法華一揆 - Wikipedia
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戦闘は一時法華宗が有利であったが、次第に劣勢になっていった。そして、27日までに延暦寺・六角勢は法華衆に勝利し、日蓮宗二十一本山をことごとく焼き払い、法華衆の3000人とも1万人ともいわれる[要出典]人々を殺害した(天文法難)。28日には、最後まで抗戦していた本圀寺が陥落している。
さらに延暦寺・六角勢が放った火は大火を招き、京都は下京の全域、および上京の3分の1ほどを焼失。兵火による被害規模は応仁の乱を上回るものであった[1]。