>>351
特技を披露できる機会はあってもいいかもしれないが、

体育の授業は、
国語や数学、美術や音楽などと異なり、
「ビリ」か「ビリ2」かを決定することに多大な時間を費やしている。

「晒し者」を決定することに、力を入れているのである。

「1番」や「ベスト5」を決めるのは、それなりの意味があるのかもしれないが
「ビリ」と「ビリ2」を決めるのは、何の意味があるかさっぱり分からない。

文部科学省の体育のカリキュラムを考えるオエライサン達は、
「ビリ2」の生徒が「ビリ」に勝ったところで「運動って楽しいね」と感じると思っているのか?