹴ると言った動作のときに
手や足の動きだけを意識させることを教える。
(体幹も意識する必要がある)

また、教え方が分からないと
お前は運動音痴だ、とか運動神経ゼロだということを刷り込む。

教え方が分からないことを「運動音痴」というキーワードでごまかすのだ。

その結果、興味本意でスポーツをやってみようとしても
「自分は運動音痴だからできない」と思ってしまい、やることをためらう。

「運動音痴」であると言う意識を毎週3時間以上にわたり根付かせた
体育教育の「成果」である。

技術面でも、メンタル面でも体の動かし方を学ぶことを阻害する”教育”が
莫大な費用と、子供の成長期の時間を浪費して実施されているのだ。


残念ながら、体の動かし方をまともに学ぶことができるのは
大人になってからというのが現状だ。

しかも、体育の授業で学んだ
「もっと全身に力を入れるのが正しい」とか
「自分は運動音痴」というのが
体の動かし方を学ぶときの足かせになる。

体育の授業を廃止すればこのような足かせにより
体の動かし方の取得が妨げられることがなくなる。

小学、中学の体育の授業を受けて
間違った知識をすり込まれてしまった人は手遅れだか
今後の生まれてくる子供達は救うことができる。