「世界なるものが予め広大微細に存在していてその一部分を私が知覚する」
と云う前提でこの問いを考えるから「え?別に世界をどうこうしたいとなんて思っていませんよ」となるのであって、
寧ろ「私が知覚するのが世界である」とコペルニクス的に定義を転回させて考えたら良いのだな。
さすれば「どんな世界を目指しているのか」は「どんな刺激を知覚したいのか」に言い換える事が可能と云う訳だ。
どうれ、「世界」が私の目の届く範囲にまで戻って来たぞ。