何人死んだかはわかりませんが、とにかく大虐殺はありました。
これは資料を検討すればわかることです。
遺骨、死体が発見されていないことは瑣末なことです。
遺体を処理した者の証言があり、
これは遺体、遺骨が発見されていないことを補うに余りあるものです。
また、当時の写真として伝えられてきたものが満州の馬賊を処刑したものであったことが判明したとしても、真実を揺るがすに足るものではありません。
資料整理の混乱はよくある話で、単なる事務処理の不手際から事実が隠蔽されてはなりません。
大虐殺否定派が肯定派を陥れんがためにでっち上げた陰謀であることすら疑われます。
さらには、当時の写真に合成があったといわれますが、その論拠が薄弱です。
仮に合成があったとしても、それが捏造を意味するものではありません。
技術的な制約から、やむを得ず、断片的な写真をつなぎ合わせて記録に残そうとして試みが、
どうして捏造なのか、理解に苦しみます。
否定派は、必死に日本軍の蛮行の存在を否定しようとします。
しかし、外国の軍隊である日本軍がこともあろうに中国を占拠していること自体、
その強度な侵略志向性を示すものです。
己の悪しき欲望を満たさんがためにアジア諸国民を苦しめ、
各所で悪行の限りを尽くした、悪の権化たる日本軍が、
大虐殺発生時に相当期間の間南京を占拠していたという事実そのもの自体が、
大虐殺の存在を推定させる何よりの証拠です。
南京大虐殺の存在は史実として明白であるがゆえに教科書にも取り上げられており、国連機関の調査報告書にも記載されていることからしても、
もはや、南京大虐殺の存在は、国際的にも異論を差し挟む余地皆無です。
以上のとおり、南京大虐殺の存在は明白であり、歴史学上も何ら疑う余地がないのに、
強弁をもってこれを否定しようとは、歴史を冒涜し、悪を弁護する行為に他なりません。
このような輩は、人類共通の敵として、徹底的に糾弾せねばなりません。