この板はネタ板です。本当はみんな運動できます。
運動部の奴は日が暮れても練習続けている人は多いのに、
俺らこの板の住人は普段練習もせず、動き回ってもいないのに、
「努力してます。してるのにできないんです」って
言っちゃっている人とかが、たまに見かけるのが不思議である。
ウンチ体質というのか、自分ができない事を嫌々やらされるのを
「努力」だと思いこんでいるウンチがいるのならそれは間違いだ。
上手くできないけど上手くなりたいと思って運動部以上の練習なりをするのが
本当の努力だと思うのだが。だから、俺らみたいなウンチは堂々と
「運動を無難にこなせるだけの能力まで向上させるための努力してません」って
言えばいいはずなのに・・・
だから、努力しない人間が努力してると言い張っているからには
ある種のネタ板であることは間違い無いでしょう。
筋肉様の努力は運動能力の向上を意味しているんだろうけど、
我々のしている努力とは、嫌いなことに耐える努力なんですよ。 >>4 いや、漏れは相当の努力をしたが
運地なのだが 「努力信者」ってのは、
本当にどうしようもないなぁ。 「努力が足りない」
このせりふほど、教育現場において、発する側の怠慢と無責任を語る言葉はない。
「努力が足りない」
こういっった瞬間、すべての責任・原因は生徒・学生・被助言者の側に押し付けられ、
教師・教官・助言者のすべてが免罪される。
「努力が足りない」
この言葉は、適性・能力・環境といった個別の事情をすべて無視することが許される
助言者にとっての魔法の杖である。
助言者の能力ではなく、被助言者の人格に問題をすり替える万能の道具なのだ。
「努力が足りない」
結局、この言葉は、助言者のみを優越感と万能感と
「いいこといってるなぁ、おれ」という自己陶酔感に浸らせるためだけの効果しかない。
被助言者には何の役にもたたない、無意味な言葉なのだ。 >>9
「努力が足りない」 のは教える側にも返せる言葉だ。
教育技能の向上を努力をしてる体育教師は、生徒が苦手なことを
やらせてみるときに「努力が足りない」なんて絶対言わない。
そもそも俺らは運動能力向上の努力なんかしないんだし、
「努力してない」んだからそんな言葉に振り回されちゃだめだよ。 クラスに何人かできに奴いただろw
その1人だ・・・おいら見た目はカコイイのにwww そもそも努力ってことは得意なことをそれなりにやることに対して使うべきで、
苦手なことを無理強いするのに使う言葉ではないでしょ。