とあるブログのコメント


沖浦さん

おはようございます。

沖浦さんは、他人との無用無益な衝突を起こさなければ、変人だけど夢を持ち続ける、楽しいおじいちゃんとして、好かれるのでしょう。

>沖浦氏がまたしてもやらかした。趣意はやめろと言ったはずである。師匠の言葉なのであれば正確に引用すべきだろう。御書の引用と同じである。

以上に明らかなように、「恣意的な引用を止めなさい」と言われているのです。

それに対する沖浦さんのレスが、
「嚴虎さん、今晩は。
御書に取意がこれだけあるんですよ。」
でした。

また今回も、
「以前にも書きましたが、大聖人も主意を用いておられます。
『[已上取意]』
 (立正安国論)
私も以前は取意と書いておりましたが、近年、主意に統一致しました。
この点宜しくお願い致します。」
というものでした。

私は沖浦さんは「受信機」として、もはや修理不能と思っていますが、巌虎さんはこの十数年間、
「沖浦氏は多少なりとも己の間違いを自覚しているわけですから、まったく理解力がないわけではないのです。その意味ではこちらが粘り強く説き伏せていくしかないのだと思います。」
と好意的に対応してきました。

その人をして
「これが一例でして、ようするに言っても聞かないのです。早い話が沖浦氏はどうしようもないクソジジイなのですね。」
と言わしめてしまうのですから、相当なものです。

沖浦さんの特徴が長所となって、周囲の利益になると良いのですが、現状は信仰・世事両面で、組織内の相互不信を煽り、対立を激化させてしまう。
その意味で、沖浦さんも社会不適合者・組織不適合者の側面をお持ちと言えます。

巌虎さんは、一応アク禁は行わなかったようですし、沖浦さんを好意的に見てきたのは、巌虎さんの優れた人格によるものなのでしょう。
結果論となりますが、沖浦さんを長年放置してきたことで、彼が増長する原因ともなってしまった。

沖浦さんの特徴が「特長」になると良いのですが、これはダメかも分からんね。

2020/7/10 投稿者:大沢克日子