「妹にお兄ちゃんって言わせたい!」プロローグ


周囲から『風凪兄妹』と呼ばれる、人間と獣人のいびつな義兄妹。
その出会いは、思い返せばあまりに唐突なものだった。

「こんにちは!私、凪っていうの、あのっ……!私のこと、ここにおいてくれませんかっ……?!」
突然俺の家に押し掛けてきた、碧眼で白い髪を持つ猫耳の少女、凪。
こちらが玄関の扉を開くや否や、彼女は一息でそうまくしたてた。
話を聞くと彼女は身寄りがなく、片っ端から居候できそうなところをあたっていた様子。
現在ひとり身で暮らしている俺も彼女のターゲットの一人だったようだ。

突然に押し掛けてここに住まわせてくれと求める少女。
それは俺からするとあまりに唐突で、場違いで、非常識な要求。
普段の俺なら、即座にチェーンをかけて扉をしめ切っていたことだろう。

しかし、当時俺は数か月前唯一の肉親であった母さんを失った状況。
今思えば、俺は心の奥底で人肌を求めていたのかもしれない。
気づいたら俺は、彼女を居候として迎え入れていた。



そんな彼女の声が、うっすらと聞こえてくる。
「……ねぇ、起きて」
「は?」
薄眼で反射的に答える俺。その意識はもうろうとしていた。
「は?じゃないよ〜、今日お休みだからってあんまり長いこと寝てちゃだーめっ!」
直後、頭部に走る激しい振動と鈍痛。きっと凪は俺のことを衝撃でたたき起こそうとしたのだろう。
しかし、人間とヒトならざる者とでは力の差が違う。
急速に遠のく俺の意識。悲しきかな俺は彼女のモーニングコールで、再び眠りの園へ逆戻りすることになってしまったのだった。

「……」
再び意識が戻った時、彼女はまだ俺の布団の上にのしかかっていた。
「……寝すぎだよ。一日そうやってるつもり?」
どうやら先ほどの俺の失神は彼女には二度寝として認識されてしまっているようだった。『どうしてまた寝てしまったんだ』と言わんばかりに、彼女はその猫耳と尻尾をピンと立て、不機嫌そうな顔でこちらを見つめていた。彼女に文句を言おうにも俺の頭はまだ鈍痛に包まれたまま。一瞬浮かんだその衝動は寝起きでぼんやりとした意識の奥に溶けていった。俺の横たわる布団のクッションをばねに窓のそばまで跳躍した彼女は、その勢いのまま一気にカーテンを開け放つ。
「ほら、太陽がもう真上まで来てるよ。もうお昼!」
窓の外をのぞき込みながらそう言う彼女を見て時計に目線を移すと、時刻はおおよそ正午ごろ。いつもの俺なら午後8時には起きているので、彼女がこうしてたたき起こしに来るのも無理はないことだった。

「わりぃ、凪」
彼女に平謝りしながらふと視線を下方へ逸らすと、ベッドのそばには俺の相棒とも呼ぶべきものが立てかけられていた。それは、俺が昔から愛用しているギター。今でこそ彼女にせがまれては弾いて聞かせたりしているが、彼女が来る前まではこのギターが肉親を失った俺の寂しさを紛らわす唯一の手段となっていたことは俺の中で大切な意味を持っている。
「このギター、リビングから持ってきたのか?」
「うんっ…… またふーまのギター聞きたくて」
彼女ははにかむように言うと、まっすぐな視線を俺に向ける。
彼女は俺のことを、名前である『風真(ふうま)』と呼ぶ。

彼女がうちに転がり込んできた当時、何も知らない周りの住人には義理の兄妹とごまかしていた。
それゆえか今では彼らから『風凪兄妹』と呼ばれるようになり、最近では彼女も自身も『風真の妹』と名乗るようになっていた。でも、彼女は頑なに俺のことを『お兄ちゃん』と呼ぼうとはしない。

どうせ自他ともに兄妹だっていうなら、一度くらいそう呼んでくれてもよいのに。その様子は、まるで義兄妹であることを内心認めていないかのようだった。
しかしながら、その割には朝起こしに来たり弾き語りをせがんできたりと、俺のことを嫌っているようにも思えない。俺との関係性の落としどころがつかめないだけなのか、それとも別の何かしらか……気にしなければなんということもない小さなその矛盾は、心の奥底に疑問の種を宿していた。

「ほらほら、ふーまのギター早く聞きたいなぁ。早く!おーきーてーっ!」
言葉を言い終わるや否や、強引に俺の布団を引っぺがす彼女。まるでティッシュペーパーのごとく軽々しく宙を舞う布団。快適な逃げ場をなくした俺は、渋々布団から出ると相棒のギターを手に取りリビングへ降りる。
こうして、俺たちの日常は今日も何事もないように始まった。