>>273-274
自分でものごとを考えるという、「思考力・独創力」は、
学校の教科のみならず、普通の生活においても重要だ。

しかし、思考力・独創力を発揮するためには、そのベースとなる土台が必要である。

小学校の義務教育課程では、
国語では、50音の暗記・漢字の暗記など、
算数では、九九などで、
思考力・独創力のベースとなる知識・学び方を身につけていく。

教育熱心な家庭以外では、家で九九を教えることはないが
義務教育でこれらを学ぶため、ほとんどの生徒が身につけることができる。

「自分で見つけろ、考えろ」だけでは、
特に算数の力に秀でた人以外では身につけることはできないだろう。

こうして得た、思考力・独創力のベースを基に、
それぞれの教科に興味の持った者、職業に生かしたい者は
高校・大学・専門学校などの専門教育課程で「思考力・独創力」を磨いていく。

ところが、体育はこのような土台を教えることは全くなく、
「自分で見つけろ、考えろ」とか「体で覚えろ」とかしかいわない。

身体能力に秀でた者は、先生などの手本を見るだけで、
覚えるための糸口を見つけることが出来るが、
そうでない生徒にとっては、どうすればいいのか皆目見当がつかない。

体育は、週に3時間以上行われるが
覚えるための糸口・練習の方法がわからないため、身につくものが何もなく、時間の無駄でしかない。

「自分で見つけろ、考えろ、コツや糸口を教えてくれというのは甘えだ」というのは
能力、興味の有り無しに関わらず受ける
「全員必修の義務教育」としての役割を放棄しているとしか思えない。