体育の教師
体育の教師は運動音痴には冷たかった
自分ができる分できない人間がもどかしくみえたんだろうけど
あんましいい先生に巡り会えませんでした
自分はバレーボールはまあまあできたんだけど
サービスのテストの時ネットを越えたのが気に入らなかったのか
「風が味方したんだね」と人前で言った時
人間の嫌な本質が見えた気がした >>1
ホワイト 英語教師=外交とか通訳
数学教師=情報処理技術
理科教師=研究員
社会科教師=一般事務員
国語教師=司書
ブルー 体育教師=肉体労働者
教師の中でもブルーカラー 体育教師の大半がDQNの生活指導を必ず兼任していた椰子が多かった罠
DQNと体育教師のやりとりも学校の名物やったパターンが多かった罠 中学のときの体育教師はいい人だったへたくそでもそれなりに頑張ったら
それなりに褒めて評価してくれた。あとはクソ。日体大のエッサッサ猿高
○あんたのことだ。畠や○先生今でも運動音痴ですがあなたのおかげで下手
くそでも下手なりにスポーツする楽しさわかりますた。感謝してます。 体育会系って自己中心的な考え方しかできないんだよな
自分たちが良ければそれでいいみたいな 中学時代の体育の教師Yは女の人でした
ソフトボールの授業で指にデッドボールを
喰らってしまい「保健室に行ってきな」と言われて保健室に行きました
しかし保健室のおばちゃんはいなかったのです
するとY先生がやってきてシップと包帯をしてもらいました
治療中、話をしているうちにHな話になってきて
おっぱいを触らせてもらいました
おっぱいだけでしたが私の体育教師の思い出です 勉強ならば、誰だって「出来ない」という経験をもってるし、
優秀で「出来ない」経験がないようなやつは、そもそも教師なんかにならない。
それから、勉強の場合、「わからないやつにどうやってわからせるか」については
けっこう、研究の蓄積がある。(生かすやつはほとんどいないけどな)
体育教師の場合、
「出来ない」という経験があるやつが、体育教師になるはずがない。
それでいて勉強と同様に「本当に優秀なやつ」も教師になるはずがないのは同じ。
さらに、体育教育の場合、「まず、これをさせて、マスターしたら、次はこれ」
っていう段階の教育しかなくて、
途中でつまずいた場合の教育法はあまり研究されていない。
体育教師がうらまれ、かつ馬鹿にされるのは構造的なもの。
担任が体育の先生だった時がある。
中二の時。
期待されていない生徒だったんだな。
レベルの低い中学校だったので、他の科目の先生も、県から期待されて
いない人の集まりという感じでしたが。 厨房1年目にとある体育教師に「毛深い」といったら殴られ、
厨房卒業までそいつの体育はすべて5段階の1にされた…。 中学のときの体育教師は、いまだに思い出すだけで憤りを感じて気分が悪くなる。
高校でそこそこ進学校に入ったら、そこの体育の先生はうんちに対する配慮
をしてくれるいい先生ばかりだった。 嫌なことはすべて忘れる性格だから、忘れただけかもしれんけど。
幸い、体育に関しては寛容な先生によく当たったような気がする。
中途半端に運動できましたってバカよりも、かなり運動ができる先生のほうが
実は運動音痴な子にも配慮ができるんじゃないかって気がする。
中学校の頃の体育教師は、たしかバレーの国際審判員だったが、嫌な思い出が
ないからな。厳しい先生だったとは思うが。 何気ないプッってリアクションに傷ついてた気がする
そういうのに気づかない無神経な教師ばっかだったのが運のツキか 中学の頃はキャプテンやってたとき以外は全部体育2だった。あれだけ部活でも、一人だけさぼらずに走ったり
筋トレをゲロはくまでやってたんだけどな。なんでこんなに人と差があるんだろうか 体育教師なんて
才能があって、後から努力をしてプラスしていったんだから
初めから才能が無い香具師の気持ちなんてわからないんだよ。 大学で教員免許をとった。
教員になったわけではないし、目指してもいなかったけれど、
それなりに教職課程での勉強はがんばったし、教育問題について考えたりもした。
優れた教師のノウハウや教育観、人間観を知るたびに、
一人の人間として自らの在り方を考え直した。
教育実習をはじめとした教職課程の学習を通じて、人間的に成長できたと思う。
そして、日体大は、教職課程の学生にどんな教育をしてたんだろうと思っている。
中学校のクラス替えで(1年→2年のときに1回替えて、2年→3年は替えずに同じメンバー)、
国士舘大卒の体育の先生が担任を持つ「5組」になぜか運痴といわれる生徒がいなかった。
逆に、如何にも運動のできる生徒を集めていたので、クラス対抗の球技大会は必ず1位。
当然、他のクラスの生徒からは不平不満があった。
しかし、3年生最後の球技大会(バレー)で「3組」のチームが優勝。
「3組」×「5組」の優勝決定試合のときは、他のクラスも「3組」を応援して、
「3組」がポイントを挙げたときや勝ったときは大歓声だった。 運動音痴の癖に高校1年を除いて全て担任が体育教師だったが、
暴力教師やら悪質な教師やらに当たらなくてよかった。
そういや、中学の体育教師はバレーボールの実技の前に
なぜか10分ほど人間魚雷とかの話をして時間を潰してくれたから神。 できなくても、積極的に授業に参加すれば評価するとか言うけど
体育教師なんかにそこら辺見極められるんだろうか。
自分はポーカーフェイスぽいせいかよく目の敵にされた
「がんばってます」て顔できなかったし
そもそも体育の授業にでるだけでも勇気の要ることなのに。 サッカー、バスケでパスカットには自身があってけっこうカットしてるのにまったく評価されなかった
それ以降体育適当にやるようになった 生活指導系の体育教師のほうがマシだよ。
中学一の嫌われ者の理系教師(体育も出来たんだろうがメインは理系)が
女子体育の担当だったあの年は地獄ですた。
「見学理由は授業が始まってから みんなの前ではっきり言え!」とか
(人として、整理なんて単語はみんなの前ではっきり言うものではない)
持久走で「サボるんじゃねー!」と煽りまくり、ピッチを上げた結果
酸欠で目の前が真っ暗になりぶっ倒れて完走出来なかった奴が複数発生とか…
自分も持久走で完走出来なかった一人。。。
そういやその先生、
「生徒会長になったら中庭の池に飛び込みます」宣言+実行を止められなくて
校長と生活指導の先生に油絞られたそうな。 なんで「やればできる、できない奴は根性のない怠け者」って考えなんだろうね >>26
同意。やっても出来ないことなんてたくさんあるのにね。 晴れの日の体育の時間はまるまる一時間反吐を吐くほどダッシュさせられてた >>27
やってもいないのに「できない」という厨房は? >>29
怖くてできないってこともある。
自分の場合ボールが自分の方に飛んでくると、
それが当たりそうに無いほど頭上のかなり高いとこでも
無意識のうちに身体がビクッってなって動けなかった。反応できなかった。
もちろん体育教師には理解されなかったけど。 >>10
気が早いけど、次スレのテンプレにこれ入れといてよ。