>>313
私のマハーポーシャ製PCもそろそろ限界のようです。


>>314 >>315
ここに愚者と智者のふたりがいたと想定しよう。愚者は、例えばここでヒップスラストを一セット行う。臀筋をパンプさせ、その気持ちよさを味わったとしよう。次の日も二セット 三セット四セットと行って飽きるまでパンプさせる。
そして、臀筋のパンプに飽きる。もはや気持ちよくはない。次は大胸筋にしよう。彼は大胸筋をパンプさせる。飽きるまでパンプさせる。 次は上腕二頭筋だ。上腕二頭筋で同じことを繰り返す。
ここで、智者だったらどういうプロセスを辿るのかね。その人は、臀筋に飽きたとき、「なぜ私は臀筋に飽きたんだろう?」と考える。
そして、「私は今度は、大胸筋をパンプさせたいと思っているけど、ひょっとしたら大胸筋にも飽きるんじゃないか。」っという考えに至るだろうね。
そして、大胸筋に挑戦するとき、 「その時の心の変化をできるだけ客観的に見ていこうじゃないか。」と決心する。そして、大胸筋をパンプさせていきながら、セット数を増やしていきながら、心の変化を理解していく。
そうするとね、臀筋と大胸筋、これくらいで飽きる経験はすんでしまうわけだ。飽きる経験がすんでしまうから、次の上腕二頭筋までいかない。いく必要がないんだ。
臀筋や大胸筋がね、ステに変わっても同じだね。例えばスタノゾロール、例えばメタンジエノン、例えばオキシメトロン。初めにスタノゾロールを入れていてね、
慣れてメタンジエノンにする。次はオキシメトロンにしてみる。これと、臀筋、大胸筋、上腕二頭筋のプロセスは全く同じだ。℃-uteについて考えても同じだよ。
矢島舞美、中島早貴、萩原舞と心が移っていくプロセス、これも全く同じだ。
私達は、だから、もし臀筋で心の動きを理解したならば、ステに対しても℃-uteに対しても、惑わされることはないだろう。その時、自ずと悟りが訪れます。
急に、悟り、なんて言葉がでてきてびっくりしたかな。臀筋やステと悟りが、なにやらつり合わないような気がするかもしれない。
しかし、悟りとは心の動き、あるいは真我がどのようにして闇の中に入っていくかをね、客観的に見て理解できる状態のことなんだ。いいですか。これが悟りのプロセスだ。