中学のときの女子の体育教師が水泳部顧問だった。
出席に厳しく、見学者はほぼゼロ。

小学校のときに水泳をさぼりまくっていたような子も全員参加する。
授業は25mをガンガン泳がせるというもの。泳げない子も容赦なし。
泳ぐ本数(ノルマ)があった。

25m泳げない子はそこそこいたし、5m以下という子もクラスに5人くらい。
中には、水に顔をつけることもできない水恐怖症の子もいた。

5m以下の子は、2mくらいバタバタと進んで、かきむしるようにして水の顔をぬぐう。
水恐怖症の子は、プールに入る前から顔が真っ青になり、プールに入るだけでもう涙目。
プールサイドから、「○○、早く泳げ」と容赦のない罵声が浴びせられるが、水に顔もつけれないので
プールサイドにしがみつきながら一歩ずつ歩くしかない。水恐怖症の子は時間がかかるため、
ノルマの消化ができない。

ノルマの消化が出来ない子は、9月になってから、放課後に水泳部の練習している横を1コースだけ
使って泳がなくてはならない。

水泳部の練習は9月いっぱい行われていたので、水が冷たくなる季節まで補講が続く。

そのころになると、ノルマが達成できていないのは、学年で数人。いずれも筋金入りのカナヅチ女子たち。
学年で背の一番小さい子やデブスたちだ。

「いい加減、泳げるようになりなさいよ」とロクな指導もせずに突き放すように言い放った。
9月の最終週になると、歩くことが許されず、ビート板で顔に水をつけて泳ぐことが強制された。

この子たちば、ビート板があっても息継ぎができず、数秒で立ってしまうので全然進まない。
プールは校庭から見ることができたので、他の生徒からよく見えた。学校全体で公開処刑状態。

水を飲むので、しょっちゅうせき込むし、9月の夕方、見てる方が寒くなるくらいの環境で
彼女たちは寒さと水への恐怖と恥辱から泣きながら夕方まで泳がせられ続けた。