【駆け出し】JBBF 63 【ドーピング 】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>201
調べたのか?
偉いじゃないか
前は誰それ?一点張りだったなw
まあでも日本アマチュアボディビル界においてもの凄く偉大な選手であり知らないとかはあり得ないことを理解してもらえたならそれでいい >>205
20歳過ぎてからやりだした奴が優勝してるかは論破するためのネタになるからな
俺のためになるなら調べるに決まってんだろ馬鹿アスペ
これからもどうでもいいものは全部誰それだアホ
偉大なんて情報はなかった、俺の中では20歳過ぎてからボディビル始めたチビのおっさんがいるってだけで名前もそのうち忘れるだろうな
そのボディビル始めたのが20歳のソースは確認してないからお前貼れ >>208
いや俺もそこまでは詳しくはない
確か10代の頃は野球やってたはず
だから少なくとも相澤くんみたいに12才とかそんなに早くはない
ただ補強としてウェイトトレしてただろうから土台の筋肉あっただろうからヒョロガリスタートではないね
誰か詳しい人教えてよ >>210
なんだお前役立たずか無能
お前も知らないのと一緒だな
野球の補強なんてほとんどやってないのと一緒
お前はID:WexOl2knじゃないのか
こいつがソース貼る義務がある >>211
誰それ?なんでそいつに聞いてんだ
豆タンクって名前のやつが虫食ってるのか >>212
ウエイトトレーニングを始めたのは高校1年の冬であり、野球部のトレーニングの一環として行っていたが、これは周囲からの指示ではなく当時読んでいた『ノーラン・ライアンのピッチャーズバイブル』(ベースボール・マガジン社)の影響を受けたことによる自発的な行動であった[2]。
ピッチャーをやっていた鈴木は「ウエイトトレーニングは必須だ」というその本の記述に影響を受け、父に頼み込んで週刊少年漫画雑誌の広告に載っていたバーベルセットを買ってもらい、自宅で取り組むようになった[2]。
スクワット、ベンチプレス、ワンハンドのダンベルロウを始めたが、ベンチプレスがとても楽しかったので結局はベンチプレスばかりしていたが2年生に進級するころには90㎏が挙がり、卒業時には110㎏まで上がるようになった[2]。
40㎏台後半であった体重も60㎏台にまで増加、体脂肪が少ない体質だったので腹筋も割れ、プールの授業になるとクラスメートから「すごいなあ!」と言われた[4]。
野球部には1人ウエイトトレーニング好きの友達がおり、彼とはバッテリーを組んでいたが、ことあるごとに2人はウエイトトレーニングで重量を競っていた[5]。
2年生になると新しい体育館が建ち、小さいながらもトレーニングルームができたので、昼休みになるとよくウエイトトレーニングを行っていた[5]しかし高校生の当時はウエイトトレーニングに対する知識が無く、重量、回数、セット数を決めたらそれをきっちり守って同じ重量でずっとトレーニングを続け、軽いと感じるようになったら初めて少し重量を増やす程度であった[5]。 大学時代
編集
帝京大学文学部心理学科[1]に進学すると慣れない土地でトレーニングジムを探す余裕もなく、授業とアルバイトに明け暮れるごく普通の大学生活を送っていた[5]。
大学の学部学科の中でなぜか鈴木が進んだ心理学科だけが厳しく、普通は120単位程度取得すればよいところ170単位くらい取らなければならず、さらに教職課程を履修することも必須だった[5]。
アルバイトは、平日は食品メーカーの営業として自ら車を運転して得意先を回り、土日はホテルで蝶ネクタイを付けてパーティーや結婚披露宴のウエイターをしていた[5]。
高校時代あれほど頑張っていたウエイトトレーニングもしなくなり、食事も平気で1日1食で済ましていたため、大学3年生の時には体重50㎏台のひょろひょろな体になっていた[5]。
あまりに細すぎてお気に入りであった女の子から「細い男はイヤ!」と言われたこと、当時総合格闘技やK-1が隆盛を極め、ケビン山崎が注目を浴びた頃で、世の中が肉体改造ブームに湧き上がっていたことなどもあって、トレーニングを再開[5]。とはいえボディビルを始めようという思いは微塵もなく「ある程度筋肉が付けばいい」という考えだったので、最初に入会したのは一般的なスポーツクラブであった[5]。
1ヶ月ほどトレーニングを行うともっとトレーニングを行いたいという欲求が高まり、そこで多摩スポーツジムに入り直した[5]。
そこで中央大学ボディビル部の中島土と出会い、マッスル北村や学生ボディビル界の先輩にあたる須江正尋のビデオを見せられて影響を受けた[5]。
体を大きくするためにマッスル北村の『THE世紀末バルクアップ1999』などに影響を受けてひたすら糖質を取るように心掛けた。1食3合の米を1日3回、間食にハンバーガーを摂取。米を食べる時はポテトチップスをふりかけにして食べ、野菜は殆ど摂取しなかった。いわゆるダーティバルクを採用していたと言える。朝食に卵10個とサバ缶1缶を食べて体を作ったこともある[6]。
トレーニングの甲斐あって、体重は75㎏から76㎏になっていた[7]。
ただしウエイトトレーニングのフォームは自己流であり、とにかく重い物を持ち上げればよいと思っていた[7]。
大学在籍当時『IRONMAN』や『月刊ボディビルディング』を毎日のように読み漁っていた鈴木は、ベースボールマガジン社の当時の取締役であった田代誠が『月刊ボディビルディング』で解剖学的アプローチ(当時ウエイトトレーニング先進国であったアメリカでも、回数や○○法といった生理学的アプローチが主体であった)に基づいたウエイトトレーニングの連載を行っているのを知り、その連載の内容が鈴木の中で知識や考え方として根付き、これが鈴木が理論立てのトレーニングを行う原点となった[7]。それでも鈴木はボディビルがどのようなものなのかまだ分かっておらず、ボディビルをやろうと決意するまでには至らなかった[7]。
4年生の時にはほぼ大学の単位を取得できていたので授業もあまりなく、実家に帰っては地元のトレーニングジムでトレーニングを行っていた[7]。
そのジムの取引先の1つがTHINKフィットネスで、毎日定時で仕事を終えてトレーニングを行える仕事に就きたいと思っていた鈴木は、オーナーを通じて採用試験を受けたいと志願し、卒業間際の3月に試験を受けた。
すでに内定を受けていた鈴木は、この時は清水の舞台から飛び降りる気持ちであったことを後に明かしている[7]。 大学卒業からボディビルに出会うまで
編集
帝京大学卒業後の4月、THINKフィットネスに入社し、鈴木はトレーナーとしてのスタートを切った。1ヶ月半の研修の場は、かつてマッスル北村がトレーニングを積んでいたノース東京[8]。
当時のノース東京は本野卓士、荒川孝行、林久司など、鈴木曰く「実にコアなメンバー」が揃っていた[8]。
鈴木がボディビル大会出場を意識するきっかけになったのは入社1年目の夏に行われた社内レクリエーションでのことであり、その年の4月に中野ヘルスクラブが閉鎖となり翌月にウエスト東京がオープンしたためTHINKフィットネスに入社したボディビルダーの小沼敏雄が「そういえば、すごく大きな子がいるよね」と切り出したことによる。
この話から鈴木がボディビル大会に出ることが決まっていった[8]。
鈴木はこの時のことを「本当に出ようと燃えていた訳ではなく、失礼な話ですが、本当に軽い気持ちでした」と後にムックで述懐しており、この時点では全く本気ではなかった[9]。
褒めてくれたのもリップサービス程度にしか思っていなかったと話している[9]。
しかし、田代誠から「いい体をしているから、出てみたらいいよ」と評価されたことでその気になり、出場を強く決めた[9]。 榎本や泉も消えちゃったな
坂本君もいずれこうやって消えていくんだろうな
ジュニアでパッとしなかった吉岡だけが頭角を現して頑張ってるくらいか
マイナー競技といえどやっぱりなかなか厳しい世界だ ここまで厳しい競技はないと思うよ
他の競技だとマグレというかその日絶好調なら実力以上の結果が出てしまうことがある
対戦の組み合わせとかね
ボディビル、フィジークにはそういった要素が一切ない
見た目が全てなんだからね
まあポージングが上手ければ筋肉の大きさ仕上がり以上の結果は出ることもあるだろうがそれも含めての実力だからね >>215
全部貼ってる無能
40kg後半のクソガリドチビ(笑)
しかも高1からやってんじゃねえか、でも大学になったら全くしなくなってるから実質20歳ぐらいからか >>216
再開したのが何歳からか書いてない役立たず >>218
誰それ?
こんなもんずっとやってるのは知障ナルシストドチビコンプだけだろ >>222
大学3年か4年でしょ
一年くらいどうでもいいだろ
一旦完全に貧弱ヒョロガリにリセットされてるから大体20才くらいスタートで合ってると考えて良さそうだな >>226
こんな薄汚いブッサイクが見てとばかりに晒してもさ、ありがたくもなんともないよね
醜いってほんと罪だね >>219
ボディビルもフィジークもスポーツではないし競技ですらないけど?
ただのミスコン
ステージでただポーズ取るだけなのにどこが競技だよw
笑わせんな >>225
どうでもよくねえよ無能エアプ馬鹿
ベンチが110kgできてるメモリがあるなら少しは有利
ソースが本当ならボディビル自体は23歳だな 自殺しろってのが情けなすぎて笑えるわ
万が一にも訴訟されたくないから殺すとは絶対言わないの
だから他力本願な自殺しろ匿名でまず訴えられる可能性すらないネットですらチキンって ビビリだから自殺しろしか言わない
なぜなら殺すと言ったらお家に警察が来て怖いとか思ってるから
中学生並のチキン 煽るなら特定して殺すくらい言えよ
なんだよ自殺しろって殺すとか言うのは訴訟されたらお母さんとお父さんに迷惑かけちゃうから
自殺なら大丈夫だよねって考えか >>237
そいつは2スレ前あたりから居座ってるヒキニートだからほっといてオーケー 暴言野郎は以前FWJのスレに来た時ボコボコにされて逃げたからな
その程度のやつ >>238
殺すなんて匿名に言っても自殺しろと同じ無知馬鹿中卒ヘタレチキン >>239
殺すようなことはしてないだろ馬鹿アスペ自殺しろ
お前が自殺するなら可能だし理に適ってる >>242
お前ボコボコにされてこのスレで喚いてるのか 吉岡のお姉ちゃんが美人すぎる
どうやったら交尾できる? んなっ、なっ、なななっ、なっ・・・
中だしドーピングゥゥゥゥゥゥwwwwwwww ドーピング検査対象後はサイズアップ出来なくなるJBBFの駆け出し野郎ども 「JBBFに出てるからナチュラル(キリッ」
これはさすがにバカすぎるwww
抜き打ち検査を受けてる一部のトップは入ってないだろうと思うけどね
それ以外の選手は入ってても分からん
検査したところで過去の半年分くらいしかわからないし
それ以前にどれだけ入れてても分からない
ドーピング検査ってのは何年も何年も継続して受けてないとほぼ意味がない >>275
>抜き打ち検査を受けてる一部のトップは入ってないだろうと思うけどね
ピュアだなあ >>279
よしんばなにか入っててもそれにさしたる効果なんてないのだから入ってないと同じこと
抜き打ち検査受けながらステロイドサイクル組めるほどの量を入れることができると妄想してるキチガイなら頭の病院に行ったほうがいい >>285
はあ?何なんだだこのくそアホは
時代遅れなんじゃなくて過去半年くらいなら確実に検出されるから使いたくても使えなくなっただけ
筋肥大させたいなら昔も今もステロイドが1番、でも見つかるからそんな露骨な薬はもう使えない
しかたなくもっと効果が弱く検出されにくいインシュリンなんかに頼るようになった
ステロイドに比べたらインシュリンの効果なんてたかが知れてる
抜き打ち検査受けてるトップ選手はクスリ入ってないと思っていい
ただしそんな人はごく一部だけ
他の選手はランダムの抜き打ち検査しか受けてないので、JBBFの大会でも検査を全く受けてない人が大多数
なので「ぼくはJBBFの大会に出たからナチュラルです」なんてのはただの詭弁
そもそも検査受けたところで過去半年間の薬物使用しか検知できない
それ以前になにか使ってても分からない
ナチュラル=生涯薬を使ったことがない事を証明する手段はどこにもない
つまりナチュラルであることをことさら取り上げても意味がない
本人がナチュラルというなら、あとはもうそれを信じるか信じないかだけの話になる
こんなくだらないことでワチャワチャやっても意味なんかない >>286
お前ほんとにバカなんだな
インシュリンじゃなくてインスリンな?
もっと勉強しろアホ >>287
インシュリンは英語読み、インスリンはドイツ語読み
どちらも同じ意味でどちらでも通じるよ
また一つ賢くなれてよかったな
バカの子に知恵を授けてもしょうがない気もするけど >>279
一回でもテスト入れたら全然変わるものな この人は過去含め一切やってないだろうと言われる筆頭のG戸選手やK澤選手でもわからないよ。
駆け出しのたいした知識しかない頃にサプリと間違えて、または、当時はサプリ扱いだったとか、勧められたとかで、現在の禁止薬物を飲んでた時期があってもおかしくない。そのやってしまった反動で逆に一層頑なになった可能性すらある。あくまでも推測ですので例えに出した選手は例えです。 >>289
んなわけあるか(笑)黙れアホ
バカみたいにデカくしたかったらバカみたいな量をバカみたいに長期入れ続ける必要がある
1回そこら入れたくらいじゃ何も変わらん >>286
ランダムで抜き打ちされてるなら駆け出しってのも運が悪いと見つかるからできないだろ
見つかってないです怪しくない奴は詭弁でもなんでもない
そもそもその半年しか検知できないと言ってるソースはどこだ知障
お前が発作のように発狂しても意味がない
お前がナチュラルではないくせにナチュラルと言ってるから信じてもらいたいだけのお薬マンに見えるぞマヌケ 無知おるねテストトレン8wkで10kg増とか可能なんだよなぁ
馬鹿みたいな量を長期でいれるやつなんかもはやビガームくらいやろ >>291
本当に間違えたのなら問題ない、当時合法ならそれも問題なし
勧められて使ったのなんか言い訳にはならないが同列のように書くなよ知恵遅れ
推測じゃなくて妄想だろ知障 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています