原初につっこめば、本当に運動神経なる神経があれば便利だよなw
その程度の勉強すらできなきゃ運動なんざ当然できんよ。
そんな小学生でも解る領域の議論は置いといて。
筋力つーか筋肉は素質9に努力1。
先天的に決められた筋肉の質が、瞬発力向きか持久力向きかでほとんどを決める。
素質が関係ない領域の筋力は、まあただひたすら継続努力の産物だな。
んで当然のように、瞬発力向きの筋肉は中間型になれる、でも逆は真ならず、という不平等さがある。
ようはパワーかスタミナか(各々感覚的定義で使用)で分かれる。
その見極めがつかないと、筋力だの努力だのを論ずる以前の問題だと思う。
つまりは努力せずにパワー負けした屁垂れか、無駄な努力に敗れた可哀想な人か、だな。
ついでに言っとくが、確かな基礎能力があれば素人レベルでは無敵。
自分は運動オンチだが、基礎能力のおかげで負けらしい負けを経験したことがない。
だいたい素人が経験者に勝とうっていう時点で、基礎能力以外に武器があるのか?
まあ走るだの押すだの引くだの跳ぶだのは応用が利くから、鍛えりゃそれが
俗に言う「うんどうしんけい」の代わりにもなろうよ。
ただし、その「うんどうしんけい」そのものは幼少期の経験で決まる要素がでかい。
いずれにせよ、気に喰わない相手に罵詈雑言を吐ける年齢からつくりなおせるものではない。
それを押し通す努力は、筋力以上に才能が要る。
何より、確かな基礎能力を手に入れる努力は、確かな心構えがなくちゃ無理も無理。
少なくともこの意見を無視とか非難しかできない心で支えられる信念じゃあないな。
まあせめて自分の子供にはそのくらいのことを踏まえて運動させたいもんだな。

お口直しに、基礎能力の内訳を。感覚的な定義で読んでな。
体のそれは最大筋力、瞬発力、筋持久力、筋柔軟性(関節可動域)、心肺機能、
呼吸、姿勢、隙の有無(動的死角の理解)。
心のそれは集中力、意識(日常・非日常)。
それでも、凡人には努力以外の選択肢がないことをお忘れなく。