運動能力の向上のためには、イメージトレーニングでいいイメージを持つことが不可欠。

いいイメージを持つことは、他の科目でも必要だが
運動能力の向上にあたっては、
社会の歴史のように暗記がある適度のウェイトをしめる科目よりも、より重要。

しかし、体育の授業では、それをほとんど教えないばかりではなく、
むしろ、運動に関して悪いイメージを刷り込む教育がなされている。


運動が出来なかった人は
体育の授業で運動に対するいいイメージをもつことは出来ただろうか?

運動が出来ない子こそ、
上達のために運動に対していいイメージを持たせるような教育が必要なのに

「ビリ決定戦」など、
早く体育が終わって欲しい、もう運動をやりたくないという
『運動の悪いイメージを刷り込む教育』が頻繁に行われている。

体育の指導要領には、
保険契約の免責事項のごとく
「いいイメージを持つこと」と数行、書かれているのかもしれない。

しかし、教育の現場でそれが実現されることはない。


日本体育会理事長で、元国会議員の松波健四郎氏は
「運動が出来ない奴」は、頭がかたいので、
「みんなから相手にされない」と自書で公言している。

体育の指導要領をつくるお偉いさんも
運動音痴な奴は、イヤな思いをして仲間はずれになるのは
「当然の報い」と思っている人が多数いるのではないかと疑いたくなる。