学校の「体育」の授業って必要あんの?
オランダでは運河に落ちる事故が多いので、溺死する前に岸にたどり着く技術を教えている。
もちろんスポーツとしての競泳ではなく、あくまで生存のための技術として教えている。
スイスでは山岳地帯での遭難が多く、生還率を高める知識を教えている。
雪山での注意点、雪崩が起きた場合の逃げ方、遭難時の救助の求め方等だ。
そういう実用本位の内容なら、体育としてやっても良いのではないかな?
「死にたくなかったら運河に近づくな、雪山に入るな」だけで済んじゃいそうだけど。 運痴をスポーツマンの中にいきなり放り込んでバスケとかサッカーやらせても事実上のプレイヤー数が1減るだけで、
運痴にとっては運動にも練習にもならない。
単調な基礎練習してる方が遥かに楽しい。
なぜか体育だけできる人側に合わせてるんだよね。 スポーツ特対のやつに1時間以上二次関数教えても理解できんときは
まじでいらいらした。というか日本人て世界的に見れば体育会系ほとんど
馬鹿で何も貢献してないのに学校で優遇されすぎだろ。というか
日本の学校体育できるやつは実際は幼児期スポーツ習った奴がほとんど。
日本の幼児の習い事率はスポーツ関係なら世界一だろう。 あ、おれがいってる習い事は球技格闘技のことね
経験値がものいうから。ボールも触れたことないのに
ドッチボールとかは辛かった >>232
他の科目の場合、できる生徒は授業が低レベル過ぎて、退屈ですよ。
できる生徒に合わせたら、大半の生徒がついていけず脱落しますよ。 >>231
>>235
俺は、知恵遅れというレベルではなかったが、言葉を覚えるのがおそかった。
国語や算数等の学科は、
「できない生徒に合わせる」授業のおかげで、そこそこ出来るようになった。
最終的には、上位になったが
「できない生徒に合わせる」授業があったからこそだと、今でも思っている。
「できない生徒に合わせる」ことをしない、
体育の授業は、全くついて行けず、身についたものは全くなかった。
>>231
>単調な基礎練習してる方が遥かに楽しい。
そう言うと、腕立てやランニングしかやらせないのが体育の授業。
ボールの投げ方とか、そういうことは一切教えない。
他の科目と異なり、
「とりあえずやってみろ」とか
俺たちでもいえることしかいわない。
体育の授業体系、カリキュラムの為せる業である。
センスのある生徒はできるが、
そうでない生徒は全く出来ない。
それで、できないとやる気がないとか、
先生や生徒から罵声を浴びせられる。
「体育は他の科目と異なり素質で全て決まる」という、意見もあながちウソではない。
>>226
>体育の授業でも、「結果を人の所為にしている」行為が横行しています。
>「あいつのせいで、体育がつまらないんだよとか」
>「あいつのせいで、試合に勝てない」とか
>あるときは直接、あるときは聞こえよがしに
>汚い悪口をいうのも、「結果を人の所為」にしている典型ですよね。
こういう人のたくさんいるよね。
「汚い悪口をいう心」を育むのが体育の授業
義務教育だから、
能力や経験の多寡を問わず
集団競技に参加させられる。
だから、生徒(特に精神的にまだ未熟な、小中学の教育課程
「汚い悪口」を特定の生徒に浴びせる事象は、必然的に発生しうる。
想定可能な、教育リスクの一つである。
このリスクを抑止するのが、
指導の過程では必須だが、体育の授業では全くそれが為されない。
指導要綱では、「想定外のリスク」として無視しているのである。
2011年3月、
地震や津波、電源喪失のリスクを無視した、
福島第一原発は、東日本大震災により、炉心溶融を引き起こし大惨事となった。
東電幹部は、「想定外のリスク」だったと言い訳をした。
惨事の規模の多寡、質は異なるが
リスクを無視し、子供の健全な教育を阻害している点においては
体育の指導要綱作成者と東電は
同じ穴のムジナといってよいだろう。
どうすれば意図的に風邪を引いてスポーツ関連行事を休めるか考えるうち、
風邪を引き起こすウイルスについて興味を持って調べたり、
人間の免疫系についても調べたりしたものだ。
豪雨でスポーツ行事が潰れて欲しいと思っているうちに、
気象現象のメカニズムや、人工降雨の研究に興味を持って、
関連書籍を読んだ事もあった。
体育そのものはくだらない事だとしか思わなかった。
しかし、そうやって得た雑学知識は、少しは役に立ったかもしれない。 >>224
俺も体育の筆記試験はあった。
毎回、100点満点中10点以下だった。
バスケットボールやらサッカーやらの、細かいルールや
選手の動きを問われても、ほとんどわからないし、問題文に含まれている用語も理解できなかった。
それでも0点にならないのは、選択問題が偶然当たる事があったから。
もし選択問題が全くなかったら、毎回0点だったと思う。 体育ってやり方と避ける方法を学ぶけど、それをやった後処理みたいなことは家庭科任せなんだよねw
さてなんのことでしょうか?w 消の頃はそこまででもなかったけど、厨になって散々馬鹿にされた
それでもこっちとしては必死にやっていた
団体競技では足を引っ張るのでなるべく空気になろうと努めた
しかしやらなきゃ怒られる、渋々やるがやっても出来ない為に笑われる
度々仮病で保健室に逃げたり学校自体休んだり
もともとの要因もあっただろうけどそれからなんだか歪んでしまった気がする
そりゃ何度もやって出来たこともあるけど笑っていた奴らにとっては何の気なしに出来ること
負を生み出すだけの授業なんていらないよ…… 限りなく運動ができないんだから、運動をやっても時間と金の無駄。
運動なんてやらず、時間と金は他の事に使うべきだ。
と言う事を学んだ。
体育の授業から学んだ事は、それだけだ。 国語は、9年間義務教育受けていれば
50音の読み書きができて、
「インターネットを楽しむだけの国語力」は得られるし、
算数は、9年間義務教育受けていれば
60円のお菓子が7個でいくらかっていうのが計算できるようになるけれど
体育は9年間で、それに相当するものは全く得られないよね。
得られるのは、「サッカー」や「ドッジボール」といった競技がある、といった”知識”ぐらい。
そのために9年間も義務教育で労力を費やす必要はないと思う。 完全にトラウマになった
団体競技で浴びせられた罵声の数々が今でもよく記憶に刻み込まれてる
忘れたくても忘れられないし思い出す度に吐きそうになるし気が狂いそうになる
運動が苦手で嫌いな人間があの数々の公開処刑の中でいったい何を学べというのだろうか
忍耐力というにはあまりにも酷すぎる 団体競技なんて、参加しないで離れて見ていたな。
どうせ何もできないのだから、無理に参加する意味がないし、
体育の時間だけは必死になる運動馬鹿達にとっても、
運動できない奴は邪魔なので、いない方がありがたいだろう。 アメリカは体育無いよな。
ない国は多いはず。
俺は小さい頃アメリカの学校に転校
↓
運動しない
↓
体力無くなる
↓
帰国
というパターンだ。 いや、あるんですけど
分かり易い嘘つかなくてもwww あったのかよwww
じゃああれは何だったんだ(´;ω;`) アメリカは州によって制度が違いすぎるし、
学校単位でもまるで違うから、いちがいには言えないでしょ。 アメリカは体育のない学校も多いのでは?
肥満児が多いから、体育必修にしろという意見が出た事もあった。
それに対し、肥満の原因の多くは運動不足ではなく、貧困層が
カロリーだけは高いファーストフードばかり食ってるのが原因だという反論もあった。 バスケットボールをしていた高校生が
心臓発作で死ぬアメリカ.........
ドライブスルーの銀行で下ろした金で
ドライブスルーの店ででハンバーガー
を買うアメリカ
日本はこのスレの住人でも向こうじゃマシ
なほうなのかな。 俺は結構太ってるけどアメリカ行ったら周りがさらに太りすぎてて全然目立たなかったわ >>257 日本でデブって言われてる奴の大半は向こうでは通用しない。
向こうのデブはレベルが違う。 団体競技は、運動馬鹿連中の独断場。
運動音痴は事実上追い出され、1人また1人と参加しなくなっていった。
最終的には、運動音痴とは言えないレベルの人まで、邪魔者扱いで締め出されてた。
結局体育の授業は、出席を取るだけで、後は時間が終わるまで見学だった。 体育なんてやめて、国語か数学か英語を増やした方がいいと思う。
国語は何をやるにも重要だ。
とにもかくも文書を書く能力がないと、困る事は多い。
数学も生きていく上で避けて通れない。
理系の技術職や研究職でなくても、中学レベルの数学は普通に出番があるし、
文系数学の基礎くらいは知らないと損をする事も多い。
英語も、外資や英語必須の職業でなくても、出番は多い。
ほんの少し読めるだけでも、何も知らないよりは、はるかに得られる情報が多くなる。
体育は役に立つ機会が思い浮かばない。
学校体育の必要性さえないのに、
運動部を強制する学校があるのが理解できない。 中学校は、事実上の運動部強制だった。
運動部以外は吹奏楽部しかない上、楽器経験者以外はお断りだった。
しかし強制的に運動部に入れても、全然ついていけない人も多く、
どこの部も1〜3割はその場にいるだけでほぼ参加しなかった。
サボリではなく、本当にできないのだから、ほぼ黙認状態だった。
その後、理由は知らないが、美術部と自然科学部ができた。
元々美術や理科系に興味があった奴だけでなく、
運動音痴の大半も転部したせいで、どちらも大所帯の部になった。 >>268
学ぶための糸口を全く教えず
「本人次第」でしかないんだったら、
体育の授業はいらないね。 体育の授業が原因で自信を喪失したりいじめられるようになった人は全国に大勢いるはず >>269
>学ぶための糸口を全く教えず
と思ってる人間に、何ら学びを教える事などできないわなw
学ぶ為の糸口なんて自分で見つけろよ、何でもかんでも与えられる物と甘えてるからゆとりなんて呼ばれるんだろw >>271
>学ぶ為の糸口なんて自分で見つけろよ、
「学ぶ方法を自分でみつけろ」っていうんだったら授業はいらないな。
授業は何のためにあるのかわからないな。
学ぶ方法を教えない、自分で見つけろ、というんだったら、何のために義務教育としての授業があるのか?
他の生徒に自分の力を自慢して自己満足するためにあるのか?
自分よりできない生徒を笑うためにあるのか?
学ぶ方法、糸口の一つとして義務教育がある事を理解してないんだね
そりゃ授業が何の為にあるのか理解できない訳だ
とどのつまり、自分の能力の低さを過程に於いての結果だと理解できず、全て他人の所為と責任転嫁して自己満足している訳だ
そりゃ、低脳って笑われる訳だ 同じ授業を受けて、テストの点に差が出るのは何でだろう?
単純に個々人の授業受ける姿勢、メンタル、セルフコントロールの差しかないと思うけどな
自堕落な態度で生活し授業を受けていては、学ぶ方法以前の問題だなw
自分の事は自分の責任なのは当然として、それを責任転嫁している時点で成長しようとする人間の態度でない事はどんなアホでも理解は出来るだろ? >>273-274
自分でものごとを考えるという、「思考力・独創力」は、
学校の教科のみならず、普通の生活においても重要だ。
しかし、思考力・独創力を発揮するためには、そのベースとなる土台が必要である。
小学校の義務教育課程では、
国語では、50音の暗記・漢字の暗記など、
算数では、九九などで、
思考力・独創力のベースとなる知識・学び方を身につけていく。
教育熱心な家庭以外では、家で九九を教えることはないが
義務教育でこれらを学ぶため、ほとんどの生徒が身につけることができる。
「自分で見つけろ、考えろ」だけでは、
特に算数の力に秀でた人以外では身につけることはできないだろう。
こうして得た、思考力・独創力のベースを基に、
それぞれの教科に興味の持った者、職業に生かしたい者は
高校・大学・専門学校などの専門教育課程で「思考力・独創力」を磨いていく。
ところが、体育はこのような土台を教えることは全くなく、
「自分で見つけろ、考えろ」とか「体で覚えろ」とかしかいわない。
身体能力に秀でた者は、先生などの手本を見るだけで、
覚えるための糸口を見つけることが出来るが、
そうでない生徒にとっては、どうすればいいのか皆目見当がつかない。
体育は、週に3時間以上行われるが
覚えるための糸口・練習の方法がわからないため、身につくものが何もなく、時間の無駄でしかない。
「自分で見つけろ、考えろ、コツや糸口を教えてくれというのは甘えだ」というのは
能力、興味の有り無しに関わらず受ける
「全員必修の義務教育」としての役割を放棄しているとしか思えない。
>>273
>学ぶ方法、糸口の一つとして義務教育がある事を理解してないんだね
「学ぶ方法、糸口の一つ」
うまい表現ですね。
ドリルを配ってあとは自習、でも「学ぶ方法、糸口の一つ」になるな。
これだけで終わらせるのは
国語・算数では、組合活動にかぶれた教師以外ではほとんどないが、
体育では普通にある光景だ。
>>274
「低脳・ゆとり」な俺たちとちがって
>>274さんは優秀だから、
ドリルを配って、あとは自分でやれ
見本を1〜 >>273-274
「低脳・ゆとり」な俺たちとちがって
>>273-274さんは勉強も運動も優秀だから、
ドリルを配って、あとは自分でやれ
運動の見本を1〜2回やって、あとは自分でやれ
これだけでも、出来るのかもしれないが、
あなたのような優秀な人だけではないということを分かってほしい。
学校体育からは、重要な事を学ぶ事ができた。
「スポーツに金や時間をかける意義は一切ない」
スポーツをしても苦痛しか得られるものはなく、金をかける意味は一切ない。
それ以前に、スポーツに貴重な時間を費やす意味は一切ない。
金や時間を失った後に後悔しても、失ったものは戻ってこない。
机上の知識ではなく、実体験を伴う知識として、それを学ぶ事ができた。
教師が一言「スポーツなんてムダだからやめとけ」と言っても、
大半の人は聞き流してしまい、すぐに忘れるだろう。
しかし実体験が伴っているのであれば、簡単には忘れない。 >>275
>「自分で見つけろ、考えろ」とか「体で覚えろ」とかしかいわない。
当たり前だ、言葉で体の動きを伝えるのは至難の業である
幼児が成長するに連れて憶えていく動きは、一々親が言葉で「膝を曲げて手を振り下ろし、手を振り上げると同時に膝をのばして力を込めてジャンプしなさい」って、このように教えるか?
成長期の人間にとって聴覚の刺激よりも視覚による刺激の方がより強いと研究結果が出ている。見本を示し、それを模倣させる手段は最も理にかなっている。
使わないと成長しないのは、頭脳も体も一緒。
>そうでない生徒にとっては、どうすればいいのか皆目見当がつかない。
見当がつかないのではなく、見当をつける気がない、いわゆるセルフコントロールが出来ないんだろう。
それに対してチャレンジさせる事は教師の役目だろうけどチャレンジするのは本人だから、見当がつかない等と言い訳している時点で、自分の可能性を放棄した人間である事には違いない。
>能力、興味の有り無しに関わらず受ける
「全員必修の義務教育」としての役割を放棄しているとしか思えない。
能力、興味の有り無しに関わらず受けれるから義務教育なんだろ?
やる気の有る無しなんか完全に個々人のメンタルだし、能力別個別教育できる程満ち足りた教育行き渡る訳が無いし。
やる気が無いから受けないってのは義務教育の放棄に他ならないんじゃない?
放棄してるのはどっちだ? >>278
> ID: 516Miy8T
低脳ゆとりって自覚があるなら2ちゃん見てないで勉強してなさいw 急に思い出した小学校の体育でのトラウマ
俺「あっ俺のチーム試合やってる!」
友達「おい行ってこいよ」
俺「ごめん!ほんとごめん!」
チームメイト「えっ俺君いなかったの?」 運動のできる人にとっては、学校体育から何か学ぶ事もあるのかもしれない。
でも運動音痴は、何か学ぶ以前に、最初の1歩の時点でついていけないんだよ。
運動のできる人達は、恐らくそれを全く理解していない。
こういう事を言うと、運動のできる人は必ず、
「練習すればできる」「努力が足りない」と言う。
練習や努力をしてできるようになるのは、運動のできる人だ。
運動音痴は、練習や努力に関係なく、できないんだよ。 すごくよくわかる。
自分は水泳と持久走は人並みより少し上だった。
でも球技が壊滅的にダメだった。
ドッヂボールもバスケもバレーもサッカーも。
球技大会は悪夢だった。
周囲の同年齢の子どもたちは勝ち負けにこだわるから、
ボールが取れない・敵を止められないとなると、役に立たないと冷たくなり酷いと責め立ててくる。
ワザとじゃないのに、故意にやる気がないのだと思われたのだろう。
ただ普段は真面目だった為、先生だけはわかってくれていたようで、
先生から罵倒されることはなかったし(ただし個別レッスンはされた)、成績も5段階でいつも3だった。
今、考えると、球技でヘナヘナとさまようだけだったのに、よく先生も3をつけたものだと思う。(夏の水泳と冬の持久走のおかげかもしれんが)
体育できない子は、いじめの標的になりやすいから、体育か音楽か図工の選択式にして欲しい。 いたいた。他の競技はてんでダメなのに水泳だけめっちゃ速いやつ。
別に外のがダメでも1つだけできればかっこいいと思うんだが 音楽や図工を選択できるのもいいけれど、
中学校の技術家庭のようなのも選択肢に入れるべきだと思う。
初歩の職業教育としての側面もあるが、
工学分野の初歩でもあるので、理科の派生教科ともみなせる。
好き嫌いは分かれるだろうけど、音楽や図工のように、素質はあまり関係ない。 高校で学校オリジナル体操みたいのがあってさ
体育の時間にわざわざ覚えさせられてテストまであるんだが
授業以外では体育祭ですらその体操を披露する機会はないんだよ…
振り付け覚えるのが超絶苦手だったからホント無駄な苦労をした >>289 俺も。本当にくだらない振り付けなのに出来ないと体育教師が本気で怒るよな。
俺の場合全員出来るか検査されて、
出来なかったら腕立て伏せ30回だった。 >>285
>でも運動音痴は、何か学ぶ以前に、最初の1歩の時点でついていけないんだよ。
>運動のできる人達は、恐らくそれを全く理解していない。
↑
まさしくこの通りだ。
この肝心要の最初の一歩を具体的に教えてくれないから、俺のような運動音痴にはどうすることも出来なかった。
運動の類は全て人並み以下だから悔しいよ。 なんか持久走だけは積み重ねである程度までは行けるイメージはある。
どれだけ走っても体力が全く上がらない奴はいないと思う。
でも球技とかの技術面のは運動音痴と普通の奴とでは伸びが全く違うからな。
クラスに本当の運動音痴て2〜3人だから仕方ないけどな。 奴隷教育でトクをするのは経営者だけ
頂点以外のものは精神を病みバタバタと倒れていく >>292
そんなおまえも勉学に挑戦して下さいネw 運動をしようとしても、体力が向上する以前に、倒れます。
向上できません。 >>292
こういうアホに囲まれながらの体育は本当に苦痛だった・・・ 学校の教師は、どの科目も生徒よりも、
その科目が出来ていたからつとまる訳ではない。
中には、何も考えていない先生もいるが
多くの先生がどう教えたらいいかを考えている。
教師である自分が出来ることと、うまく教えられることは別であると言うことが分かっているのだ。
ところが、体育は教師はもちろんカリキュラムを考える人もそれが分からない。
生徒よりも、うまければそれで教師の役割が果たせていると思い込んでいる。
だからうまく教えるということを全く考えない。
俺が出来るのに何故出来ない→それは生徒にやる気がないからだ、
という短絡的な結論しか導き出せないのだ。
教程ってあるんだけど、何のためにあるか知ってる?w >>300
>ところが、体育は教師はもちろんカリキュラムを考える人もそれが分からない。
>生徒よりも、うまければそれで教師の役割が果たせていると思い込んでいる。
>だからうまく教えるということを全く考えない。
>俺が出来るのに何故出来ない→それは生徒にやる気がないからだ、
>という短絡的な結論しか導き出せないのだ。
↑
まさしくこの手の体育教師が多いと思われる。
実際、もれが教わったことのある体育教師は皆このタイプだったわ。 体育の必要性を感じない
健康の維持向上には一切繋がっていない
スポーツ選手や指導者を目指す人にとっては、レベルが低すぎ意味がない
体育大学進学を目指す人にとっても、レベルが低すぎる 体育が1だった俺が来ましたよ
出席しようとサボろうと関係なく、俺の体育の成績は1で固定
逆に運動馬鹿連中は、大怪我をしてほぼ全回体育を欠席しても、成績は4か5がつくんだ
やる必要なんてあるわけないでしょ
体育の成績なんてのは、性別や血液型と同じで、
まず変化する事がない固定パラメータのようなものだ 少なくとも健康にはならないね
不快感だけが蓄積し、精神的には不健康以外のなにものでもない
精神的な不健康は、消化器系の不調や疾患の原因にもなる 「学校とは、勉強をする場所である」 by 栄光学園高等学校 体育会系の奴らにも、体育をサボってる奴がいた。
連中が言うには、部活と違ってヘタな奴が多すぎるので、
参加しても面白くないのだそうだ。
体育会系にも見捨てられる体育って何なのよ。 バスケットボールなんて簡単さ
ボールに対して一定の距離を保ち続ければいい
ボールに近づかないので、事実上不参加だ
一応ボールについていっているので、完全なサボリになることもない ハンドボールのジャンプシュートタイミングわけわからん 体育教師が、運動部に入ってない奴は授業に来るなと言い、
文化部の奴は全員見学だった。 「学校とは、勉強をする場所である」 by 栄光学園高等学校
智弁和歌山には、別枠で人集めをしている野球部以外の運動系部活がありません。
唯一武道かなんかの部活があるだけ(これも運動部というカテゴリー分けではないそうな) 体育の成績のつけ方は、単純だった。
バレー部員で上手い奴:5(5段階)
上記以外のバレー部員:4
その他運動部員:2または3
文化部、帰宅部:全員1
体育教師がバレー部顧問なので、バレー部員が優遇された。
なお、体育の授業は一切関係なし。
バレー部員で上手い奴は、授業中はサボりまくっても必ず5。
文化部の奴は、まじめに授業をやっても必ず1。 >>318
それが事実とすれば差別的評価を行なう体育教師は犯罪者だな。 もっとも日本の教職者には真っ当な人間の方が少ないかもしれないが。
>>318 俺の高校には特進クラスと普通のクラスがあって、俺のクラスはその特進クラスと一緒に体育をしてたんだけど、
体育教師は特進クラスだけスポーツに必要な器具を与えなかったり、
少数だけ器具を与えて取り合いをさせ、
残った奴らには「お前らはやる気が無いから器具を取れないんだ!腕立て伏せ20回!」とか言ったりとかしてた。
特進クラスは帰宅部やオタクが多いからか
その教師からは嫌われてた。
そいつがクラスの担任だった頃は地獄だった....... 昔は14歳で原付免許を取得できたので、
体育の授業で練習をやらせた事もあったそうだ。
当時はまだ高校進学率すら低く、中卒で就職後に通勤手段として
原付を買う人も多く、学校で安全教育を兼ねて教えておく意義があったと聞く。
そういう、何らかの有益性のある体育の授業はできないのかな? 体育教師のほとんどが体育会系。
生徒に対し、適切な評価などできるはずがないだろう。 体育は不要だから、やってない学校もあるけどね。
成績表上には一応体育という項目があり、成績もつくが、
実際には英語やら数学やら、他の事をやってる。 体育教師になる奴は運動得意なんだよな。
でも、そいつらもそれなりに努力はしてるわけ。
キツイロードワークに耐え、シゴキに耐え、その上で教師になってる。
だから運動音痴がサボってる、根性なし、ダメなやつに見えて仕方がないんだろう。
運動音痴が1から10に持っていく努力が必要なのに対して、
体育教師の努力は8から10に持っていく程度の努力なんだよ。
運動音痴が体育教師と同じ努力をしたところで2、せいぜい3にしかならないって事になかなか気づかない。
だから体育教師は運動音痴に冷たいんだよな。 体育教師が「方法」を教える事ができないのは仕方がないよ。
例えばボールを投げる事、奴らは生まれつきできるんだから。
ちょっとのことでコツをつかむ事ができる。
どう動かしてどんな力の加減でというのがすぐにわかる。
だからわからないやつの気持ち、どこを動かせば投げられるのか、なんてわからない。
自分には2人子供がいて、全く運動ができないのと、そこそこできるのを持ってるけど、
本当に運動神経だけは生まれつきの素質だって、実感する。 体育の授業って、2次方程式や3・4次方程式を解の公式なしで
あくまで「自分の力でやらせる」ことしかしないよね。
それでもってできないと、
「お前は運動音痴だ」とか「やる気がないとか」
「体で覚えるまでやれ」としか言わない。
やり方やコツを聞こうとすると、
教えることを全くせず、
>>190みたいに、
「マニュアルないと何も出来ない」、
「教えられないと何もしない」「お前はゆとりだ」という
『教えることができない言い訳』しか出ない。
数学の授業で、かけ算や、2次方程式が解の公式なしで解けなくて
生徒が聞きに来た場合、
教師が「九九」や「解の公式」を教えることはあっても
「お前は数学音痴だ」とか「お前はマニュアルがないと何もできないゆとりだ」
「根性がない」ということはほとんどない。
体育と数学では、教育の質が違うから
やりかたを教えることはできないという意見もあるだろうが、
「9年間・週あたり3時間」という膨大な時間を費やしても
それができないというのなら、
義務教育としての体育は存在意義がない。
>>327
>「9年間・週あたり3時間」という膨大な時間を費やしても
>それができないというのなら、
>義務教育としての体育は存在意義がない。
↑
これは仰るとおり。
正論です。