岩倉は12月13日、大久保の決意を打診し、慶喜が納地を拒否した場合、あくまで武力討伐を行なうのかそれとも尾越の周旋に任せるのを問いただし、大久保は意外にも後者を選んでいる。この遣り取りを前提にすれば、岩倉は春嶽等の意見に同意するほかなかったのであろう。