新種のウイルスのパンデミックをWHOが宣言してから数年。事体は未だ終息の気配を見せない。爆発的な感染力と致死率の高さは世界中の人々を震え上がらせた。そして罹患に伴う激痛も。既に死者数は累計で一億人を超えるとされ、未だ有効なワクチンは開発されていない。
 大きな溜め息をひとつ吐き、窓の外を眺める。
 一体いつまでこんな事が続くのだろうか。
「弱音を吐いてる場合じゃないな」
小さく独りごちた。私にはまだ一つ、大切な仕事が残されている、性根を入れ直して挑まなければならない。
 面談室の扉を開けると、二人は緊張のあまりか小刻みに震えていた。私は軽く会釈をしゆっくりと椅子に座る。
「担当の井出と申します。悠太くんのご両親ですね? 簡潔に申し上げます。本日、十四時二十三分、悠太くんをお救い致しました。ご愁傷様です」
 そう告げると二人は崩れるように机に顔を伏した。母親は声を上げて泣き、父親の嗚咽は大きく面談室に響き渡る。私は暫く黙ったまま彼らが落ち着くのを待った。
「私ども、安楽死専門医は患者様と最期の言葉を交わす者です。私も悠太くんと少しお話しをさせていただきました。差し支えなければその話をお聞かせしますがいかがですか?」
「お願いします」
 少し間を開けて答えた父親の返事を合図に私はゆっくりと彼らに語り始めた。

「悠太くんは幼い頃に貴方達と行ったお祭りの話をしてくれました。屋台が一杯並んでて、たこ焼きやリンゴ飴、それから玉せん、でしたっけ? 沢山食べたよ、と嬉しそうでした。ご主人は金魚救いが得意なんですってな。自分は一匹も取れなかったのにお父さんは五匹も取ったんだよ、なんて自慢をしてましたよ。お祭りのはなしをしている時は本当に楽しそうで、風が揺らす中庭の木々のざわめきをお祭りの賑わいみたいだと、少し潤んだ瞳がとても印象的でした。それからーー」
「もうやめて下さい!」
 遮るように母親がいった。
「申し訳ありません。今はちょっと辛くて。ごめんなさい、先生が悪いわけじゃないのに……」
「事後書類等の手続き、ご説明は受付にて行えます。私からは以上となります。この度はまことにご愁傷様でございました」
 失礼します、と深く頭を下げて面談室を出る。部屋の中からはまだ二人のすすり泣く声が聞こえていた。

 安楽死が合法化されて三年。いつの間にか人々は安楽死という言葉を救うという言葉に置き換えた。殺す者、殺しを許可する者、双方の罪の意識を少しでも軽くする為だろう。けれども、私はそんな風潮をどこかで責めているのかも知れない。
 本来、私達に患者の最期の言葉を遺族に伝える義務はない。これは私独自の想いから続けているものだ。忘れないで欲しい、確かに生きていた事を、軽くしないで欲しい、命を奪ったその判断を。
「お救い致しました、か」
 私は呟いた。ヒーローのように本当に人々を救う事ができたならどんなに素晴らしいだろう。
 病棟の薄暗い廊下を力無く歩きながら、私はそんな事を考えていた。